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小説を書くためのプチアドバイス by三浦しをん

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「短編小説新人賞」の選者として、毎回投稿作品に対し、厳しくも愛情あふれるコメントを寄せてくれる
三浦しをん先生が、小説を書くために押さえておきたい「お作法」を教えてくれます。

第17回「読むひとを高ぶらせる小説とは。その源となる『中二感』について」

 みなさま、新しい年をいかがお過ごしですか?
 私は昨年ようやく、「エモい」という言葉を覚えました。そのため、
「このライブDVDのここが超絶エモいから見て!」
 などと友だちに強要しては、
「ふふ、さっそく使いこなしてるね」
 となまあたたかい笑みを返されています。

 というのも、「エモい」って言葉が存在することに、私は自著の感想を検索していて、遅まきながら気づいたのです。何人かのかたが、「エモい」「エモかった」と書いてらして、「……はて?」と思いました。
「エモい」ってなんだろう。キモい的なことだろうか。もしや、「エッ、まじでキモい」略して「エモい」? やっぱりあたしのキモさが小説ににじみでてしまっていたのか……。
 そこで友だちに、「『エモい』ってなに?」と思いきって聞いてみたのでした。すると友だちは、
「うーん……、『高まった』とか『熱い』って感じかな。『エモーショナル』から来てる言葉だと思うよ」
 と言うではないですか。
「『エッ、まじでキモい』の略じゃないの? つまりそのぉ……、たとえば小説の感想として『エモい』って書いてあったら、それは肯定的なご意見と受け止めていいものなの?」
「……あんた、自分の小説の感想を検索してんの?」
「うん、まあ……」
 感想検索魔であることがばれてしまって恥ずかしかったですが、
「大丈夫。肯定的な感想だよ、たぶん」
 と友だちが言ってくれたので、ホッと安堵したのでした。
 そういうわけで、「エモい」の意味を覚えたわたくしは、日常で嬉々として活用しているのであります。若者ぶりたいお年ごろ。
 あ、私もしょっちゅうご感想を検索してるわけじゃありませんよ! ただ、新刊が発売された直後は、「どんなふうに読んでいただけたのかな~」と気になって、つい……。てへへ。

 さて、「エモい」を覚えたと言っても、その語義をいまだにふんわりとしかつかめていないのですが、「肯定的な感想だ(たぶん)」と友だちは言ってくれました。
 しかし、「エモい」という言葉が指しているのが、「高まった」「熱くなった」的なことなのだとしたら、「中二感満載で、読んでてちょっと頰が赤らんだけど、まあそこが悪くもなかった」とも言い換えられるのでは? という可能性も否定できず、「すみません、あたしの中二感がダダ漏れの小説になってしまってて!」とカッと赤面してしまうのでありました。
「エモさ」の実態が「中二感」なのか、両者が完全に重なるものなのかわかりませんが、今回は創作物における「中二感」について考えてみます。

「中二感」ってつまりは、「心がいつでも中学二年生=青臭い」ってことで、否定的に語られる局面も多いですよね。「あいつ、いい年して、なにをいつまでも青臭いこと言ってんだ」というニュアンスで。
 たしかに実生活においては、「いつまでも青臭い」は、「うざい」と紙一重だと思います。ぐうぅ、自分で書いてて傷つくなあ……。けれど創作物に関しては、実は「中二感」があることって、非常に重要なんじゃないかと思いもするのです。いや、自分の「中二感」まんまんぶりを弁護するわけではなく。

 なにかを積極的に表現したい、せずにはいられないのだ、という熱情に突き動かされて創作活動をしているひとは、残念ながら(?)、そもそも「中二感」まんまんな傾向にあるのではないでしょうか。そして創作物を楽しむときって、けっこうな割合で、創作物にあふれる「中二感=エモさ、青臭さ、わけのわからん情熱」に触れて、「すげえな」と胸を打たれたり感動したりしていませんか? 「いくつになっても、青臭さをぬぐえない」人類が、その青臭さを思いきり発揮し、堪能するために創作物があるのではないか。そんなふうに思うこともあるぐらいです。
 むろん、好みにもよりますし、作中にどのぐらい「中二感」を盛りこむか、塩梅がむずかしいところではあります。なにしろ「中二感」とは、とどめようとしてもダダ漏れてしまう青臭き奔流(?)なわけで、塩梅を意図的に加減しにくいものですからね。

 ただ個人的には、洗練されつくした創作物よりも、「青臭えー!」ってゲラゲラ笑っちゃいつつも、「なんか胸がキュンとする……! 恥ずかしくてだれにも言えないけど、わかる! こういう泥っこい部分、ある!」って感じられる創作物のほうが、好みなんですよ……。
 たとえば私は、『欲望の翼』という映画が大好きなのですが(ウォン・カーウァイ監督)、これは画面は大変オシャレで、洗練されています。しかし、構成がちょっといびつで、一本の映画として瑕がないとは決して言えません。でも、「エモい」としか言いようのない輝きと、映画でしか表現できない切なさ、質感、人物のにおいと色気にあふれています。そこがもう、たまらんの。
 レスリー・チャンが、会ったばかりのマギー・チャンに突然、「この一分、ぼくはきみといた。その時間をぼくは忘れない」的なことを言いだすんですよー。なに青臭いことをいきなり言ってんだ、レスリー・チャンじゃなきゃ許されねえぞ! って思うんですけど、まんまと胸キュンなんですわ。なにしろレスリー・チャンだから! そしてそのあとも怒濤の展開が繰り広げられるから!

 そう、創作物ってのは、現実をそのままなぞりゃいいってもんじゃないと思うのですよ。よく、「現実じゃありえない」「現実でこんなこと言うひとに会ったことない」とか言うひとがいますが、アホか、と。そんなに現実至上主義なら、もう一生、あらゆる創作物に触れなくてよろしい。ひたすら食ってうん○して寝ろ! そんな暴言を吐きたくもなってくるというものです。
 ときとして現実じゃありえないことを堂々とやってみせられるから、創作物は楽しいのです! 「ここぞ」というところで炸裂する青臭さを堪能してこそ、創作物なのです!
 そして肝心なのは、創作物もまた、この現実の一部として確実に存在しているものだ、ということです。現実至上主義のひとは、そこを履きちがえているように私には思えます。「現実にはありえない」「現実では言いそうにない」ことが創作物に描かれていたとしても、その創作物は現実に存在しているのですから、そこにはやはり、現実を生きる人々のなんらかの思いや願いがたしかにこめられているのです。それを「ありえない」と切り捨てるのは、その作品を作ったり味わったりした人々の思いや願いを切り捨てることと同じです。
 もちろん、「現実ではありえないかもしれないけど、こういうシチュエーション、こういうひとなら、こんなことを言ったり、したりしそうだな」と感じてもらえるように、創作物のなかでの「リアルさ」をいかに醸しだすかは、作り手の技量や責任にかかってきますが。映画『欲望の翼』は、そのあたりも非常にうまいと思います。青臭いんだけど、その青臭さが見事に作品の持ち味となり、さまざまな観客の胸に迫る普遍性を宿すことに成功しているなと。

 小説で言うと、文章の「色気」みたいなものは、「中二感」が発生源のような気がします。作品のテイストにもよりますが、あんまり現実のことばかり気にしてしまうと、ちょっと無味乾燥になりすぎるというか……。一気に飛翔する瞬間、つまり「高まり」の瞬間があったほうが、読者の心をぐっとつかめるのではないか、と思います。
 たとえば、「ここぞ」というところで放つセリフです。書いていて気持ちが高ぶったら、「現実ではこんなこと言わんな……」と躊躇することなく、かっこいいセリフを登場人物に言わせてしまっていいと思います。

 私は小説を書きはじめた当初、照れもあって、なかなか「決めゼリフ」的なものを登場人物に言わせられませんでした。しかし、場合によってはズバーンとストレートに、登場人物の思いをセリフにしてあげることも大事だなと、照れは振り切ることにしました。
 なぜなら、小説は文章でしか表現できないものだからです。人物の表情も、声も、質感も、目や耳にすることはできません。だから登場人物の情熱や思いを的確に読者にお伝えするためには、ときにオーバーなぐらい、キメッキメなセリフで直接的に表現することも必要なのです。「現実でこんなこと言うひとにお目にかかったことないけど、しかし作中でいまこの瞬間、この登場人物はそりゃあ、こう言うほかないよな!」と読者に思っていただけるよう、きわっきわのラインを狙って、熱き魂のセリフをぶちこむのです!
 ていうか、照れや恥じらいをかなぐり捨て、登場人物の心情にのみ忠実に寄り添って書いていると、狙わなくても自然に熱き魂のセリフが出てきます。……あたしが異様に「中二」度が高いだけかもしれないですが、たぶん出てくるのではと思います。

 あと、地の文。これも好みの問題になってきますが、私は地の文がどんどん高まっちゃって、ついに「歌いあげる」みたいになるところのある小説が、けっこう好きです。「けっこう」というか、「かなり」好きです。なぜならその瞬間、作者および登場人物の熱量に煽られて、自分も作品のなかに融けこむような陶酔の感覚を味わえるから。
 てなわけで、書いていて高まったら、もうその情熱に抗わず、地の文で歌いあげちゃっていいのではないかと思います。現実でいきなり歌いはじめるひとはそうそういないですが、そんなことは気にしなくていいのです。あなたが書いているのは小説なのですから、それが登場人物の思いを読者に伝えるのに最適だと判断したのであれば、だれはばかることなく青臭き奔流を叩きつけてください。

 むろん、書き終えたらちゃんと冷静な目で読み返し、「ここはいくらなんでも青臭すぎたな……」という箇所は推敲して、微調整してくださいね。以前にも申しましたが、小説は「深夜のラブレター」と同じです。青臭さが行き過ぎると、思いが空回って相手にうまく伝わらないばかりか、「エッ、まじでキモい」と引かれてしまうおそれがありますので。
 ぐうぅ、自分で書いてて傷つくなあ……。

三浦しをん(みうらしをん)

東京都出身。2000年に「格闘する者に◯」でデビュー。2006年「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞受賞。2012年「舟を編む」で本屋大賞を受賞。最新刊は「ののはな通信」(KADOKAWA)、「愛なき世界」(中央公論新社)。

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