瀬川貴次の万物ぶらぶら(仮),segawa takatsuga no bambutsu burabura illustration 星野和夏子

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其の十七:怪奇な実体験

夏が来た。というわけで、今回は怪奇な実体験について語ってみよう。──だからといって、霊感があるとかないとか、そういうことを言うつもりは毛頭ないのでご安心を。いるはずもないモノを初めて見た(かもしれない)のは、小学校三年か四年生くらいの頃だ。宿題が終わるまでテレビはダメだと親に言われ、その日は観たい番組があったので、必死で宿題に取り組んだ。放映開始時刻直前にやっと片づき、「やったー!」と快哉をあげて、弟といっしょに子供部屋を飛び出し、テレビのある居間めがけて一目散に廊下を走った。わが家は廊下の途中に浴室がある構造だった。先を行く弟は脇目も振らずに居間に駆けこんだが、わたしは走りながら途中の浴室にちらりと目を向けた。浴室では、知らない女のひとが髪を洗っていた。浴槽の脇に正座して、前に垂らした長い髪を、洗面器に張った湯にひたしていたのだ。昔のリンスは洗面器の湯に投入して薄め、そこに頭を持っていってジャブジャブと髪に湯をかける方式なのだが、まさにその感じだった。顔は垂らした髪に邪魔されてまったく見えなかったが、たぶん二~三十代くらいで、ややむっちりした身体つき。「誰だろ?」そうは思ったものの、放映開始時刻が差し迫っていたし、わが家は宿直のある職種だったので、家人以外の人物が風呂を使っても別段おかしくはなかった。そのまま居間へと直行し、晴れて弟とテレビを鑑賞しながら、ふと思い出して、わたしは母に尋ねた。「いま、誰かお風呂入ってる?」「いや。入ってないよ」「ふーん」とは言っても入ってるんだろうと、幼いわたしは軽く流したのだが……。仮に、本当に誰かが入浴中だったとしてもだ。廊下を走っていて、浴室の光景が全部見通せたのだから、脱衣所と浴室の境にある曇りガラスの引き戸は全開だったことになる。そんな状況で二~三十代の女性が、まして他人の家の風呂場で落ち着いてリンスなどしていられるだろうか?それに、あの体型で髪の長い女性は当時、うちの関係者にはいなかった。だからこそ、「誰だろ?」と不審に感じたわけで。その一回こっきりだったので、あれはなんだったのかという問いに答えは出ない。不思議な心地はするけれども、女性の入浴光景が怪奇かと言われると微妙な気がしなくもない。なので、ここはさらっと流して、初の金縛り体験と行こう。金縛りと言えば、怪奇体験の王道中の王道である。わたしの場合、早いのか遅いのか、さっぱりわからないが、体験したのは中学二年生のときだった。その頃のわたしは二段ベッドの下段に寝ていて、上段はただの布団置き場になっていた。夜中になぜか目を醒ましたのだが──身体が動かない。それだけならまだしも、だ。二段ベッドは至極単純な構造で、木枠に二枚の板が渡してあり、わたしはその上に布団を敷いて寝ていたわけだが。下半身を載せている側の板だけが、ガクンガクンと上下に激しく揺れているではないか。うわっ、うわっとあわてるわたしの耳に、読経のような、うなり声のような重低音が流れこんできた。枕もとに置いていたラジオがその発生源だった。いやーん、勘弁、とおびえながら、わたしはなんとか金縛りを振りほどいた。身体の自由を取り戻して起きあがると、すでに二段ベッドは鳴動をやめ、ラジオも沈黙していた。けれども、恐怖は醒めやらない。ちょうどそのとき、階下で父親が起きて歩きまわっている物音が聞こえてきた。わたしは急いで部屋を飛び出し、これこれこういうことがあったと父に訴えたのだが、父は困惑気味に「夢だろ」と言っただけだった。それっきりで後日談は特にない。金縛りの最中はしっかりと目を閉じていたので、何かを目撃したわけでもない。けれども、振動とか音響とかは、なかなかゴージャスだったなと、いま振り返っても感心してしまう。夜中に目が醒めての体験といえば最近──でもない、七、八年ほど前のこと。友人といっしょに関西方面を旅行し、古めのホテルに一泊した。なんの変哲もないツインルーム。楽しく観光して、お酒も飲んで就寝。と、そこまではよかったのだが……。真夜中、なんとなく目が醒めた。空調の音がうるさいなぁと思っていたら、わたしが寝ているベッドの足もとが、誰かがちょっと腰かけたかのように、ぐぐっと沈んだ。てっきり、同行の友人だと思い、「トイレに行くんなら電気つければいいのに……」そう言いながら照明に手をのばしかけ、途中でハッと気がついた。隣のベッドで、友人がすうすうと寝息をたてているのだ。では、わたしのベッドに腰かけたのは誰だ?ここでゾッとすべきだろうし、実際、ドキリとはした。が、わたしは何を思ったか、ひと差し指をピンと立てて振りながら、「ぬはははは。まぼろしぃ~」小声でそうつぶやき、再び入眠した。幸いなことに朝までぐっすり眠っていられた。もちろん、翌朝、友人に確認したが、真夜中に起きたりはしていないとのことだった。まあ、あれだな。いつもとは違う環境下での聞き慣れない空調の音が眠りを浅くし、出眠時幻覚を促した、といったところだろう。昔だったら、ベッドの中でぶるぶると震えていたろうに、つくづく図太くなったものである。こんなふうに理性的になったら、もうホラーが書けなくなってしまうのではないかと心配した時期もあった。だが、幸い、そうはならなかった。いまも昔もテレビの心霊番組のチェックは欠かさないし、ホラーは読むのも書くのも楽しい。UMAの目撃情報にも、眉唾だなと思いつつ、心の奥底では淡い期待をしてしまう。実在するとかしないとか、そんなケツの穴の小さいことは、どうでもいい。とにかく好きだ。それだけで充分なのだ。かくして、今宵も心霊番組をいそいそと録画予約し、夜は怖いからと明るい昼間に視聴しては、「ちょっと待て。この心霊さん、美人すぎるぞ。どこの劇団女優を雇ったんだ」とか、「なぜ、怪異が発生する直前にいったんカメラがフレームアウトする。『誰もいないはずの場所に振り返ったらいる』の演出意図が見え見えだぞ。おい」などと文句をつけつつ、愛しい非日常を満喫するのだった。
香炉 旗指物 角盥
トノサマ