カツセコメントでもみんな「めっちゃ熱い!」って言ってますよ(笑)。さっき「映画と小説どっちから読めばいいですか?」ってコメントがあったんですけど、どう思いますか?
岩谷どっちも良さはありますけど、やっぱり原作を読んでいただきたいですね。
カツセじゃあ、ぜひ、原作からで(笑)。僕自身はどっちからも嬉しいですけどね。映画化されると、映画を観てから小説を読む人が現れるじゃないですか。その時の小説の受け取られ方が全然違うように聞こえて、新鮮ですごく嬉しかったんです。たとえば、原作はモノローグが多くて、主人公がメソメソと自分の心情を書き連ねているシーンがすごく目立つんです。だけど映画では内心を語るところが一切なくて、主人公の心情は全て北村匠海さんの微妙な表情ひとつで表していく。北村さんの演技力の強さを感じましたし、あの演技をやってくれたことで、映画から入って小説を読むと「あの時彼はどう思ってたんだろう」っていう答え合わせができるという。
岩谷確かに。匠海、めっちゃハマってましたよね。映画を観てから『僕』の声は匠海の声で再生されちゃうんですよ。
カツセあれだけの人が、ここまで何者でもないダサい大学生を演じられるんだっていうことに驚きがあります。この主人公、『HiGH&LOW』に出たら、弱すぎて一発で死にそうじゃないですか(笑)。
岩谷確かに! ケンカ行く前の道中でコケて怪我してそうな感じの主人公ではあります。
カツセだから、北村さんがよくここまで演じてくれたなって思います。
岩谷あと、お訊きしたかったのは、主人公や彼女の名前が出てこないじゃないですか。あれも意図的ですか?
カツセそうですね。一つは、単純に僕が名前をつけるのが恥ずかしくてやりたくなかったから。もう一つは、名前をつけた途端にどこか遠い人に感じてしまいそうだったからです。それで、どうにか2人は「彼」「彼女」のままで突っ走れないかなと思いながら書いたんですけど、映画化される時に、「やっぱり名前をつけてもらえませんか」と言われて。最初は断ったんですけど、「どうしても生きている人間としてのリアリティが欲しいから、名前をつけたい。劇中では使わず、スタッフの間でしかその名前は呼ばないので」と言われて、映画化の際に初めて名前をつけたんです。その名前は本当に、世のどこにも出ていません。あんなに悩んで考えたの、自分の子供の名づけ以来でしたね。
岩谷そうですよね、子供同然ですよね、この作品が。
カツセ子供同然だから、どんな名前がいいだろうって深く考えましたね。
岩谷そんな裏話があったんですね。この作品はセリフがメインになるシーンが多いですが、主人公が傷心した時、2ページぐらいに渡る長ゼリフがありますよね。小説のセリフって、長くてもページの半分くらいというイメージで、左右のページをまたぐようなものってあんまり見たことがなかったので、すごく印象的で。でもなんかスーって入ってきて。逆に変な描写が入らずに間髪容れずに読む気持ちよさがあって。
カツセどこかで感情を爆発させるシーンを描きたいなと思っていて、どう表現するのがいいだろうと悩んでいたのですが、最終的にインパクトのある長ゼリフを置きました。ここは最悪、読者が読み飛ばしてもいいと思っています。編集さんにも「このセリフ長くないですか?」と言われましたが、「読み飛ばされてもいいからこのままいきたいです」と押し切ったんです。そうしたら、映画でもほぼそのまま、長いセリフとして描かれていましたね。
フラれた後って、気持ちを言語化しづらいじゃないですか。ただなんか「寂しい」とか「穴空いてる」としか言えなくて。ちょっと時間が経ってから、これだけ相手を好きだったんだって思いを言語化できる時が、一番泣ける。気持ちを言葉にしながら「俺はこんなに好きだったんだ」って、自分の言葉で自分の気持ちに気づかされていくんですよね。
岩谷どんどんエンジンがかかっていく感じというか、爆発してもう止まらない……みたいな。そのセリフの後の描写がめちゃ好きで。『岩谷文庫』の『気になる一文』にも書いたんですけど、「彼女を失って心に穴が空く」というところで、「くっきり彼女の形で穴が空いているから、その人でないと埋まらない」という表現がされていたんですけど、まさに「確かに」「今まで分かってなかったな」ってなりました。失恋もそうだし、何かしらの喪失感に遭った時、これまではただ「寂しい」としか言えなかったんですけれど、この本を読んだら「あぁ、その形で穴が空いているから、他のもの、例えばお酒とかに逃げても埋まらないんだ」って納得できて。1冊の中にいろんな発見があったんですが。これはカツセさんの経験の中からこういう言葉が出たんですか?
カツセ過去に大きな失恋をした時に、他の恋愛を求めたら埋まるかなと考えたことがあったんですけど、全然埋まらないし、似た人を探してしまったりする。しかも似た人を探すほど違いが明確になっちゃって、「この人じゃない」ってなってしまう。やっぱり空いてる穴はその人の形通りで、その人じゃないと埋められない。じゃあもう時間に癒やしてもらうしかないな、と考えたことがあって浮かんだセリフです。わりと過去の自分に向けて放っているセリフのような気がします。
岩谷この本を書かれて、どういう感覚になったんですか? 過去の自分が昇華される感覚ですか?
カツセそれ、よく訊かれるんです。「これを書いたことで、カツセさんはどうなりましたか?」って。でも、何も変わんない(笑)。小説は小説であって、それ以上の何かではないと思いました。書いたことで自分が変わるとか、成仏できたものがあるとかは全然ないです。この主人公も成長してないじゃないですか。物語書く時、「登場人物はどんな風に成長するんですか?」ってよく訊かれるんですけど、「人生そんな成長するかよ」って感覚が僕にはある。だから「何も変わらないけどなんとなく環境が変わった」っていうのを見せたいですね。
岩谷そうっすよね。二十数年間生きてきたら、そんな短期間で人が変わったようにはなかなかならないと思う。物語の中だったらあるかもしれないですけど。
カツセ小説を読んでて、最後主人公がハッピーエンドになった時に、僕は裏切られたなって思うタイプなんです。
岩谷あー、わかる。
カツセ「僕と同じ苦しみがあったのに、おまえだけ楽になりやがって」って思っちゃう。だから、自分が書く時は、救われないまま、立ち直れないままでいいから、ずっと寄り添ってくれるような話がいいと思って書いてます。
岩谷『明け方の若者たち』の一番最後のシーンで、主人公が「携帯電話なくしたみたいだ」っていう一文がありますよね。あれは本当に携帯なくしたんですか?
カツセそうです。あれは本当になくしていて、沖縄料理屋にあるっていう設定で書きました。最初のシーンが、彼女が携帯をなくしたところから始まって、最後のシーンが彼が携帯なくしたところで終わるんです。このお話は「主人公が携帯をなくす」という物語なので、彼女が主人公の物語なんですよね。で、最後の最後でようやく彼の物語が始まるっていう意味で「携帯をなくす」っていうドラマを置いたんですよ。