瀬川貴次の万物ぶらぶら(仮),segawa takatsuga no bambutsu burabura illustration 星野和夏子

其の八 かわい子ちゃんを覗き見る

秋が深まり落葉していくと、視界がぐんと開けて、かわい子ちゃんたちの生態を覗き放題となる。犯罪ネタではない。バードウォッチングの話である。その昔、北海道旅行でいろんな野鳥を見かけたのに、名称が全然わからない。知りたい、知りたい。きみは誰?──と思ったのがきっかけで、趣味のひとつにバードウォッチングが加わることになった。秋から春先にかけては、木々が丸裸になるのと、寒い国から渡り鳥がやってくる時節とがちょうど重なるので、バードウォッチングのベストシーズンとなっている。特にカモ類が集まる池は、周囲に遮蔽物もないので観察がしやすい。初心者は、まずカモたちをウォッチングすることをお勧めしたい。わたしも初心者対象のバードウォッチング講座をまず受講したのち、初めて自主的に向かったのは池──都内の某有料庭園だった。庭園の中心となっている池には、いるわいるわ、カモ類がわんさと浮かんでいた。「うほっ。かわい子ちゃんがいっぱいだ」と、鼻息も荒く覗きまくった。新品の双眼鏡で拡大してみると、鳥類のきりりとした表情や羽毛のなめらかさなど、肉眼では気づかなかった発見がいくつもできて、世界がぐんぐん広がっていった。とはいえ、まだ駆け出しの身。あんちょこ本の野鳥図鑑なしでは、カルガモでさえ見分けがつかない。なに、これから地道に経験値を上げればいいのさと気楽に構えていたら、「まあ、鳥がいっぱいいるわねえ」そんな会話が聞こえてきた。振り向けば、六十代ほどの上品なマダムのグループが、にこやかに談笑しながら、こちらに近づいてくるところだった。「なんて鳥なのかしら」「あら、そこに鳥に詳しそうなひとがいるわよ」双眼鏡を手にして池のほとりに立っていたわたしを指差し、マダムのひとりがそんなことを言うではないか。いや、いやいやいや。詳しくなんかないです。双眼鏡で鳥を覗いていたからといって、始めたばかりの初心者なんです。なんにも知らないんですよ。──と打ち明ける勇気もなく、逃げる暇すら与えてもらえない。わたしはあっという間に彼女たちに囲まれ、「あそこの鳥はなんていう名前なの?」と質問攻めに遭った。なんと探究心にあふれた素敵なマダムたちだろうか。こんな彼女たちに、どうしてすげなくできようか。というわけで、やむなく解説を試みはしたものの、「え、えっとぉ。あそこの白黒のカモがキンクロハジロと申しまして……。茶色いのがホシハジロ、です……。飛んでいる白い鳥はユリカモメ……、だったかな?」ガチガチで非常に歯切れが悪く、初心者講座で知り得た名称を並べ立てるのがやっとだった。うんうんとうなずきつつ耳を傾けてくれるマダムたちの無邪気な視線が痛くて、とにもかくにも居たたまれなかった。いまでも、あのときのことを思い出す。その都度、布団の中で羞恥にのたうち廻りながら、「ああ、こんなふうにできたらよかったのに」と脳内シュミレーションをくり返す。そう。想像上のわたしは、詐欺師ばりに自信に満ちあふれた笑みをマダムたちに投げかけ、あんちょこ本なしで滔々と述べるのだ。「御覧ください。黒い頭と黒い翼、おなかのあたりは真っ白いあのカモが、キンクロハジロの雄です。名称は金色の瞳と黒い羽根から来ています。その近くにいる茶色い頭のカモがホシハジロ。こちらの瞳は南天の実のように真っ赤ですね。ホシハジロの名称は、背中に細かな点が無数に散らばっていることに由来しています。古来、日本では、星は夜空に散った小さな点だと認識されていたわけです」ここで「ハジロってどういう意味ですか?」と質問が来るかもしれない。待っていましたとばかりに、わたしは答えるだろう。「いい質問です、マダム。ハジロとはカモの仲間を指します。あと、ここには姿が見えませんが、パンダのように全身白く、目のまわりだけが黒いミコアイサという美しいカモもいます。アイサもカモを指す単語のひとつです。パスタの種類として、マカロニ、スパゲティ、ペンネなどがあるように、カモという大きなくくりの中に、ハジロやアイサが含まれるのだと思ってください」そんな野鳥雑学を披露してから、わたしはおもむろに天空を見上げ、飛翔中の白く愛らしいユリカモメをびしりと指差す。「あれがユリカモメです!別名、都鳥。『伊勢物語』で在原業平が『名にしおはばいざこと問はむみやこどりわが思ふ人はありやなしやと』と詠んだ和歌の都鳥は、あのユリカモメのことだと言われています。歌の意味は、『都という名を持つ鳥よ。おまえに問おう。わたしの愛するひとは、いまも都で無事にすごしているだろうかと』といったところでしょうか」名誉挽回、汚名返上のめくるめくひととき。だんだんアクションがオーバーになり、口調も宝塚の男役じみてくるわたしを、マダムたちは天の御使いのごとく温かく見守ってくれるに違いない。──とかなんとか夢想するだけで、実際にはきっと人前になんて立てない。小心者のチキンには土台、無理だ。それがわかっていながら、「待てよ。『伊勢物語』を引き合いに出すよりも、ユリカモメが白くてかわいいのは冬羽の間だけで、四月も末の渡りの頃に見ていると、頭部が真っ黒になった夏羽の個体がたまに混じっていて、まるで黒マスクをかぶった覆面レスラーみたいですって解説したほうがいいんだろうか……」などと、不毛な思案をひたすら重ねていくのであった。
香炉 旗指物 角盥
トノサマ