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小説を書くためのプチアドバイス by三浦しをん

「小説を書きたい」すべての人必見のスペシャルコンテンツ登場!
「短編小説新人賞」の選者として、毎回投稿作品に対し、厳しくも愛情あふれるコメントを寄せてくれる
三浦しをん先生が、小説を書くために押さえておきたい「お作法」を教えてくれます。

第23回 短編小説は「キレと余韻」、長編小説は「構成力」が肝になる!

 年明け早々に長期出張が入っていたためもあり、なんだかバタバタしてしまって、この一カ月強の記憶がありません。私の二〇二〇年はすでに訪れているのか?(訪れてるよ)
 意識が去年に置き去りにされているらしく、自宅の食料棚を漁っていて、「二〇一九年二月」が賞味期限のカップラーメンを、「おっ、期限が切れる寸前のラーメン発見! ラッキー!」と食べてしまいました。いや、一年近くまえに賞味期限切れてるよ! おなかを壊すこともなく、おいしくいただきましたが、私の腹が異様に頑丈という可能性もあるので、みなさまはお気をつけください。いまは二〇二〇年です。
 自分が西暦何年を生きているのかも忘れがちなので、しかたがないことなのかもしれませんが、わたくしもうひとつ重要なことを忘れていました。
 そういえばこの連載、「短編の書きかたについて考えてみよう」というところからスタートしたんだっけ!
 にもかかわらず、最近は短編に特化しているわけでもないことを取りあげすぎてしまったかもと反省です。でも、短編も長編もあまり変わらないとも言えるから、まあいいか(出た、ポジティブシンキング!)。

 五十枚であっても、五百枚であっても、お話しを作りあげる際に大切なのは、「慣れ」です。
 アナウンサーは、「三十秒でコメントしてください」と言われれば、必要な情報を盛りこんで、きっかり三十秒で話すことができるらしい。これはきっと、常に秒単位で時間を意識し、なおかつ、「私は一秒で三文字しゃべれる。しかし視聴者にとって聞き取りやすいのは、一秒二文字のペースだろう」と(文字数はテキトーです)、自分のしゃべりの速度や能力、滑舌などを把握したうえで訓練を重ねているからでしょう。
 小説も同様で、コツコツと書いて、ひとつの話を完結させることを繰り返しながら、「なるほど、五十枚(あるいは五百枚)ってのは、こういう長さなんだな」とご自身の体(脳)に感覚を染みこませてあげるのが肝要かと思われます。そうすれば、つぎに書く際、「五十枚(あるいは五百枚)だから、こういう話にして、こんな展開にすれば、うまく枚数に収まりそうだな」と見当がつくようになるでしょう。

「慣れる」ことと並行して、これまでの回で説明してきたような、「人称や文章(文体)をどうするか」「どんな構成にするか」「どういう登場人物にして、どう配置するか」などのスキルを磨いていくことも大事です。つまり、書きたいなと思っている小説について、とことん「考える」。
 いかに訓練を積んだアナウンサーであっても、なんの情報も原稿もない状態で、「三十秒でコメントしてください」と言われたら困惑するでしょう。そのため、事前に簡単な原稿を作ったり、メモをしたり、情報を集めたりするはずです。そのうえで、「コメントのなかでなにを強調し、過不足なく情報を伝えるか」を検討して、心づもりができてからコメント収録に臨むのだと思われます。
 小説を書く際も同様で、「五十枚(あるいは五百枚)でお願いします」と言われたら、人称や文章(文体)をどうするのがベストか考えたり、構成を立ててみたりと、心づもりしてから臨むのが肝心です。闇雲かつがむしゃらに書きはじめるのではなく、自分のなかで曖昧に蠢いているものを、どうしたら小説という文章表現として実体化させられるのか、工夫し戦略を練ってから取りかかる。思考と実践を繰り返す習慣をつけると、「枚数に応じた、ベストな物語」が思い浮かびやすくなる気がします。

 と書いていて気づいたのですが、五十枚(あるいは五百枚)で「なにを書きたいのか」ということが、一番の根幹となってくるかもしれませんね。では、どうすれば自分のなかに眠る「書きたいこと」を見いだせるのでしょうか。
 私の場合は、ちょっとした「気持ち」が取っかかりになることが多い気がします。自分ではあんまり気づいていなかったのですが、どうやら私は感情過多な傾向にあるようでして、「いやあんた、しょっちゅうぷんぷんしたり、『この作品が素晴らしいと思うんだよ!』って感激したりしてるよ」と友だちに指摘され、「そういやそうだな」と赤面しました。
 実生活において感情過多なひとがそばにいたら、暑苦しくてほんといやだろうと思うのですが(なので私は、だれのそばにもなるべくいないように心がけています)、「気持ちが(正の方向でも負の方向でも)高まる」「感情を揺さぶられる」瞬間に、「そうだ、今度はこういう小説を書いてみるのはどうかな」とアイディアが浮かぶことがけっこうあります。「自分がどんな気持ちになったのか。それはなぜなのか」を記憶しておくと、小説に活かせるのではないかと思います。
 個人の感情面を掘り下げてみるのは大事で、まあぶっちゃければ、自分自身のなかにひそむルサンチマンとか怒りとか、あるいは喜びとか感動とか「こうなるといいな」という希望とか、そういった「気持ち」のなかに、物語のタネ、小説を書かずにはいられない原動力のようなものが眠っています。その意味では、感情過多も悪いことばかりではなさそうです。ま、身近にいるひとにとってはまじで迷惑だろうから、ぷんぷんはなるべく控えたいですが。
 もちろん、感情面を取っかかりに考えていくのが苦手なかたもおられるでしょう。その場合、やはり「考える」ことが大事だと思います。自分について、友だちや家族などの身近なひとについて、町でふと見かけた光景について、社会について、この世のありとあらゆることについて、気になることがあったらいろいろと思いめぐらし、調べ、考えつづけるのです。そこからきっと、「ああ、私はこういうことを書きたいんだな」という物語のタネが芽生えていくでしょう。
 アナウンサーは、残酷で理不尽な事件や、愛らしい子パンダ誕生のニュースなどを伝えねばならないですよね。そのとき、アナウンサー本人の心のなかには、さまざまな感情や思考(「ひどい、許せない」や「きゃわわー」など)が渦巻くことと思います。しかし、個人的な思いを前面に出しすぎては、怒りと涙でニュース原稿が読めなくなったり、肝心の情報がちゃんと伝わらなかったりしてしまう。そのため、自身の思いは大切に心にとどめつつ、なるべく淡々と客観的にニュース原稿を読みあげ、どう受け止めるかの判断や考えは視聴者に委ねる、という姿勢でいるらしいと見受けられます。
 小説を書く際も同様で、作者本人の感情や思考がなければ、なにもはじまらないし、「これを書きたい!」という情熱も生まれない。けれど、書いた小説そのものに、押しつけがましいほどの作者の生の感情や主張をこめすぎたら、暑苦しくなってしまいます。作者はあくまでも作品の黒衣であり、その作品からなにを感じ、考えるかは読者に委ねる。つまり書く際には、個人的な感情と思考を内包しつつ、情熱と客観性のバランスを取ることが大事だと言えるでしょう。

 一作一作書いていくうちに、自分の書きたいことがどんどん見えてくるものなので、「えっ、いまものすごく書きたいことなんて、明確にないんだけど」というかたも、あせったり絶望したりしなくて大丈夫です。でも、何作書いても、「これを書きたい!」という情熱が湧かない場合は、ちょっと考えどころです。いまは「小説を書くとき」ではないのかもしれないからです。
 そういうときは無理をしないほうがいいです。無理をすると、小説を書くことが苦しいばかりになってしまって、しまいには「小説なんてきらい」という心境に至ってしまう危険性があります。愛したもの、信じたものをきらいになるのは、とてもつらいことです。自分自身を否定し裏切ったかのような気持ちになるからです。
 そんなつらい境地に至るのを避けるためにも、「書きたいものがないな」と感じたときは、無理をしないほうがいいと思うのです。小説を書かなくたって、べつに死にゃあせんからな。それぐらいの気楽な気持ちで、執筆のことは一時忘れ、ぐうたらにでも真剣にでもいいので日々を暮らしてください。その際、自分が心底から楽しいと感じられることはなんなのか、なにに喜び、なにに苦しむのか、社会や生活のどんなところに引っかかりを覚えるのか、なるべく考え、向きあってみてください。そうするうちにたぶん、「なんだか書きたくなってきた!」とか、「私は小説を書きたいんじゃなく、これをしたかったんだ!」といった発見の瞬間が訪れるのではなかろうか、と思います。
 ちなみに私は現在、EXILE一族を好きになったおかげで人生に対するやる気に満ちあふれており、「ここ何年かゆるめのスケジュールだったが、そろそろ仕事をしたくなってきた!」と思っているのですが、小説を書いてる暇があったらEXILE一族のコンサートを見たい気もして、しかし書かなきゃおまんまの食いあげでもあるので、千々に乱れる心地がします。ここから導きだされる教訓は、「小説を書くことのみで生計を立てるのはリスクが高いし、いざというときに案外自由がきかないので、新人賞を受賞したからといってすぐに会社を辞めたりせず、しばらくはほかの収入手段も持っておいたほうがいい」です。

 まあとにかく、縷々述べたとおり、短編だろうと長編だろうと心がけることや手順などは基本的には変わりません。「小説を書く」という点では同じだからです。もちろんひとそれぞれ、「強いて言えば短編のほうが得意」といった微妙な向き不向きはあるのでしょうけれど、短編を書けりゃ、長編も書ける。逆もまたしかり、です。
 ただ、短編と長編では使う筋肉がちょっとだけちがうかもしれないな、と感じるのも事実です。長編連載を二本ぐらいつづけたのち、ひさしぶりに短編を書いたら、「あれ、しまった。ちょっと枚数の読みを誤って、お尻が窮屈になってきたぞ」ということがたまにあります。短編の勘がにぶってしまったのでしょう。しかしそういうときも、慌てず騒がず、まるで最初からそう意図していたかのように、ラストにかけて怒濤の畳みかけを繰りだし、「お尻が窮屈などでは断じてない」ふりでシレッと「完!」にすればよろしい。顔色ひとつ変えずに全力でリカバリーする肝っ玉の太さ、大事だなあ(またポジティブシンキング)。
 短編が何本かつづいたあとに長編を書くときはどうかというと、これはあまり苦労しません。「ちょっと話が脱線しちゃっても、まだまだ枚数あるしな」と、比較的のんびりかまえていられます。そう考えると、どちらかといえば私は長編脳なのかもしれないですね。短編を書くの好きですが。特に、精神に張りときらめきがあるときは、断然短編のほうが乗って書ける気がします。張りときらめきがあるの、一年のうち十日ぐらいしかないですが。
 たぶん、「小説を一作書く」という意味において、かかる手間と労力(書きたいことをどう見せればいいか考え、規定の枚数のなかで最善になるよう努める)は、短編でも長編でも同じです。短編の場合、一作ごとに「お話しづくり」をしなきゃならないので、つまり五十枚の短編を十作書くのは、五百枚の長編を一作書くより、十倍の手間と労力がかかっていると言えるわけです。短編の原稿料、十倍に上げてほしい。え、「むしろ長編の原稿料を十分の一にする」って? すみません、私がバカでした。どちらの原稿料もどうか現状維持でお願いします。

 短編で使う筋肉は「引き算の発想力」、長編で使う筋肉は「とにかくコツコツと書く粘り強さ」ではないかと思います。
 この連載の第三回でも、「短編の構成」について触れましたが、短編を書く際の基本となるのは、「キレと余韻」「序破急」です。スパッと話に入り、なんらかのターニングポイントをきっかけにドッと盛りあがって、スッと終わる。「スパッ、ドッ、スッ」を心がけてみてください。って、私は長嶋茂雄氏か。しかしそうとしか言いようがないんだよ~。ひとによって書きかたや発想法ってちがうから、理屈で説明するの無理なんだよ~。
 なにはともあれ短編は鮮やかに、「キレと余韻」「序破急」を重視して書く。たまに、「結局、このあと登場人物がどうなったのかわからなくてモヤモヤしました」という感想が寄せられるかもしれませんが、そこを各々自由に想像するのが短編の醍醐味なんじゃないのか! 聞こえん! その感想、わしゃあ聞こえん! こんぐらい強気で、迷うことなく鮮烈な短編を書いてください。
 では、「短編は書けるんだけど、長編がどうもうまくいかない」という場合は、どうすればいいか。たぶんそういうかたは、さっぱりした性格の持ち主なのだろうと思うので、ご自身の粘着性を高めてください。って、そんな簡単に性格を変えられるもんなら、わしゃあとっくにもっとさっぱりした人間になっとるわ!
 長編となると息切れする、という場合は、やはり「構成力」が肝になってくる気がします。この連載の第二十一回、「構成と構想の練りかた」で述べたように、まだ長編を書き慣れていないうちは特に、見切り発車せず、構成という「地図」を準備してから書きはじめたほうがいいのではないかと思います。「どういう登場人物にしようかな」「ここにこんなエピソードがあるとよさそう」と案を練っていると、思ってもいなかった展開がふと浮かんだりもしますので。
 あと、「登場人物を増やす」のも手です。五十枚の短編で「主要登場人物が八人」というのはやや多すぎる気がしますが、五百枚の長編だったら八人それぞれについて十全に書くことが可能でしょう。ただしここで気をつけねばならないのは、「主要人物Bが登場したのをきっかけに、新たな展開を見せる。それが一段落したと思ったら、主要人物Cが登場したのをきっかけに、また新たな展開を見せる」というお話しづくりをなるべく避けることです。「新しい人物の登場によって、事態が展開する」のは、もちろん妥当性があります(たとえば、「目撃者の登場によって、殺人事件の捜査に進展が生じる」など)。しかしこれが連打されると、「各登場人物の紹介を延々と読まされてる感じ……」「なんかご都合主義っぽくないか?」という印象を読者に与えてしまうからです。
 コツは、「なんらかの外的要因(ハプニング、トラブルなどの出来事=エピソード)によって、人物同士の関係性に変化が生じたり、気持ちが揺れ動いたり、登場人物がある言動をせざるをえなくなったりし、それによって新しい展開へと突入していく」という発想をすることです。この場合、エピソードを通して登場人物(新たな登場人物を含めてもいいでしょう)の内面を明らかにすることができるので、「このひとはこういうひとなんだな」と比較的自然に読者に印象づけられます。登場人物の性格や感情を読者に把握してもらえれば、共感し思い入れてもらうこともできる。すると、「新しい展開」に、よりいっそう興味と関心を抱いて読み進めてもらえるはずです。
 つまり、「新たな人物の登場→新展開」一辺倒ではなく、「なんらかのエピソード(思いがけない事態など)→登場人物の葛藤によって引き起こされる新展開」というパターンも適宜織り交ぜる。このふたつを混在させるだけでも、「登場人物の紹介的単調なエピソードの羅列」にならず、物語にうねりを生じさせることができるはずです。うねりが生じれば、リズムに乗って書くことができ、さらなる展開も思いつきやすくなります。
 話が進展するにつれ、登場人物への理解と共感、思い入れが深まるのは、読者だけでなく作者も同様です。そうであるからこそ、登場人物と伴走し、五百枚の長編であってもラストまで書ききることができるのです。「登場人物の履歴書的紹介をし、そのあと履歴書どおりのエピソードが展開する」のは、絶対に得策ではないと思います。登場人物はエピソード(出来事)に奉仕するために存在するのではないからです。
 私たちは生きて生活するなかで、なんらかの出来事に遭遇するつど、なにかを感じたり、迷ったり考えたりし、そのうえでアクションを起こしたり起こさなかったりしますよね。起こしたり起こさなかったりしたアクションが、だれかの共感や反発を呼んだり、出来事の新たな展開へとつながったりする。小説の登場人物も、私たちと同じです。履歴書には到底書ききれぬ思考と感情を持ち、出来事に必死に対応することによって、新たな展開を呼び起こす存在なのです。エピソードに奉仕するのではなく、エピソードのなかで生き、考え、感じ、それゆえにまた新たなエピソードを生じさせるのが登場人物なのだ、と発想してみてください。

 うまく説明できたかわかりませんが、みなさまが短編も長編もなるべく楽しみながらお書きになれますよう、お祈りしております。コツは、コツコツと!(オヤジギャグではない) 短編の場合はそこに切れ味をひそませて、長編の場合はコツコツ度合いをより高めて納豆の粘り気をイメージしつつ! です。

 さて、今回でこの連載はおしまいです。長らくおつきあいいただき、本当にどうもありがとうございました。途中、EXILE一族に脱線して、「どこがどうアドバイスなんだ」状態に陥ったり、「もうネタがないよー」と泣き言を言うばかりで、「どこがどうアドバイスなんだ」状態に陥ったり、総じて「ろくなアドバイスじゃなかった」わけですが、みなさまがお書きになる際に、少しでもヒントになることがあったら幸いです。ないか……、ないかもな……。すみません。
 小説を書くのは手間がかかるし、苦しいことも多いと思うのですが、あまりご自分を追いつめすぎず、「でもやっぱり、小説が好きだな」って気持ちを大切に、取り組んでいっていただければなと願っております。
 コバルト短編小説新人賞、ノベル大賞へのご応募も、ほかの選考委員のみなさま、編集部のみなさまともども、ひきつづきお待ちしておりますよー!



『小説を書くためのプチアドバイスby三浦しをん』連載は、今回で最終回です。
ご愛読ありがとうございました。今後のお知らせを、お楽しみに!

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三浦しをん(みうらしをん)

東京都出身。2000年に「格闘する者に◯」でデビュー。2006年「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞受賞。2012年「舟を編む」で本屋大賞を受賞。近著に「ののはな通信」(KADOKAWA)、「愛なき世界」(中央公論新社)、「のっけから失礼します」(集英社)。

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