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小説を書くためのプチアドバイス by三浦しをん

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「短編小説新人賞」の選者として、毎回投稿作品に対し、厳しくも愛情あふれるコメントを寄せてくれる
三浦しをん先生が、小説を書くために押さえておきたい「お作法」を教えてくれます。

第10回「小説ならではの『時間の魔法』を使いこなせ!」

 前回は理性を喪失していて失礼しました。しかし私の理性は、あいかわらず家出中です。

 みなさん、映画『HiGH&LOW THE MOVIE3 FINAL MISSION』はご覧になりましたか? まさか、この映画をまだ見てないなんて人類はいませんよね。

 ……あ、未見のかたもいらっしゃる。そりゃそうだ。人類全員が見た映画など、史上存在しない。好みも興味を抱く方向性もさまざまだからこそ、私は映画をはじめとする創作物や、もっと言えば人間そのものが好きです。おんなじだったら、つまらないですからね。

 ま、そういうわけで(どういうわけだ)、「見てない」って言ってるかたがいらっしゃるにもかかわらず、自分の欲望に忠実に『ハイロー3(と略させていただきます)』の話をしてしまうのですが、いやあ、いろんな意味ですごかった! 改めて、「私やっぱり、このシリーズ大好きだわ」と思いました。

 前作『HiGH&LOW THE MOVIE2 END OF SKY』を見た直後から、「『ハイロー3』はどういう展開になるんだろう」と、私は自分なりにいろいろ推理してきました。そこへ『ハイロー3』のあらすじや予告編が公開され、そのあまりにも破壊力の高いあれこれに、『ハイロー』好きの友人たちと大盛りあがりしたのも記憶に新しいところです。

 あらすじと予告編は、『ハイロー』の公式サイトにアップされていますので、機会があったらご覧になってみてください。

 三部作の映画の第三作になって、「(政府の)隠ぺいを暴くための”3つの証拠”を見つけだし」と、まったく初耳なミッションを課せられるらしい登場人物たち。なんという大胆な構成なのだ。ほんとに二時間強の尺に収まるのか? さらに、「政府による無名街爆破セレモニー」という、もはや脳が理解を拒むキラーワード。どんな政府なのだ。ちなみに「無名街」とは、フツーの商店街のすぐ隣に存在するスラム街です。けれども、『ハイロー』シリーズはファンタジー作品ではなく、舞台はアントニオ猪木氏もビートたけし氏も存在しているらしい現代日本なのです。サイコーと言えよう。

 で、私は『ハイロー2』までのシリーズおよび『ハイロー3』のあらすじと予告編から、「『ハイロー3』はこうなるんじゃないかな」と、以下のように予想していました。

 まず、『ハイロー2』で狙撃された雨宮兄弟の三男の生死についてだが、この兄弟のこれまでを考えると、どっちかが早死にしちゃうのはあまりにもかわいそうすぎる。こういう場合、たいがい胸ポケットに硬いもんを入れていて、命拾いするパターンだよな。聖書とか。しかし、聖書が胸ポケットに入るのか、という疑問はこの際無視するとして、無視しきれない問題がある。雨宮兄弟は、バイブルを捨ててきちゃったらしいのだ(ああ、登場人物それぞれのテーマソングも聴きこんでいるさ)。
 となると、なにで銃弾を防げばいいのか……。そうだ! 以前に亡くなった雨宮長男は、三日月みたいな形のペンダントをしていたな。あのペンダントを、三男は兄の形見として胸ポケットに忍ばせていた、というのはどうだろう。ペンダントにはチーズみたいな穴がいっぱい空いてた気がするし、狙撃された雨宮三男が着てたライダースジャケットには胸ポケットがなかったような気もするが、まあいい。兄の形見のペンダントが銃弾を跳ね返し、雨宮三男は一命を取りとめる。これだ!

 一方そのころ、九龍グループ(ヤクザの組織)に捕らえられたコブラ(登場人物名)は生コンを飲まされるわけだが(予告編参照)、たぶんコブラなら、生コンぐらい大丈夫だ。見かけによらずおなかが強いはずだ。
 とはいえ、生身の人間が生コンを飲んで本当に大丈夫なのか? と不安が拭いきれない観客もいるだろうから、もう一個保険をかけておこう。
 同時刻、琥珀さんと九十九さん(いずれも登場人物名)は、九龍グループにカチコミをかけるべく、せっせとおにぎりを握っていた。「腹が減っては戦はできねえって言うからな」「どうでもいいけど、何百個握るんだよ琥珀さん。俺、腕がしびれてきたよ」。二人の握力は合計八百キロほどあるため、おにぎりは焼くまえの餅なみにかちんこちんだった。そのおにぎり五百五十個をかつぎ、九龍グループに突撃する琥珀さんと九十九さん。コブラを発見し、生コンの口直しにおにぎりをあげる。生コンとお手製おにぎりがコブラの体内でいい塩梅に作用し、かえって腹具合がすっきりした。
 よし、これで「コブラ生コン問題」は無事に解決だ。絶好調のコブラ&琥珀さん&九十九さんが大活躍し、壊滅する九龍グループ。

 じゃあ、「政府による無名街爆破セレモニー」をどうするかだが……。これについては、私ごときの発想力ではどうにもならん。もうさ、爆破の衝撃で、SWORD地区(主な登場人物たちが住んでいる地域の名)が島になっちゃう、ってどうかな。そして、大海原へとゆっくり旅立っていく。映画『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ監督)のラストシーンみたいに。あるいは補陀落渡海みたいに。登場人物たちを乗せて、SWORD島は夕日の彼方に消えていく。
 よっしゃ、これしかあるまい! うつくしいラスト!

 と思ったのですが、実際の『ハイロー3』は、当然ながら私の予想とはまったくちがいました。こっちの予想を軽々と超える展開を見せよった……! 個人的にずっと謎だったこと(「その空白地帯、なに? 皇居?」)も明らかになったし、非常に満足のいく大団円でした。
『ハイロー3』を見て一番痛感したのは、「ジャーナリズムの重要性」です。作中のジャーナリストは、いままでずっと寝てたか死んでたかしていたのか!? ほんとどうなってんだ、ハイロー世界は! と思ったのですが、現実社会への警鐘とも取れますね。権力がケツ持ちについてるジャーナリストは、ジャーナリストとは言わねえんだよ! と、琥珀さんなら義憤をこめて言ってくれそうです。権力にすりよったり、抱きこまれたりすることなく、まっとうなジャーナリズムを維持できるか、我々市民がそれを求め、応援できるかが、とても大切なんだなと改めて思いました。

 しかし、『ハイロー3』にはツッコミを入れたくなる点もむろんある。それが『ハイロー』イズムであり(そうか?)、『ハイロー』の愛おしいところでもあるのですが、このシリーズで私が最大の引っかかりを覚えるのは、時系列です。というか、作中の時間経過に関する疑問です。
 かねてより抱いていたこの疑問が、『ハイロー3』で最高潮に我が内心に噴出したのですが、(以下、ややネタバレですのでご注意ください)政府が隠蔽していた「あれ」。「あれ」が起きたのは、いったい何十年まえなのでしょうか。関係者が存命中なことを鑑みるに、せいぜい五十年まえとかですよね? 当時から付近に住んでいたひともいるでしょうし、なぜ「あれ」がまったく語り伝えられていないのか、これまで調べようとしたジャーナリストが一人もいないのか、不思議でなりません(まあ、作中のジャーナリストは全員寝てたか死んでたかしたのでしょう)。

『ハイロー』シリーズにはほかにも、時間感覚が私の体感・感覚とは異なるところが多々あり、MUGEN(琥珀さんが創設メンバーであるバイクチーム)が解散したのは、たった一年まえぐらいのことなの? そのあと、短期間で五つのチームが群雄割拠するようになり、いろんな喧嘩やら騒動やらがこれまた一年ぐらいのあいだに起きて、「イマココ」ってことなの? 作中の時間経過、速すぎるし濃密すぎないか!?

 いえ、時間に対する感覚はひとそれぞれですし、一人の人間のなかでも、たくさんの出来事が矢継ぎ早に襲来し、ものすごく時間が速く過ぎるように感じられる時期があるものです。私みたいにのんべんだらりとした日常を送っているものと、『ハイロー』の登場人物たちのように喧嘩に明け暮れ、ついには政府の陰謀に対峙せねばならなくなったひとたちとでは、時間経過の体感スピードもちがっていて当然でしょう。もしくは、使われている暦自体が現実とは異なり、『ハイロー』世界の一年は千八百日ぐらいある、という可能性も考えられます。
 だからまあ、時間経過/時間感覚が若干妙なのではないか、というのは、些細なことです。特に映画は、「どんどんさきに進む」のが特徴です。現在では、DVDなどで一時停止や巻き戻し(って、いまは言わないのか)をして見ることもできますが、基本的に作中のアクションは停滞することなく、ラストまで突っ走る構造を持っています(ここで言う「アクション」とは、ストーリーの展開や、登場人物の言動、感情の動きのことです)。『ハイロー』シリーズの時間経過も、「落ち着いて考えてみると、なんとなく腑に落ちないかも」という程度で、見ているときはあまり気になりません。

 舞台(演劇)についても、基本的には同じことが言えるでしょう。舞台は映画よりもさらに「一回性」が高く、巻き戻して見ることを前提として作られてはいません。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』も、時間経過におかしな点がたくさんある(主要な出来事が、なんと一日ほどのあいだに詰めこまれている、など)、と従来指摘されていますが、舞台を見ているときに、そんなことをいちいち考えるひとはほぼ皆無なはずです。たぶん、恋に落ちた若い二人に観客が思い入れられるよう、登場人物の感情の動きを周到に計算してあるからでしょうし、後戻りしたり停滞したりせず、「さきへ、さきへ」と物語を推進させる構造を持っているからでしょう。観劇中に、「ん? なんか変だぞ」と思わせる隙を与えず、終幕まで爆走するのです。

 ひるがえって、小説はどうかというと、実は映画や舞台よりも、時間経過に対する感覚が重要になってくる気がします。なぜなら小説の場合、後戻りや停滞がかなり頻繁に起こるからです。ここで言う「後戻り」や「停滞」とは、回想や登場人物の内心の独白のこととお考えください。

 小説では、ふとしたきっかけで何度も回想シーンが挟まれても、十五ページにわたって主人公が内心であれこれ考えていても(その間、作中の時間が一秒しか経っていなくても)、特に違和感はありません。小説内では必ずしも、時間は「さきへ、さきへ」とは進まないのです。現実の時間経過の体感とは、まったく異なる時間感覚に支配されているのが、小説表現です。
 しかしそれゆえに、時間に関する言葉選びなどをまちがえると、「ん? なんか変だぞ」と読者は我に返ってしまいます。小説世界を維持していた「時間の魔法」が解けてしまうのです。後戻りしたり停滞したりする、小説特有のフィクショナルな時間経過に、「おかしいぞ」と読者が気づいてしまうということです。

 前後の文脈も提示しないと伝わりにくいと思うのですが、たとえばですね……。一人称視点で、現在の「私」が、三十年まえの過去について語る、という小説があったとしましょう。


「わかった。じゃあ俺、爆弾の作りかたを検索しとくわ!」
と太田は言った。
「うん、頼む。俺は花火師のところに忍びこんで、火薬を拝借しとくから」
 私はもっともらしくうなずき、太田と手を振りあって別れた。

 あのときの私は、まったくどうかしていたとしか言いようがない。いまさら悔いてもしかたがないが、それが太田との最後になるとも、思いもしていなかった。

 あいだに一行アキがあるのがミソです。私の時間感覚からすると、この場合、「そのとき」ではなく「あのとき」としたほうがしっくり来ます。一行アキによって一呼吸置いて、太田との回想シーンから、三十年後の現在の「私」に時間軸が戻っているためです。三十年という時間の隔たりがあったのちに、「私」が過去を語っているのだということを際立たせるには、「そのとき」よりも「あのとき」がふさわしいと思うのです。
 もし、一行アキがなく、「私」の意識がいまだ三十年まえの回想シーンのなかにあるならば、


(前略)
 私はもっともらしくうなずき、太田と手を振りあって別れた。
 そのときの私は、まったくどうかしていたとしか言いようがない。これが太田との最後になるとも、思いもしていなかった。

 とするでしょう。
 視点となる人称や、語り手がいつの時点から、どのぐらいまえのことを語っているのかなどによって、「そのとき」なのか「あのとき」なのかをはじめ、細かい言いまわしについて、注意深く考えて書く必要があります。本当にちょっとしたことなのですが、時間経過/時間感覚に気を配るか否かで、「時間の魔法」の効果が格段にちがってきます。
 もうひとつ、例を挙げます。三人称単一視点だとして、


 太田は翌日の墓参りに備え、今夜は早めに就寝することにした。

 という文章があったとします。これは好みの問題もあるのですが、私はこの場合、「明日の墓参りに備え」とは、絶対にしません。なぜなら、太田視点の三人称(=かぎりなく太田の一人称に近い視点)とはいえ、三人称であるからには、ある程度の客観性(引いたカメラ位置)で、地の文を語る必要があると考えるからです。「翌日の」ではなく「明日の」としてしまうと、いくらなんでも太田の主観に寄りすぎではないか、と思える。
 もうひとつ、太田が存在する「現時点」は、「今夜」です。そこにさらに、「明日」という太田主観の時間感覚が地の文で入ってくると、「明日なのか今夜なのか、いまはいったいいつなんだ」と、読者は少々混乱するのではないか、と懸念されます。よって、この場合、私は「翌日の」を選択するのです。
 ちなみに太田の一人称だったら、


 俺は明日の墓参りに備え、早めに寝ることにした。

 とします。
 すんごく微妙な差異なうえに、読者や書き手それぞれの時間に対する感覚も異なるため、絶対の法則や正解はないのですが……。ただ、時間経過/時間感覚に関する言葉選びに自覚的になり、なるべく神経を配るというのは、小説を書く際には、とても重要なポイントではないかと思っています。

三浦しをん(みうらしをん)

東京都出身。2000年に「格闘する者に◯」でデビュー。2006年「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞受賞。2012年「舟を編む」で本屋大賞を受賞。最新刊は「ののはな通信」(KADOKAWA)、「愛なき世界」(中央公論新社)。

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