かける

「書きたい」あなたを応援するスペシャルコンテンツ

小説を書くためのプチアドバイス by三浦しをん

「小説を書きたい」すべての人必見のスペシャルコンテンツ登場!
「短編小説新人賞」の選者として、毎回投稿作品に対し、厳しくも愛情あふれるコメントを寄せてくれる
三浦しをん先生が、小説を書くために押さえておきたい「お作法」を教えてくれます。

第11回「セリフ力と描写力は、『近所のおばちゃん根性』でレベルアップ!」

 これまで、「推敲」「枚数感覚」「構成」「人称」「一行アキ」「比喩表現(主に『ハイロー』話だが)」「時制・時間感覚(主に『ハイロー』話だが)」について考えてきましたが、ほかに小説を書くうえで大事なことってあるか? ……たくさんある気もするけれど、なにしろ私自身が、理詰めでものを考えようとするとすぐに、「んぎゃー、無理!」ってなる派なので、もう思いつかないです。

たとえば、「セリフ」や「描写」は大事なポイントですが、登場人物の性格や作品の色合いによって決まってくる面が多いでしょうから、「こうするのがいい」と一概には言えません。なによりも、作者個々人の感性や好みやリズムによるところ大ですものね。「こうしてみたら」と言われても、なかなか反映や修正がむずかしい部分だということは、経験からもわかります。
「セリフ」「描写」に関しては、自分で自分の弱点に気づき、なんとかクリアすべく工夫を重ねるしかないと思うのですが、あくまでも「私の場合は」ということで、書いてみますね。もし、少しでもご参考になることがあれば幸いです。

 小説を書きはじめたころ、「どうも私が書く登場人物のセリフは、ぎこちないというか芝居がかってるな」と感じていました。創作物なのですから、「現実ではこんなこと言わんだろ」というセリフがあったって、もちろんいいのです(「きみを愛してる!」的な)。むしろそういうセリフがあってこそ、物語が盛りあがり、読者として胸キュンすることが多々あるのではないのか、諸君! と、なぜか演説調になるのであるが、しかし私が書くセリフはそんなレベルじゃなく、とにかくぎこちないことはなはだしい(気がした)。こりゃいかんな。なんとかせねば。

 そこで私が実践したのは、「電車内で他人の会話に聞き耳を立てる」です。それまでも、電車内で乗客の会話を聞くともなしに聞いているのが大好きだったのですが、よりいっそう本腰を入れて、耳をそばだてました。タヌキのキン○マぐらい広がった私の耳が邪魔で、満員電車がよりいっそう窮屈なものになってしまったことをお詫びします。

 その結果わかったのは、
「いわゆる『男言葉』『女言葉』は、現代の口語表現ではあまり使われていない(=性別や世代などで、しゃべりかたにそれほど明確な差違はない。ただし、相手との関係性によって、敬語はわりと意識したしゃべりかたをしている)」
「現実の会話は、けっこうあちこちに話題が飛んだり、肝心なところまで行き着かないうちになんとなく終わってしまったりと、決して理路整然とはしていない」

 ということでした。

 以降、セリフの語尾に気をつけて書くようになりました。女性の登場人物だからといって、語尾に「わよ」「よね」を多用したり、男性の登場人物だからといって、語尾に「だぜ」「さ」を多用したりするのは、古くさく感じられるうえに、ぎこちなさを醸しだす要因にもなるので、なるべく避けたほうが無難です。

 また、「現実の会話は、決して理路整然とはしていない」を、小説にどう反映するかですが、これはなかなか塩梅がむずかしいです。現実に倣いすぎて、ダラダラと無駄なセリフの応酬をつづけすぎてしまうと、「話がちっとも進まねえな」と読者をいらいらさせる危険性がある。かといって、セリフのみに頼ってぱっぱと話を進めると、「全部をセリフで説明すんのやめろ」と、これまた読者がいらいらしてしまう。
「無駄な(と一見思える)セリフの応酬がありつつも、実は会話を通して、もしくは会話をするあいだも、的確にストーリーが進んでいる」というのが、ベストな塩梅でしょう。

 小説内のセリフの応酬は、現実の会話よりも大幅に整理整頓されたものです。そうしないと、「無駄な会話ばっかり」という印象を読者に与えてしまうからです。しかし、「説明」や「段取り」のための、無味乾燥で事務的な会話になってもいけない。セリフの応酬が持つもっとも大切な役割は、登場人物の思いや考え、もっと言えば人格そのものをさりげなく読者に伝えることだと思います。

 ミュージカルを見ていると、ストーリーの途中で役者さんが突然歌いだすので、驚きます。会話していた相手が急に歌で応答してくることなど、現実にはまずない事態です。けれど、「現実ではありえないが、ときに会話が歌になるのが、ミュージカルでのお約束」です。すぐれたミュージカルは、歌を通してストーリーが展開していったり、歌によって登場人物の心情がより伝わってきたりします。小説のセリフも、同じなのではないでしょうか。

 現実の会話をよく観察(聴察?)し、それを文章表現としてどう落としこむか。セリフに関しては、「耳の感度」が非常に要求されるなと実感しています。ちなみに私は極度の音痴ですが、セリフと音楽は異なるので、意識して「聴察」と文章化に取り組むうちに、ある程度は「耳の感度」が鍛えられる気がします。音痴のかたも、どうか絶望なさらずに!

 次に、「描写」についてですが、これも観察が大事です。注意深く自他を観察し、目に映ったもの、感じた気持ちを、脳内でなるべく言語化するよう努める。言語化は「記憶すること」と密接につながっています。言語化することによって、情景や感情の記憶がどんどんストックされていくので、小説を書く際に、「あのとき見た景色のような」「あのとき感じた気持ちのような」と、脳内に具体的に思い浮かべることができます。それを文章に落としこむのが、すなわち「描写」なのではないかと思います。

 画家は、目に映ったもの、心のなかの思いを、的確に絵で描くことができます。目と手が直結してるというか、視覚情報を絵として出力する能力に、生まれつき長けているのだと思います。その能力をさらに高めるために、たくさんデッサンを重ねてもきたはずです。
 小説の場合も同様で、「目に映ったものや感じた気持ちを、ふだんから脳内で言語化する」のは、たとえるならデッサン力を高める訓練です。これを繰り返していると、いざ小説を書くとなったときに、情景や心情を文章で表現しやすくなります。

 ただし、言語は魔物でもあります。あらゆるものを常に脳内で言語化していると、非常に疲れるし、「ぎゃー!」と叫びたくなってくるので、無理はしないでください。
 私は物心ついたときから、起きてるあいだはのべつまくなし、一人でくっちゃべっており(心のなかで、ですよ)、「だからよく寝るんだな」とつくづく思います。寝ることによって、脳内の言語化作業を強制的に止めているのでしょう。「常に心のなかでしゃべってしまいがち」なひとは、休肝日ならぬ休脳日をもうけ、ボーッとする時間も大事です。

「セリフ」や「描写」は、各人の感性や好みやリズムによるところ大、と最初のほうに書きました。でも、訓練というか、意識して心がけることによって、けっこうなんとかなる部分も多いな、という気がしてきました。あと、「他者や自分自身に興味を抱けるかどうか」も、大切なのかもしれません。「なになに?」と好奇心まんまんで自他を観察し、その結果をくっちゃべる。つまり、「近所のおばちゃん根性」。小説ってもしかして、そういうものでできているんじゃないかと、この原稿を書いているうちに思い当たりました。

「近所のおばちゃん根性」で日々を楽しく観察し、小説に活かしてみてください。

三浦しをん(みうらしをん)

東京都出身。2000年に「格闘する者に◯」でデビュー。2006年「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞受賞。2012年「舟を編む」で本屋大賞を受賞。最新刊は「ののはな通信」(KADOKAWA)、「愛なき世界」(中央公論新社)。

短編小説新人賞 応募

関連サイト

e!集英社
コバルト編集部ブログ
ウルンジャー書店
マーガレットブックストア
ダッシュエックス文庫
ファッション通販サイト FLAG SHOP(フラッグショップ)