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小説を書くためのプチアドバイス by三浦しをん

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三浦しをん先生が、小説を書くために押さえておきたい「お作法」を教えてくれます。

第21回 「小説を書くためのココが知りたい!」質問へお返事 【構想と構成の練りかた編】【キャラクターのつくりかた編】

 この二カ月ほどのあいだ、私はさまざまな苦難に見舞われました。苦難の内実は、不注意で左足の親指の爪が丸ごとバーンと剝げ飛ぶ→かばって歩いていたら腰痛になる→出張出張また出張→原稿ピンチ→三代目コン→原稿ピンチ→三代目コン→原稿ピンチって感じです。
「どういう不注意で足の親指の爪が剝がれるんだ?」とか、「苦難に陥った原因、主に三代目コンでは? つまり自業自得では?」とか、いろいろなご感想、ご意見があるかと思いますが、なにも聞こえないふりをしてさくさくさきに進めます。今回は「構想と構成の練りかた」について考えなきゃならんからな!

 エッセイでも小説でも、理想を言えば、「マクラ」の部分と本編にさりげないつながりがあるのがよしとされるのでしょう。このエッセイでいうと、「親指の爪が剝げる」とか「三代目コン、最高だったなー」とかが今後の展開に効いてくると、「構成がうまい」「伏線の張りかたがすごい」ってことになる。
 でも事前に予告しますが、今回の本編に親指の爪も三代目も登場しません。それも当然だろう。手の親指の爪だったら、まだしも執筆の際に影響があるが、剝げたのは足の親指の爪だ! あと、三代目と知りあいじゃない! よって、「今後の展開」に絡んでくるはずがないのだ。「マクラが浮いてる」とか「伏線が機能してない」とか「構成の失敗」とか言われるかもしれんが、なんとなく近況報告として書いただけなんだ!
 率直に言って、私はなんでもかんでも「伏線」を重視する昨今の風潮には賛同しかねます。人生に伏線などない! それに、創作物の伏線って、だれか(作者)が意図して張っているものであって、そりゃ「すごい」「うまい」とは思うけど、それ以上の「なにか」は、むしろ伏線ではない部分から感じることのほうが私は多いのだが。
 いや、もちろん推理小説で伏線がなにひとつなかったら、「おい!」って思います。「いくらなんでも唐突だしフェアじゃないだろ!」と。しかし、私が推理小説を読んでいて最も胸打たれるのは、なんということのない情景描写だったり、探偵と助手の人柄がうかがえる会話だったり、犯行に至る犯人の心情だったりするのです。それらがあってこそ、トリックの斬新さや犯人当てのスリルが際立つわけで、べつに伏線に感動してるわけじゃない気がするんだよなあ、と個人的には思います。
 これは好みの問題なのかもしれません。たとえば映画『マグノリア』を見ても、私はほとんどピンと来なかった派なので……。「構成すごいな」「なるほど、伏線」とは思うけれど、頭の片隅で「だからなんだってんだよ!」とちょっと憤慨してしまった……。構成や伏線なんて、脚本でいくらでも「作れる」というか(実際うまく作ろうとしたらすごくむずかしいですが)、「そんなの書き手の胸先三寸じゃない?」「登場人物が伏線に奉仕させられてるみたい」と感じられしまって、諸手を挙げて「好きな映画」とはあまり思えなかったのです。公開時に一度見たきりなので、いま見返したらまたちがう感想があるかもしれないですが。あ、トム・クルーズの演技はいいなと思った覚えがあります(なにさま)。
 もちろん好きなタイプの伏線もあって、最近だと映画『HiGH&LOW THE WORST』です(以下、ネタバレですので未見のかたはお気をつけください。あと、まじでサイコーな映画なので、未見の人類全員におすすめします)。
 轟くんが絶望団地の喧嘩で石を投げた瞬間、私は(心のなかで)スタンディング・オベーションしました。なんという見事な伏線回収! まさか、あのシーンとこのシーンがつながるとは! とテンションが天元突破の勢いでぶち上がりました。
 しかしこの伏線は、もともと脚本にあったものなのかどうか、映画を見ただけでは断定できない(『ハイロー』シリーズのシナリオ集と設定集と制作ドキュメンタリーDVDの発売をいつまでも……、待ってます琥珀さん!)。轟くんのキャラクターも勘案して、喧嘩シーンの撮影中に現場の判断でつけ加えたものかもしれないな、という気がして、そこも好ましいのです。つまり、脚本上でガチガチに「作った」のではなく、登場人物のパッションの高まりによって自然と出てきた行いなのだ、と見えるように撮っているし、役者さんもそういうふうに演じている。それが同時に、見事な伏線回収にもなっている。むちゃくちゃ品がいいし(やってることはボコボコの殴りあいですが)、「作品に奉仕する登場人物」ではなく、「登場人物が生きる世界として作品がある」という姿勢なんだなと感じられて、こういうのが私にとっては「好みの伏線」なんだよな、と思ったのでした。

 なにを申したかったかというと、「伏線のありようについては個々人の好みもあるし、あまり気にしなくていいんじゃないかな」ということです。ただし、「下手くそであるがゆえに伏線が張れない」というのはダメです。「張ろうと思えば張れるけど、キメッキメに伏線を張りすぎるのは自分の好みではないので、あえてゆるめにしておく」といったように塩梅できてこそ、書きたい小説を自在に書ける境地に至れます。
 え、私……? できません、そんなむずかしいこと! 「なら他人に求めるな」っちゅう話ですが、その境地に至れるといいなと思って、日々考えてることはあるので、今回はみなさまからお寄せいただいたご質問をもとに、「構想と構成の練りかた」について書いてみます。


 伏線の張りかた、塩梅について教えてください。(あめ。さん)

 伏線の塩梅については、前述のとおり好みがあるので一概には言えませんが、伏線の張りかたは、「構成をどう立てるか」と非常に深く関係してくるのではないかと思います。あと、書き手の「客観性」も伏線と関係あります。書いたあとにちゃんと読み返して、「あ、ここにさりげなく伏線張ると、効いてくるな」とか、「ここで伏線張ろうと思ってたのに、忘れてしまってたな」とか、気づいて判断するのはすごく大事です。
 伏線についてなにも企まずに書いた小説を、「そうだ、大規模に伏線を張って、ラストで大どんでん返しをしよう」と、たとえば第一稿を書き終えた段階でプラン変更するとなると、相当の魔改造が必要になってきます。たぶん、その小説は改造手術に失敗して死亡するでしょう……。「大どんでん返し」系を志す場合は、あらかじめきちんと構成を立てたほうがいいと思います。
 ただ、小さな伏線については、あとから原稿を修正したり、書いているうちに思いついてちょこちょこ手直ししたりで、わりとなんとかなります。「伏線がすごくうまく効いてるな」という作品の大半は、もちろん「伏線を効かせるタイプの作品にしよう」って構想は当初からあるはずですが、たぶん書きながら、あるいは書き終えてから、細かい部分の伏線の調整を繰り返して、ベストの効き具合に着地させているのではないかと推測します。
 なぜかというと、書き手の生理として、なにもかもガチガチに決めてから書いても、なんも楽しくないからです。楽しくないものは、書き進められない。「こんな感じかな~」とアイディアを練っておいて、あとは書きながらうきうきと肉づけし、修正していく、というのが通常なのではないかなと思うのです。
 具体例を挙げたいところですが、私はキメッキメの伏線を張りめぐらした小説って、ほぼ書いたことがないのです……。かといって、ほかのかたが書いた作品について、私ごときがしたり顔で解説することなどできない。
 しょうがないから、自作のなかで『あの家に暮らす四人の女』と『むかしのはなし』と『風が強く吹いている』を例に、どういうふうに作っていったのかを説明します。また自作についてネタバレせねばならんのか……(涙)。まあいいや。何度でも申しますが、小説で肝心なのはネタがバレてるかどうかではなく、文章とか語り口です!(必死感) 「もうネタはわかったから、読まなくていいや」とか、そういうことはないと思うんですよね!(壮絶なる必死感)

『あの家に暮らす四人の女』は長編です。この話は、「谷崎潤一郎先生の傑作『細雪』を現代風にアレンジしたら、どうなるだろう」という思いつきが取っかかりでした。我ながら大胆かつ無謀な取っかかりだ。
 そこから「構想」していったわけですが、私はかねてより、谷潤先生の小説の醍醐味は「語り口」にあると感じており、『細雪』の場合、「語り手はだれなんだ問題」がすごくおもしろいと思っていました。『細雪』は完全なる三人称(神の視点)で地の文が書かれているようでいて、実はちょっとブレる瞬間がちょくちょくある。そのブレが、「ん? もしかしてこの話、次女の幸子の夫・貞之助が観察して語ってるんじゃないかな?」と思わせるものになっていて、非常に刺激的かつスリリングなのです。
 そこで、『あの家に暮らす四人の女』でも、「語り手はだれなんだ問題」を中心に据えることにしました。『あの家~』も、完全なる三人称(神の視点)のようでいて、実は語り手(観察者)がいた、というつくりにしよう。具体的には(以下、ネタバレです)、主人公の亡き父親が霊魂となって、四人の女たちの暮らしを観察し、語っていた、というつくりにしよう、と考えました。これは、どういう人称を採っても人工的にならざるを得ない、「小説の語り」問題を最低限クリアする手段としても、けっこういいアイディアではなかろうか(うまく効いてるかどうかは、読者それぞれのご意見があると思います)。
 ここまで構想するのに、取っかかりを思いついてからたぶん三秒ぐらいです。当然、頭のなかでモヤ~と考えただけで、メモも取っていません。
 つぎに、『細雪』になぞらえて登場人物を配置し、それぞれの設定をざっくり考えていきました。名前、年齢、職業、境遇などです。私は、登場人物の誕生日や血液型、容姿などはめったに考えないですが、作者によっては、そのあたりも細かく考えておくかたもいらっしゃるようです。
 登場人物については、私は手書きでメモしています。手を動かしていると、「ああ、この登場人物は、こういうひとなんだな。じゃあ、こんなエピソードがあるといいかも」と、なぜかいろいろ思いつくことが多いからです。
 四人の女がどういう感じのひとか、どんな家に暮らし、どんな生活を送っているのか、家の間取りなども描いて、おおまかな設定はできました。これで、この小説の構想は終わりです。
 綿密な構成は立てませんでした。というのも、本家の『細雪』って、わりとダラダラしてるというか(と言うと言葉が悪いですが)、一見、なにもドラマが起きていないように思える。しかし淡々とした流れのようでいて、実は語りの妙によってうねりが生じている、というタイプの小説だと思ったからです。なので、構成をきっちり立てすぎずに書いてみよう、とまたも無謀なことを試みることにしたのでした。
 私が『細雪』で印象的だったのは、水害のシーンと妙子の恋愛沙汰と長大な小説が雪子の下痢エピソードで終わること(斬新すぎるよ、谷潤先生!)だったので、それらの点については、『あの家~』でも踏まえよう。構成(エピソードの配置)で気をつけたのは、そのぐらいです。あとは構想(着想、設定、企みといったようなもの)どおり、「この話を語っているのは、実は主人公の父親だった」ということを、どの段階でどういうふうに明かせば一番効果的か、に神経を注げばいいだろう、と。
 で、実際に書きはじめたのですが、連載第一回目の情景描写でカラスを書いたとき、「むむ?」と思った。「このカラス、ただものではないな」と。構想にも、ざっくりした構成にも存在しなかったカラスなのですが、「なんでか知らんが、こいつ、しゃべりたがっている……」という感覚がありました(頭の調子がおかしいのでは、と案じられるかと思いますけど、いつもこんな感じなので、たぶん大丈夫です! いつもなのか……。それって大丈夫ではない……、げふげふ)。
 そこで急遽、頭のなかで構想を再検討。いきなり「主人公の父親が語り手」と明かすのではなく、「三人称神の視点(のように見える)から、一人称カラスの視点へと、語り手のバトンタッチを一度しておいたうえで、最終的に『主人公の父親が語り手でした』と明かす」ほうが、「小説の語り手問題」を追究してるんですよ、と読者に目配せするという意味で、より効果的だろうと判断しました。
 そういうわけで、『あの家に暮らす四人の女』は、「三人称(神の視点)→カラスの一人称→三人称(神の視点)→神の視点と思われた語り手は、実は主人公の父親だった」というつくりになったのです。
 だいたいは当初の構想どおりなのですが、「カラスが語りだす」というのは、実際に書きはじめてから思いついた仕掛けです。ただ、思いついたのは連載第一回という、かなり冒頭のほうを書いているときだし、その後も書きながら、「本当にカラスに語らせていいのか? そうではない場合もうまく話が進むよう、保険はかけておこう」と、「カラスが語るバージョン/語らないバージョン」のどちらでも行けるよう、頭のなかで調整はしていました。結局、カラスからの「俺にしゃべらせろ!」という圧がすごくて、「カラスが語るバージョン」のルートを採った、という感じです。
『あの家~』の目論見が小説として成功しているかどうかは、読者それぞれのご意見に委ねますが、つまり「三秒ぐらいの構想をもとに、長編は書ける」ということです。また、「ガチガチに構成を立てなくても、途中で思いついたことを小説に組み入れることは可能だし、むしろそのほうが書いてて楽しい場合も多い」ってことです。カラスからの圧に負け、ついに語り手の座を明け渡したとき、「これ、どんな展開だよ! アホか自分! むっちゃ楽しいな、おい!」って書きながら思いました。
 とにかく、あんまり堅苦しく考えすぎず、書いていて「楽しいな」と感じられる方向に進めばいいのではないかと思います。

 ここまでは、構想重視で、構成はわりとざっくりなパターンでした。しかし、ざっくりだと書けないタイプの小説もあります。
『むかしのはなし』を例に説明します。これは短編と中編から成る連作で、各話が連関していることが読んでいくうちに判明する、というつくりになっています。
『むかしのはなし』を書くきっかけは、編集さんから、「昔話を題材に小説を書いてください」と依頼されたことでした。「じゃあ、『どういう出来事が、物語として後世に語り伝えられるのか=昔話が発生する瞬間』について考えてみよう」と構想(発想)しました。
 同時に、我々がよく知っているいくつかの昔話を下敷きに、まったく新しいストーリーを考え、なおかつそれらがゆるやかにつながりあって、各話はもちろんのこと、全体を通して読むと一冊まるごとが「昔話が発生する瞬間」になっている、というつくりにしようと思いつきました。
 では、どんな事態が生じたら、それが「物語として後世に語り伝えられる」のだろうと考え(以下、ネタバレです)、「もうすぐ地球に隕石が衝突し、助かるひとはごくわずか」という設定にすることにしました。
 わたくし、大江健三郎の『治療塔』シリーズや安部公房の『方舟さくら丸』が好きでして、地球滅亡って聞くとときめいちゃう性質なのです。さまざまな創作物で扱われてきた設定ではありますが、「まあ、『むかしのはなし』で肝心なのは、地球滅亡ではなく『昔話の発生』の部分だから、SFに疎い私でもなんとかいけるだろう」と大胆かつ無謀な判断をいたしました。
「昔話の発生」について考えてみよう、と思いついてから、ここまで構想するのに、たぶん三分ぐらいだったと思います。でも、『むかしのはなし』の場合は、構成もきちんと立てておかないとうまくいかないな、という気がしました。
 そこで、「下敷きにする昔話の選定」「その昔話を、どんな話に書き換えるか」「各話をどう連関させて、『地球に隕石衝突』へと話を持っていくか」といった構成を考えました。連載ではなく書き下ろしだったので、わりとじっくり、何日かかけて構成を立てた記憶があります。
 この欄って、写真も載せられる仕様なのかな……。文章で説明するのが非常に面倒くさいので、当時の構成を写真でご覧いただければと存じます。


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「ボロボロじゃねえか!」「その犬の絵はなんなんだ!」と思われると思いますが、お気になさらず……。
「構成を立てた」と言っても、このようにノート一ページに収まる程度です。しかも、収録されている『花』という短編は、当初の構成にはなく、「枚数たりないかもな」と思って、あとからつけ加えました。「ガチガチに決めておかず、微調整でなんとかする戦法」が、ここでも炸裂したわけです。いいかげん……。
 各話のつながりを示したのが、右の中段あたり、楕円みたいになっている部分です。これを「地図」にして、書き進めていきました。思いついたセリフやエピソード、設定も、このページにそのつどメモしておきました。
 構成をどの程度固めておくかは、書こうとしている小説や書き手の持ち味によって異なってくるので、「絶対にこうするべし」というセオリーはありません。『むかしのはなし』の場合は、「ちょっとした一言」「ちょっとしたシーンや設定」が、べつの話とつながっていた、というつくりになっているので、「どこがどうつながっているのか」という屋台骨の部分だけはがっちりと構成を立てておき、各話それぞれの細かい部分は、実際に書いているときのテンションに委ねております。
 ノート一ページぶんの構成でも、こまごまとした伏線はわりと張れるし、「昔話が発生する瞬間を書く」という構想が自分のなかでブレなかったので、各話をどういうストーリーにするか、けっこうさくさく思いつけたなという感じです。

 けれど、ノート一ページの構成では到底たりないケースもあります。たとえば、『風が強く吹いている』です。
 これは、「みんなでがんばって箱根駅伝出場を目指すぞ!」という小説で、構想もこの一言に尽きます。もう、「構想ゼロ秒」って感じの、きわめて単純なストーリーラインです。しかし、ストーリー展開が明快だからこそ、構成はここには載せきれないほどきっちりと、あらかじめ細部まで決めてから書きました。
『風強』(と略す)は、構想と構成がほぼ同時に頭に浮かび、それをもとに取材を進めつつ、少しずつ書いていきました(これまた連載ではなく書き下ろしだったので、時間は充分に取れました)。
 まず、「弱小チームががんばって、箱根駅伝出場という目標を成し遂げる」という構想が浮かんだ。『がんばれ!ベアーズ』や『シン・ゴジラ』も、要約すれば同じタイプの話で、まあ物語の常道ですよね。お話を思いついたとき、「ありがちかな」って悩みすぎなくてもいいということだと思います。「ありがち」な話が、なぜ「ありがち」なのかといえば、多くのひとの胸を打つ「なにか」がそこにあるからです。
「金持ちがさしたる努力もせず、より金持ちになりました」って話を、だれが読みたいでしょうか。いや、それはそれでおもしろい気もするけど、やっぱり、「弱小チームが、いろいろあったけどついに団結して、夢をかなえました」ってほうが、大半のひとは思い入れられるはずです。だから、「ありがち」な話はいつの時代も生みだされつづけ、その結果、「ありがち」な話と言われるようになったのだと思います。
 大事なのはやはり細部で、チームのメンバーはどんなひとたちなのか、「がんばる」ところにどれだけ真実味を持たせられるか、語り口や文章がどういう味わいなのか、などではないでしょうか。『がんばれ!ベアーズ』と『シン・ゴジラ』は傑作かつ同じ構造(「弱小チームががんばって目標を達成できるのか否か」)を持っていると私は思いますが、しかしこの二本の映画を見て、「作風が似てるなあ」という感想を抱くひとはたぶん皆無でしょう。私も「似てる」とは思いません。語り口や見せかたがまったく異なるからです。作品の個性や美点は細部にこそ宿るのです。
『風強』の場合、主人公チームのひととなり、どんなバックグラウンドがあって、お互いの関係性はどんな感じなのかを、細かく設定しました。


 魅力的なキャラクターをつくるには、どうしたらいいでしょうか。(サノさん、ほか)

 といったご質問が多数寄せられており、これも明確な回答はない、とてもむずかしい問題なのですが、コツはたぶん、「対照性を持たせる」です。メインキャラクターの一方が「明るい性格」なら、もう一方は「暗めの性格」にする、といったことです。
『風強』でいうと、主人公の一人である「灰二」は、「だれかに強制されて走っても、絶対に強くなんてなれない」という信念の持ち主です。言語能力が高く、言葉巧みにチームのメンバーを丸めこむ策略家の一面もあります。
 対して、もう一人の主人公である「走」は、「だれかに強制されて走るのはこりごりだけど、じゃあどうすればいいのかわからない」と迷いのなかにある子です。走ってばかりいたので、いろいろ感じてはいるんだけど、うまく言葉に表せない。そのため灰二に丸めこまれがちで、「いや、あんた無茶だろ!」と遅れて気づく始末。灰二と走に対照性があり、たまに走が灰二に反発してくれるので、そこにドラマ(葛藤や盛りあがり)が発生しやすい仕組みになっています。
 さらに、走のライバル「榊」がいます。この子は、「自主性に委ねるなんて、甘っちょろい。勝利のためなら、血反吐を吐いてでも厳しいトレーニングを重ねるべきだ」という信念の持ち主で、迷いのなかにある走に揺さぶりをかけてきます。灰二と榊という、真逆の信念の持ち主が、走をオルグしようと綱引きしている構図で、ここにも対照性があるので、ドラマが発生するというわけです。
 こういう感じで、何重にも響きあうように対照性(あるいは親和性)を持たせて、各登場人物を設定、配置していくことで、それぞれの人物が際立つし、「なるほど、走は灰二に対しては、こういう態度を取りがちで、この段階ではこんなふうに思ってるんだな」といったように、書いているときに性格をつかみやすくなるのではないかと思います。
 あと、思いきって作者自身とはまったくかけ離れた思考、感性、性格の人物も登場させてみる、というのもいいかもしれません。自分の分身的な登場人物ばかりだと、どうしてもバリエーションが少なくなってしまいますから。あまり手の内を明かしたくないのですが、『風強』でいうとキング、『舟を編む』でいうと西岡は、個人的に共感はできますけれど、私自身のなかにはあまりない感性の持ち主だな、と思いながら書きました。でも、だからこそ、「まったくの別人」になりきる楽しさがあって、書いているうちに深く思い入れてしまったのも事実です。「自分に似たひと」だけでなく、「自分とはまったく異なるひと」を書いてみると、その登場人物が思いがけず生き生きとしはじめる、ということはあり得ますよ~。
 さて、各登場人物の設定や関係性を決めたら(これは「構想」の範疇でしょう)、つぎは具体的な構成です。
 箱根駅伝は往復十区間から成るので、小説も十章立てにしようと考えました。十章プラス、プロローグとエピローグです。なにしろストーリーラインが明快な話なので、どの章にどんなエピソードを持ってくるかも、さくさく決められました。実際には各章ごとに、「ものすごく詳細なあらすじ」を書きましたが、かいつまむとこんな感じです。

 
プロローグ出会い
一章登場人物の紹介
二章箱根駅伝を目標に掲げるまでのすったもんだ
三章ひーひー言いながら、みんなでトレーニング
四章記録会に挑戦
五章夏合宿
六章小休止(予選会という山場を控えて、これまでの総括と、今後の展開への引き)
七章予選会に挑戦
八章一波乱(本選出場という大一番を控えて、軋轢と再度の団結)
九章本選(往路)
十章本選(復路)
エピローグ余韻(登場人物たちのその後)

 これまた壮絶なネタバレなのでは……。まあいい! 小説っちゅうもんは実際に読んでみなきゃ、おもしろいかおもしろくないかなんてわからんもんだ!(悲愴なる必死感)
 章立ては順調に決まったのですが、この構成に基づいて取材したり調べたりするのが大変でした。「実際の練習メニュー」「どんな合宿をしているか」「予選会や本選へのエントリー方法」「どういうレース展開にしたら、意図したとおりのストーリー運びになるか」などなどなど。特にレース展開については、作中で試合に出場する全チーム、全メンバーのタイム表を作り、それをもとにダイヤグラムみたいな図も作成して、「A地点で○秒差だったのを、B地点でひっくり返す」といったように、すべて細かく設定しました。
 もう一度同じことをしろと言われても、「ノーサンキュー」と断る。それぐらい苦難の道で、「本当に書き終えられるのかな」と泣きそうでしたが、まあなんとかなるものです。あと、架空のレースを微に入り細を穿って構築するのは、「俺、もしや神になったのか?」って感じで、ちょっと楽しくもありました。実際には走るのが大の苦手でも、小説を書いてるときだけは、選手にも監督にも観客にもなれる……! 心躍る体験でした。
 章立てもレース展開も決めてしまえば、心強い「地図」を手にしたも同然ですから、あとはひたすら書いていくのみです。ストーリー展開が単純明快で、道のり自体には迷いやブレが生じようがない状態まで準備したので(構成と取材)、書くうちに各登場人物のセリフなどもスムーズに思い浮かびました。
 心がけたことといえば、かれらは青春のただなかにあるので、「なるべく文章をきらきらさせる」ぐらいです。以前にも申しましたとおり、私は放っておいても中二感まんまんなので、「臆面もなくきらめきを炸裂させて謳いあげる」のはわりと得意分野なのでありました(いまはもう無理ですが、『風強』を書いたときは二十代で、ピッチピチでしたしね……)。

 またも長くなってしまい、すみません。
 まとめますと、「構想」も「構成」も、あらかじめどのぐらい固めておくかは、作品や作者の持ち味によりけりですが、まったく「構想」も「構成」もないまま、漠然と書きだすのは絶対にやめたほうがいい、というのが私の実感です。特に小説を書きはじめたばかりのころは、ある程度明確な目論見(構想)か、ストーリーの地図になるような構成か、どちらかは(あるいは両方とも)あったほうが、安心して書き進められると思います。
 どのように発想し、どう構成を立てるかは、今回記したとおりですが、あくまでも「私の場合は」なので、参考になりそうなところがもしあったら活用していただきつつ、ご自分のやりやすい方法を探ってみてください。

 これにて、「質問へのお返事」シリーズは終了です。すべてのご質問にお答えしきれず、申し訳ありません。
 改めまして、質問を寄せてくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。少しでもご参考になれば幸いです。

 みなさまからのご質問を拝読して感じたのは、「小説を書くことに、ちょっとお疲れ気味のかたが多いのかな」ということです。
 そのお気持ち、すごくわかります。私もいつも、
「小説を書いていて楽しいのはどんなときですか」
 と聞かれても、
「ないです」
 って答えてます。「アドレナリンがいい感じに出るのか、登場人物が憑依したみたいに恍惚状態になるときはありますが、五作に一瞬ぐらいの頻度です」と。
 でも、みなさまからのご質問について考え、「自分はどういうふうに書いていたっけな」と思い返しているうちに、気づくことができました。書いているときは苦しいことばっかりだと思っていましたが、そして事実、そのとおりなのですが、それでも私、「こうしたらどうだろう」とあれこれ考えながら小説を書くのが好きだし、けっこう楽しんでもいるな、と(カラスがしゃべりだしたり、自分とはかけ離れた登場人物に思い入れたり、レース展開を思いのままに捏造したりしているとき、たしかに楽しかった)。
 小説を書くことにお疲れになったら、ちょっと休めばいいと思います。無理をしたり、「こう書かなきゃならない」と自身に制約を課したりは、決してなさらないでください。
 休んだらきっとまた、「書きたいな」という思いが湧いてくるでしょう。そのときに楽しみつつ、けれど渾身で登場人物や設定や構成などについて考えながら、心の赴くままに書けばいいのだと思います。
「対象について飽くなき執念で考えつづけられる」というのが、「好き」の実相ではないでしょうか。恋に落ちたとき、輝くアイドルに惚れこんだとき、夕飯に好物が出ると判明したとき、みなさんはもう、そのことしか考えられない状態に陥るはずです(ちなみに私はいま、『HiGH&LOW THE WORST』のことしか考えられない状態です。最低でもあと五回は映画館でキメねえとな!)。「好き」とはたぶん、そういうことなのです。
 お互い無理をせず、気持ちが乗ったときに、楽しみながらあれこれ考えて小説を書いていくようにいたしましょうね!

三浦しをん(みうらしをん)

東京都出身。2000年に「格闘する者に◯」でデビュー。2006年「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞受賞。2012年「舟を編む」で本屋大賞を受賞。近著に「ののはな通信」(KADOKAWA)、「愛なき世界」(中央公論新社)、「のっけから失礼します」(集英社)。

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