瀬川貴次の万物ぶらぶら(仮),segawa takatsuga no bambutsu burabura illustration 星野和夏子

怖いだけじゃない、7つの不思議な怪奇譚!瀬川貴次 最新刊『わたしのお人形 怪奇短編集』集英社オレンジ文庫より大好評発売中!

其の二十:まだあった怪奇な実体験

オレンジ文庫さんから怪奇短編集『わたしのお人形』を出したばかりということもあって、このところ怪奇な体験談を続けてきた。中にはまあ、心霊とはほぼ関係のない話もあったので、このあたりで、いかにもそれらしき体験を語ってみるとしよう。大昔に文庫のあとがきか何かで披露した気がしなくもないが、あれからずいぶん時が経っているので、そこはどうかご容赦を。あれは二十代そこそこの頃。大学の先輩たちと、五、六人ほどで京都奈良あたりをめぐる機会があり、あえて名は秘(ひ)す古刹(こさつ)の宿坊に宿をとった。あてがわれたのは、木々が茂る庭に突き出したような離れの二階だった。それほど広くもない和室に布団をぴっちりと敷き詰め、修学旅行気分できゃっきゃ、きゃっきゃ。話は尽きなかったが、明日もあるしと、十二時くらいに「もう寝よう」といった流れになった。就寝前の歯磨きのために、みんなでぞろぞろと廊下を歩き、洗面所へと移動。そして、ぞろぞろと引き返した。途中に急な下り階段があって、階段の先は闇が四角く口をあけていた。たぶん、庭に出る下足置き場にでも通じていたのだろう。覗きこんでも真っ暗で何も見えはしなかった。怖いね、怖いねと、半分面白がりながら言い合って、わたしたちは部屋に戻り、布団に入った。割にすぐに寝付いたのだが──少々、妙なことが起きた。うつらうつらとしかかったとき、庭に面した窓のむこうから、う~ん、う~んと低いうなり声が聞こえてきたのだ。男のひとの声のようだなと、わたしは思った。(おじさんが庭に倒れている……のかな苦しそうだな……。救急車……、呼んであげたほうがいいんじゃ……、ぐう)そのまま眠ってしまい、何事もなく朝を迎えた。わたしが寝ていたのは、部屋のほぼど真ん中だった。窓のすぐ近くで寝ていたふたりなら、あの声を聞いたかもと思い、「あのぅ、昨日、電気を消してしばらくした頃に、窓のむこうから男のひとのうめき声が聞こえたりしませんでした?」尋ねてはみたものの、ふたりともきょとんとした顔で首を横に振る。ああ、夢だったんだな、と安心しかけていたら、窓から離れた側で寝ていたひとりがおもむろに、「みんなが怖がると思って、昨日は黙っていたけれど……」と言い出すではないか。なんでも、就寝前、みなで連れだって歯を磨きに行った帰り、廊下から下り階段を覗きこんで、怖いね怖いねと明るく言い合っていたときのこと。「階段の下の暗がりから、『う~ん、う~ん』ってうめき声が聞こえていたのよ。でも、誰も気づいていないみたいだったから、あえて言わなかったんだ」──下り階段の先も、和室の窓の下も、うっそうと木々の茂る庭だったはず。彼女が階段の上で聞いたうめき声と、わたしが寝入りばなに聞いたうめき声は、果たして同じものだったのか。わたしは階段下の声は聞いていない。けれども、下り階段の先に四角くて真っ黒な口がぽっかりとあいていたのは、確かに気味が悪かった。だから笑いで誤魔化したわけで、きっと全員がそう感じていたのだろう。あのときは何も聞こえていなくて、寝入りばなにわたしだけがうめき声を聞いたのは、周波数の関係か何かか?真夜中の古刹の庭に、手負いの中年男が倒れていたのか。それとも、周波数違いの声を鳴き分ける器用なウシガエルの仕業か。いまとなっては確かめようもない。あそこのお寺の、仏さまに踏みつけにされている天邪鬼がうなっていたと想像すれば、それはそれで「萌え」になるかもしれないが。こんな、ちゃんとした怪奇体験もあるにはあったんだなと、ちょっぴり胸を張ってみるのであった。
香炉 旗指物 角盥
トノサマ