瀬川貴次の万物ぶらぶら(仮),segawa takatsuga no bambutsu burabura illustration 星野和夏子

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其の十九:まだある怪奇な実体験

まだまだ暑い。なので、もうしばらく怪奇な体験談について語ってみよう。怪奇というか、奇っ怪というか。妙なモノを目撃した経験ならまだある。どれも掛け値なしの実体験だ。フィクション書きを生業(なりわい)にしているものの、わたしはあとがきやエッセイで嘘をついたことはない。体験に関してなら変に話を盛るよりも、できるだけありのままを語ったほうが断然、面白いと信じているからである。──あれはわたしが二十代前半の頃。当時、わたしは福岡で、マンション住まいの姉のもとに居候させてもらっていた。仕事は月曜日が休みだった。そんな月曜の午前十時過ぎ、わたしはベランダで洗濯物を干していた。眼下に見下ろす福岡の住宅街は、平日の午前ゆえに静かで、天気も好く、ぼんやり眺めているだけでも気分が良かった。すると、ベランダからぎりぎり見えるところの脇道を、ひとり歩く人影が。わたしは何気なくそちらに視線を移し、驚いた。三十歳前後くらいの裸の女性が、新聞紙をバスタオルのように身体に巻き、無表情ですたすたと歩いているではないか。「……ぬ?」奇妙だと、もちろん思った。自分は幻を見ているのかとも疑った。あれが見えるかと誰かに確認をとりたかったが、同居の姉は仕事に出ており、残念ながらその場にはわたしひとりきりだった。女性はベランダのわたしに気づかぬまま、恥ずかしがるでもなく普通に歩いている。そのまま、まっすぐ進めば往来も多い大通りに行き着くのだが、そのとき彼女がいた脇道には宅配便のトラックが一台、停車しているだけで、ほかにひと通りもない。が、彼女がトラックの横を通ったそのとき、トラック後方から制服を着た宅配ドライバーが、段ボール箱を抱えて現れた。彼は新聞バスタオルの女性の後ろ姿を至近距離から目撃し、ぎょっとした表情を浮かべて二、三歩よろめいた。あからさまなその反応に、わたしも「ああ、自分以外にも彼女が見えているんだ。よかった、よかった」とホッとした。その後、彼女はベランダから見えない位置に移動してしまったので、どうなったかはわからない。宅配ドライバーは驚きのあまり逃げたのか、いつの間にか姿を消していたし、わたしも月曜日の午前の空気が平和すぎて、わざわざ外に出ていって確認する気も起きなかった。思うに──ひょっとして、そういう特殊ジャンルの映像作品でも撮っていたのかな、と。わたしの死角にカメラスタッフ等がいた可能性は否定できない。そうでなかったとしても、新聞紙で隠すべきところは隠していたのだし、警察を呼ぶような案件でもあるまい。ただ、「こんな奇妙なことも世の中にはあるのだなぁ」と感心するばかりだ。そういえば、三、四年ほど前にも妙なモノを見た。陽が落ちるのがすっかり早くなった冬の宵。交通量の多い国道沿いの歩道を、ひとりぽてぽてと歩いていたときのことだ。頻繁に行き交う車列を何気なく見やったその瞬間、半透明で白っぽい人影が車道の真ん中にたたずんでいるのが、ちらりと見えた。それも、顎に長い髭を蓄えた、理知的な風貌の外国人らしき老人だ。「ぬぬ?」とは思ったが、怖くはなかった。半透明なその人物に見おぼえがあったからだ。「どこで見たんだっけ……」すでに消えてしまっていた老人の面影を反芻しつつ、わたしは歩き続けた。そして思い出した。半年以上一年未満ほど前に読んだ書物、書名もジャンルも失念してしまったが、その著者近影に、アングルから何からそっくりそのままだったのだ。確か、ドイツ人だ。「なるほど。で、なんで半透明なドイツ人が車道にいたんだ?そもそも、あの本の著者って故人だっけ?書名もおぼえてないなら確かめようがないなぁ」そんなことを考えながら、わたしはさらにぽてぽてと歩道を歩いた。「あー、たぶん、あれだな。この網膜に映っている実際の映像と、わたしの脳内の記憶映像とを、脳が勝手にCG加工してくれちゃって、あたかもそこに半透明なドイツ人がいるかのように見せたんだな。つまりは脳の誤作動ってわけだ」わたしは脳神経の専門家ではない。なので、この推論が正しいかどうか、保証はしかねる。だが、そう考えれば、ドイツ人の謎はすんなり解ける。「問題は、なぜそんな誤作動が生じたかだけど──」きょろきょろとあたりを見廻し、ほどなくわたしは、その原因らしきものを発見した。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯で、車道は多くの車が行き交っていた。そのヘッドライトがとにかくまぶしかったのだ。「そうか。車のヘッドライトによる光刺激か」重ねて言うが、わたしは脳神経の専門家ではない。だから、とんでもなく見当はずれなことをくっちゃべっているのかもしれない。とはいえ、「面白いモン見たな。ラッキー♪」と得した気分を味わえたし、この体験を作品のネタに昇華させることもできた。当然、その後の霊障みたいなものも一切ない。半透明なドイツ人を目撃したのは、あとにも先にもこの一度きりだから、健康面を特に気にする必要もあるまい。もしかして、世のひとびとが言う心霊体験には、この手のケース──脳の誤作動も多いのかもしれない。それはそれとして、不思議な面白体験ということでよろしいのではなかろうか。そう、この世は案外、不思議で満ちあふれている。楽しまなくては。
香炉 旗指物 角盥
トノサマ