瀬川貴次の万物ぶらぶら(仮),segawa takatsuga no bambutsu burabura illustration 星野和夏子

其の十六:鬱(うつ)エンド?

アンハッピーエンドのことを、別名、鬱エンドともいうらしい。けっこう前だったが、友人から「最近のひとは鬱エンドを嫌うので、たとえばサイトで自作品を公開するときには『これは絶対ハッピーエンドになります』って但し書きするほうがいいらしい」と聞かされ、びっくり仰天してしまった。なんでも読者側からすると、長らく読んでいて最後に悲しい幕切れだと裏切られた気になるらしいのだが……。う、うーん。本当にそうなのだとしたら、その感覚はちょっと理解できない……。むしろ、ハッピーエンドを約束すること自体がネタばれにも等しい裏切り行為に思え、ゾッとしてしまう。そもそも、ハッピーエンドとはなんぞや。わたしが応援する登場人物は、まず、ヒロインとは結ばれないぞよ。彼女はラストで大抵、別の男とひっつくのだ。なんでじゃ、なんでじゃ、あんな見た目だけの男のどこがええんじゃと、のたうった経験は数知れず。なので、期待に添わない幕切れに耐えきれないなどと、やわなことは言っていられなかった。もちろん、わたしだってつらくないわけではない。でも、大丈夫。そこを幕切れにしなければいいのだから。「確かに、ヒロインはキラキラの優男とくっついて話は終わった。だが、そんな甘っちょろいばかりの蜜月は、せいぜいがもって一年だ。大体それくらいの頃に、優しいだけで生活能力のない優男は馬脚を顕(あらわ)し、借金まみれになって悪の組織に消されてしまうとも。で、代わって、わたしの推しキャラの見せ場がめぐってくると。さてさて、傷心のヒロインをどうやって振り向かせるかだが……」なんて、勝手に物語の続きを夢想していたので、期待と違うエンディングに文句をつける気など起きようがなかった。けっこう幼い頃から、こういう自助努力は重ねていた気がする。あのアンデルセン童話の『人魚姫』でも、わたしは悲しいラストに号泣し、どうにかして人魚姫を救えないものかと、頭を振りしぼった。そして、閃いた。王子に恋した人魚姫に、人間になる薬を授けた海の魔女──あの魔女を男にすればいいのだと。あとはもう、童話の展開通り。人間になった人魚姫は王子のもとへ行くも、口を利くことができず、「わたしはあなたを嵐の海から救った人魚です」と伝えられない。そうこうしているうちに、王子は他国の王女を自分の命の恩人と誤認し、彼女のほうと結婚する。恋に破れた人魚姫は、このままだと海の泡と化すしかない。ところが、王子を殺してその血を浴びれば人魚に戻れる(猟奇!)と、姉人魚たちから説得される。いったんは王子に殺意を向けた人魚姫だったが、やはり愛しいひとを殺すことなどできずに、海へと身を投じる──そこで、海の魔女の男バージョン登場である。わたしの脳内映像では、漫画家・大矢ちきが描くところの、黒髪ロン毛で目つきが悪く、頬がこけたクセありあり系青年。あれが、波間から両手を広げているわけだ。人魚姫はもう、何も考えんと彼の腕の中に飛びこめば、万事オッケー。あとは人魚に戻るも良し、人間の姿のままでも良し。そこは海の魔女もとい魔男の魔力でどうとでもなろうから、彼と話し合って決めてもらえれば、なんの問題もないのである。もちろん、人魚姫もしばらくは王子への未練を引きずって、うじうじするだろう。海の魔女もとい魔男も、そんな人魚姫に苛ついて、ついつい心にもないことを言っちゃったりなんだりしちゃって、あー、想像するだに楽しいなぁ、もう。潮になびく昆布の間から、ふたりを覗き見したいわな。というわけで、アンハッピーだから悪いエンドだと決めつけないで、いろんな楽しみかたがあるのにもったいないですよと、こっそり言ってみるのであった。
香炉 旗指物 角盥
トノサマ