『岩谷文庫』は、ダンスと読書が大好き! THE RAMPAGE from EXILE TRIBEの岩谷翔吾さんが、フレッシュな視点でおすすめの本を紹介してくれる、ほぼ月イチブックレビュー連載です。読書を愛するあなたや、気になるけれど何を読んだらいいかわからないあなた。日々の生活にちょっぴり疲れてしまって、近頃本を読めていないあなたへ。あなたの心の本棚にも、『岩谷文庫』を置いてみませんか?
みなさん、こんにちは。岩谷翔吾です! いつも『岩谷文庫~君と、読みたい本がある~』を読んでくださってありがとうございます。第7回は、宇佐見りんさんの作品『推し、燃ゆ』を、僕の目線でご紹介していきたいと思います。
【※レビュー内には本編のネタバレが含まれますので、ご注意ください。】
推される立場で手にした『推し、燃ゆ』という作品。
「推しを推す」ファン心理のリアルな描写に圧倒された
芥川賞受賞で一躍有名になった『推し、燃ゆ』ですが、僕が読んだのは受賞前、まだ世間でそれほど注目されていないタイミングでした。
僕は、THE RAMPAGEのパフォーマーとして、また岩谷翔吾として、様々な表現活動を通してアウトプットさせて頂いています。ひとりのクリエイターとしていろいろなものに触れていく中で、自分と年の近い方の感性に刺激を受けたいと思っていた時に出会ったのが、この『推し、燃ゆ』でした。21歳の作家が書いたデビュー2作目と知り、自分の世界を広げるきっかけがあるのではないかと思って手に取ったんです。
はじめに触れましたが、「推し」という現代的なワードに、「燃ゆ」という古めかしい言葉を組み合わせたタイトルは不思議な感じがしますし、どんな物語なのか、ここからは全貌は想像できなかったですね。
冒頭は
推しが炎上した。ファンを殴ったらしい。
という一文から始まります。本に巻いてある帯にも書かれている一文なので、炎上系のストーリーかと思いきや、そういうわけではありません。
主人公のあかりは、周りに合わせて上手に立ち回ることができず、学校での集団生活にもなじめない高校生。周りの人と同じように、普通に暮らすことさえままならない自分に、昔から生きづらさを感じています。
そんな彼女が、全力でのめり込んでいるのが、「推し活」です。
あかりの「推し」は、アイドルグループのメンバー・上野真幸(うえのまさき)。
ライブに通い、グッズやCDを買い、自宅の部屋に「祭壇」を作る。真幸の活動すべてを網羅するブログを日々更新し、ファンの間でも「ガチ勢」として有名。あかりは、「推し」を推すことに自分のすべてを捧げています。
ところが、ある日、その「推し」がファンを殴ったというニュースが飛び込んできます。報道やSNSで批判的な声が溢れる中、あかりは、「何があろうとも彼を推す」と固く誓い、全力で真幸を推していく姿が物語全編を通して描かれていきます。
僕は奇しくも「推される」立場でこの『推し、燃ゆ』という作品を読むことになったわけですが、読んでまず感じたのは驚くほどのリアルさでした。まさに「今」を切り取ったような物語で、あかりとファン仲間がブログを介してやりとりする様子は、僕たちを応援してくれるファンのみなさんを彷彿とさせるところも多かった。さらに、あかりは真幸のことを服装や髪型はもちろん、仕草までとても細かくチェックしていて「ファンは推しをそこまでよく見ているのか!」って、度肝を抜かれました。僕ももっと細かいところまで気をつけよう、と思わされたぐらいです(笑)。
そして、暴力沙汰が報道されて人気が落ちていく真幸を変わることなく、むしろ、それまで以上の熱意を持って推し続けるあかりの気持ちを思うと、自分たちの行動が、いかに責任重大なものであるかを改めて思い知らされました。
誰だって、自分の「背骨」を持っている。
彼女にとっては、それが「推すこと」だっただけ
主人公のあかりが、まるで苦行のように身を削ってまで推し活にのめり込む様子を見て、思ったことがあります。それは「人はこんなにも何かを信じていたい、何かにすがっていたい生き物なんだ」ということ。
作中であかりは、推しの存在を「自分の背骨だ」と言っています。ただの骨じゃなくて、背骨というところに、彼女がいかに推しに支えられて生きているのか、ということが現れているなと感じました。でも、家族や周囲の人々からは、たかがアイドルの追っかけにそこまで熱中して…と呆れられている。「推し活」という言葉が生まれて注目されだしたのはつい最近のことだと思いますが、かつての価値観を持つ人からは理解されず、単に趣味や遊びだと捉えられてしまうことがあるのかもしれませんね。
けれども、「推し」という言葉にとらわれずに考えてみるとどうでしょうか。
あかりにとっては、推しである真幸が「背骨」ですが、EXILEのライブを見てダンスを始め、EXPG STUDIO(THE RAMPAGEの所属する芸能事務所・LDHが運営するダンススクール)から今の事務所に入った僕にとっての「背骨」はLDH。この作品を読んで、僕はそれを改めて確信しました。
僕はたまたま、自分の夢がそのまま「背骨」になったけれど、きっとあかりにとっては同じ熱量で打ち込めることが推し活だった、それだけです。自分の中にある熱の矛先がどこに向かっているかの違いなんだから、誰だって自分の「背骨」を信じて、やりたいことをやればいい。たとえば、ある宗教を信じている方にとっては、神さまを信じることが「背骨」なんだろうし、それぞれがいろんな形の「背骨」を持っている。そう考えれば、僕たちは、いろんな人にもっと優しくなれるのではないでしょうか。
一方で、あかりの「推し」である上野真幸は、僕個人としては、正直、ちょっと感情に振り回されすぎて、プロ意識が足りないんじゃないかという印象を受けました。自分の立場を考えたら、もっと自分をコントロールしなきゃダメだと思う。こういう人が一緒のグループにいたら、結構メンバーはしんどいでしょうね。僕だったら多分、真幸とはケンカしてしまうと思います。
とはいえ、行動が危なっかしい人、やんちゃな人って不思議な魅力があるのも分かります。それでかえって異性からモテたりしますから、あかりも真幸のそういうところに惹かれたのかもしれないですね。
現実での生きづらさとネットでの積極性。
あかりという少女から読み解く、現代の縮図
この作品は「あたし」が主語の一人称小説なので、読む人は、文章に綴られたあかりの気持ちをあかりの視点で辿っていくことになります。彼女の行動には極端なところも多くて、あかりの気持ちが理解できない人や、逆にあかりに共感しすぎて苦しくなってしまう人もきっといるだろうなと思いました。
読む人の立ち位置によって印象は変わってくると思うのですが、僕はフラットな気持ちであかりに自然と寄り添い、感情移入することができました。
といっても、彼女がもし友達だったら、その命を削るほどの推しぶりに圧倒されて、迂闊に声をかけられないかもしれません。
僕があかりにフラットに感情移入できたのは、自分が誰かを推す立場ではなく、かといって、100%常に推され続けている立場でもないからかもしれません。パフォーマーって、ステージ上にいるとき以外は素でいられる時間も多いお仕事なんです。
余談ですが、ボーカルを担当する人は舞台に立っていない時もグループの看板として、常にアーティストとしての自分であろうとしていると思います。まさに「100%常に推されている」人の姿。これは、THE RAMPAGEのメンバーを見ていると感じることです。
あかりは、学校の勉強は苦手だし、アルバイトでも失敗ばかりで、現実の中では生きづらさを強く抱えています。でも、推し活で開設しているファンブログではイキイキと真幸に関するレポートを発信していて、しっかり者のお姉さん的なキャラクターでたくさんのファンと交流し慕われています。そんなあかりにある種の二面性を感じるという人もいるかもしれませんが、僕は、それほど違和感を持ちませんでした。僕らの世代は、小さい頃からSNSが身近にあって親しんできているし、その場に応じたアバターを作って自分を演じ分けていくことって、誰でも結構自然にやっていると思うからです。そういう意味でも、この作品は「今」という時代をリアルに切り取った作品だなと強く思いました。
溜め息は埃のように居間に降りつもり、
すすり泣きは床板の隙間や箪笥の木目に染み入った。
溜め息は埃のように居間に降りつもり、すすり泣きは床板の隙間や箪笥の木目に染み入った。
これは、物語の後半、一心不乱に「推す」ことを続けるあかりと彼女の家族の間に少しずつ亀裂が入り始めた頃の、あかりの家の様子をあらわした一文です。読めば脳裏に暗い家の様子がありありと思い浮かぶこの文章。宇佐見りんさんは、何をもってしてこんな発想ができるのか……。
この文章以外にも、全編どこをとっても比喩表現のものすごさに圧倒されます。物語が始まってわずか数ページで出てきた
寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。
という文章には、もう心をグッとつかまれ、一気に作品世界に引き込まれました。
シーツの皺も、箪笥の木目も、日常で当たり前に目にするものです。そんなありふれたものになぞらえながら、人生の本質に言及できるなんて。文章そのものにここまで打ちのめされることって、僕にとってはあまりない経験。圧倒的な表現力で、本当にすごいです。
あまりの衝撃に、宇佐見りんさんのことが気になって検索してみたんです。そうしたら、あるインタビュー記事で、宇佐美さん自身も自分の部屋に「祭壇」を作っていて、そこに夏目漱石の『こころ』と『明暗』を飾っていることを知りました。それを見たら、「推す」というまさに今の題材を、今っぽくない言い回しや言葉選び、凄まじい比喩表現で描いていることも、ストンと腑に落ちましたね。
そういった背景もあり、僕は、『推し、燃ゆ』冒頭の文章のリズム感には、夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭に通じる雰囲気があるなと感じました。みなさんにも、ぜひ確かめてもらいたいです。
最近はベランダにハンモックを購入しまして、そこで、蝉の声や、夏の風を感じながら読書しています。
ハンモックに揺られ、日光を浴び、一人でワインなんか嗜みながらボーっと本を読む時間が、プライベートの中では一番幸せな時間かもしれません(笑)
なるべくクーラーをつけたくないタイプで(最近は暑過ぎてクーラーに頼らないと生命の危機をも感じるので仕方なくつけてますが…)、自然の風が気持ちいいので、休みの日はほぼほぼベランダにいます。
真っ白な入道雲が湧き立つ夏の空、夕焼け染まる黄昏時の空がとても綺麗で見惚れてしまいます。
逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を”解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。
第164回芥川賞受賞作。