瀬川貴次の万物ぶらぶら(仮),segawa takatsuga no bambutsu burabura illustration星野和夏子

其の七:もののけミュージアム!

 2019年4月にオープンしたばかりの三次(みよし)もののけミュージアムに、夏の終わり、行ってきた。正式名称は湯本豪一記念日本妖怪博物館。川崎市民ミュージアムの元学芸室長で、長年、妖怪研究に勤しんでおられた湯本豪一(ゆもとこういち)氏のコレクションが収蔵されている。ミュージアムが建つ広島県三次市と、湯本氏とは、特に地縁があるわけでもないらしい。なのになぜ、三好市に氏のコレクションを収めた施設ができたかというと、ここが稲生物怪録(いのうもののけろく)の誕生の地だったからである。稲生物怪録──知っているひとは知っている。知らないひとはもちろん知るまい。きっと後者のほうが多かろう。というわけで、知らざぁ言って聞かせやしょう。時は江戸時代中期。三次に生まれた稲生平太郎なる武士の少年が、肝試しに禁忌の山へと登った。するとそれ以来、平太郎の家で夜な夜な、怪奇な現象が起きる。急須や湯飲みが勝手に踊ったり、天井いっぱいに老女の顔が出現したりと、さまざまな妖怪変化が来訪してくるのだ。しかし、剛毅な少年はことごとくそれらを無視。そして三十日後、平太郎の前に妖怪の頭領を名乗る人物が現れて彼の勇気を讃え、数多の物の怪たちを引き連れて去っていく。こうして稲生家の怪異はようやく鎮まった。この一連の出来事を描いた絵巻物が、稲生物怪録なのである。稲生物怪録の名は知っていても、舞台となった三次がどこなのか、わたしは全然、把握していなかった。ミュージアムができると聞いて大喜びで場所を調べ、三次市が広島県、それも島根県と隣接する山間部に位置していると判明したときは、「わー、遠いなぁ」と正直、思った。広島市から高速バスで約一時間半。それはいいとして、三次駅からミュージアムまで徒歩三十分とな。「わー、どうしよう。タクシーつかまるかな?」だった。が、さらに調べていくと、広島市内から出てミュージアムを終点とするバスも、三次市内を巡回するバスもある。お食事処をずらりと記載したパンフレットも入手した。ものすごい田舎を想像していたけれど、実はそこそこ大きな街のようだと認識が変わってきた。しかも、ミュージアムから徒歩圏内に辻村寿三郎人形館があるではないか。三次市は、寿三郎氏が幼少期を過ごした地でもあったらしい。これはもう、大きな気分で行ってみなくてはと、期待に胸膨らませて三次市に向かった。前日は広島市内に宿泊。翌朝、広島バスセンターを7時45分に出るバスで出発。9時15分に終点・もののけミュージアムに到着。開館15分前であった。敷地は広いし、建物は新しくて綺麗。すぐ近くに美しい半球形の山が臨める。あの山はもしや……」と思ったら案の定、怪異のそもそものきっかけ、少年剣士の平太郎が肝試しをしに登った比熊山(ひぐまやま)であった。おそらく名前の意味は〈日ノ隈〉、太陽の光を意味しているのだろう。その名称、その形状からして、聖域であることが充分うかがえる山だ。あの稲生物怪録の世界に、いま自分はいるんだ。──そんな実感にひたれて、まさに感無量だった。そして9時半になり、いそいそと入館。展示スペースに入ってすぐに設置された、動く百鬼夜行絵巻では、奇術師フーディーニになった気分でディスプレイに両手をかざし、物の怪たちや尊勝陀羅尼の炎とたっぷり遊び倒した。稲生物怪録の詳細を伝えるコーナー、企画展の『かわいいかわいい妖怪展』も興味深かったし、アートラボの妖怪遊園地はお子様に喜ばれそうだなと思った。何より、以前にNHKの番組で紹介された、謎の妖怪像群の実物を拝めて大感激した。番組の説明によると、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治初期、廃寺となった福島の寺院から流出したもので、白木の妖怪像(魔神像?)が百数十体。誰がどのような意図で製作したのか、詳細は不明。オリジナル要素が強くて、とにかく不気味かっこいい。この像の作り手は、世が世なら海洋堂に就職して名を馳せていたんではないかと想像してしまった。もっともっと物の怪ワールドにひたりたくなったわたしは、比熊山への登り口、太歳(ださい)神社まで足を運んだ。ミュージアムからは徒歩数分程度の距離だ。途中には、平太郎の住居跡に建立された石碑もあったりする。神社では、石段の掃除をしていたかた以外は誰もいないふうで、漫画『朝霧の巫女』とのコラボ御守りが神前で無人販売されていた。できれば、『もののけ御朱印』も置いてほしかったなぁと。別の神社で御朱印の無人販売を見かけたことがあるので可能だと思うのだが、どうだろうか。社殿の脇からは、頂上への登山道が続いていた。この先に、触れると祟りのある天狗杉がそびえていたかと思うと大層魅力的であったものの、体力に自信がないし、これがきっかけで、逆立ちする女の生首や、踏むと柔らかい土左衛門なんぞにうちに来られても困るので、登山は断念した。いったんミュージアムに戻って、絵はがきや本を購入。同じ敷地内に建つ交流館で、妖怪チョコラングドシャやらA4ファイルやらを買いこんだ。ちなみに、わたしが購入したA4ファイルは、人面草紙なる江戸期の書物に登場する異形──椎茸のかさに目鼻がついたような御面相で、布袋も花魁も町人もみんなその顔、とにかく楽しげにキャッキャッうふふしている──そんな人面たちが全面に散らばった柄だった。ファイルもいいけれど、人面饅頭と人面煎餅と人面クッキーも作ってほしい!」と身悶えていたら、交流館で人面草紙飴(ゆず味)がすでに売られていた。よっしゃ、よっしゃ。次はぜひとも、人面ふかふかクッションをお願いしたいところである。冗談で言っているのではない。かつてはグロテスクな生き物として忌避されていたウミウシやダイオウグソクムシが、いまやかわいいぬいぐるみとなり、水族館の売店で大人気ではないか。ポイントは、パステルカラーで丸くする。この二点に尽きると思っているのだが、いかがなものだろうか。もののけミュージアムの展示物の中で、個人的なお気に入りは神社姫である。災厄を予言する幻獣の一種で、人面魚身(もしくは龍身)。人魚姫のヒト胴体部分を大胆に省略したものを想像するといいだろう。神社姫だなんて名前がかわいらしいなぁとほんわかしていたら、湯本コレクションの神社姫は、どこの野武士かと思うようなおっさんヅラだった。あの神社姫だけはパステルカラーにしようが、丸くしようが、一般受けは望めまい。だからこそ、わたしの胸にきゅんきゅんきたのかもしれないが。さらに、もののけミュージアムから徒歩7、8分の辻村寿三郎人形館へ。途中、道を間違えて工房のほうに迷いこんだのも、結果的に貴重な体験となった。妖怪変化の多彩な魅力、寿三郎人形の妖しい美しさに触れ、すっかりテンションの上がったわたしは、「こうなったら三次市の経済をぐるんぐるん廻してやるぜ」とばかりに、バスに乗って三次ワイナリーへと向かった。ワイナリーに併設されたレストランでは、遅めの焼き肉ランチを。グラスワイン片手に、カルビを焼きまくった。そして、ショップで27000円の貴腐ワイン……はさすがに高くて買えなかったものの、1500円の有料試飲で堪能できた。もちろん無料試飲もあったけれど、やっぱり、ここは、ここまで来たなら、飲ませてください少しだけでも。てな勢いで、愛らしいお嬢さんにワインを注いでもらって試飲を楽しみ、貴腐ワインよりはちょっと価格帯の優しいワインを数本、購入。時間が足りず寄れなかったが、ワイナリーのすぐ近くには奥田元宗・小由女美術館があり、企画展示も催されていた。そう、たっぷり丸一日かけられるほど、三次市は見所盛りだくさんだったのだ。これだけではない。市内を流れる川では鵜飼いも行われているし、神楽舞の保存会も複数、活動しているのだとか。ポテンシャル高いなぁ、三好市。そんなこんなを取り入れて、〈伝説とアートとワインの里〉みたいな謳い文句で、一泊二日のバスツアーを組めるんじゃないかと考えてしまったではないか。……まるで市の広報のように宣伝しまくりだなと思われたかもしれない。よいではないか。わたしは純粋に、もののけミュージアムを応援したいのだ。岩手県の遠野市には『遠野物語』があった。広島県の三次市には『稲生物怪録』がある。これを活用しない手はない。そこに湯本豪一氏のコレクションが加わったのだから、まさしく鬼に金棒だろうに。これだけ硬軟とりそろえたコレクションは、本当に貴重だ。ぜひとも、末永く大事に保管、展示していただきたい。どうか、東の遠野、西の三次と並び称されるような、大もののけスポットとして発展しますようにと、このばけもの好きは切に願うのであった。
香炉 旗指物 角盥
トノサマ