瀬川貴次の万物ぶらぶら(仮),segawa takatsuga no bambutsu burabura illustration星野和夏子

其の二:いろいろ新しく

其の二:いろいろ新しく

春とはいえ寒の戻りで、指先が冷たかった。パソコン画面の見過ぎで、目もしょぼしょぼしていた。 たまたま、昼食用に米を炊いている最中だった。炊飯器の蒸気口からは白い蒸気が盛んに噴き出していた。 ふと思いつき、冷たい手を蒸気口に持っていったら予想外に熱くて、うわっちゃーと悲鳴をあげた。 それで今度は用心しつつ炊飯器の上に顔を持っていき、目もとに蒸気のみが当たるようにしてみた。疲れた目が温まって大変よろしかった。なぜかちょっと咳きこんだけど、米ぬかはお肌にいいなんて話も聞くし、米を炊きつつ美肌もゲットできるなら二重に喜ばしいのではないかと思った。 まあ、それはともかく。 年号が改まった。そして、五年先の話だが、紙幣の絵柄もまた一新されるという。そのニュースを耳にするなり、「えええっ、諭吉が栄一になってしまうの?」 と、わたしは声に出してしまうくらい驚いた。 実は以前に拙著『怪奇編集部トワイライト』で登場人物が、『行け、諭吉! 一葉! 英世!』 と言い放ち、万札、五千円札、千円札を各一枚、おふだのごとく死霊に投げつけるといったシーンを書いていたのだ(ちなみに『怪奇編集部トワイライト』はWebの「マーガレットBookストア!」にて、佑元セイラさんによるコミカライズ作品が絶賛連載中ですので、興味のあるかたはぜひ)。 さらに言うと、初稿でのこのシーンの台詞は、『行け、諭吉! 一葉! 漱石(、、)!』 だった。だもので、校正で『漱石→英世』と、しっかり朱筆が入ってしまった。「えっ、英世? 漱石じゃなかったの?」 あわてて自分の財布に手を突っこみ、千円札を取り出してみたらば、そこには確かに野口英世の肖像が描かれていた。「いつから漱石が英世に!」  調べてみたら、二〇〇四年からだった。 あらあら……。なぜだか、ずーっと、千円札は夏目漱石だと思いこんでいたですよ。たぶん、あれだ。漱石も英世も口髭を生やしていたので、自分の中で見分けが全然ついていなかったのだろう。 やっと正しい認識ができたのもつかの間、もう別のかたに替わってしまうのですか。今度は柴三郎ですか、そうですか。 栄一、梅子、柴三郎……。 大きな買い物をするときは、「今日、諭吉いたかな?」と思いながら所持金を確認するのが癖なので、「今日、栄一いたかな?」とか思う自分がしっくりこない……。 というか、「バイバイ、諭吉……」と心の中でつぶやきながら買い物するのは洒落になっても、「バイバイ、栄一……」では洒落にならん気がする。 本当に栄一なる人物にふられてしまい、失意のあまり衝動買いに走っている寂しいひとのようではないか。 しかしまあ、仕方がない。こういうのは慣れの問題だ。 それを言うなら、万札が聖徳太子だった時代もあったのだし。博文や退助、具視もいたなぁ。五千円札は稲造だったよ。何もかも、みな懐かしいなぁ。 と、新しきを知って、古きをいまさらのようにしみじみと再確認しているのであった。
トノサマ