岩谷文庫 ~君と、読みたい本がある~
岩谷文庫

岩谷文庫 ~君と、読みたい本がある~

item

文豪・夏目漱石による明治時代の「名作」は、
令和の今でもなお魅力的

dummy 岩谷文庫画像

 みなさん、こんにちは! THE RAMPAGE from EXILE TRIBEの岩谷翔吾です。
『岩谷文庫~君と、読みたい本がある~』第17回は、夏目漱石こころ』のレビューをお送りします。
 この本は、タイトルも著者の名前も、一度は聞いたことがある、という人がほとんどではないでしょうか。国語の教科書に掲載されていたり、試験問題になったりすることも多く、部分的に読んだことがある人もいるでしょう。「明治時代の文豪の有名な作品」というと、読書に慣れていない人は、何だか小難しそうだなと尻込みしてしまうかもしれませんね。

 僕がこの作品を初めて読んだのは昨年。結構最近のことです。これまで、僕が読んでいたのは現代の作家さんの作品がほとんどでした。岩谷文庫をやらせて頂くことになり、読者の皆さんからレビューして欲しい作品を募集すると、いわゆる文豪による名作のリクエストがいくつか寄せられて。それで、日本文学の歴史を象徴する作品にもふれていきたい、中でも、「これまで日本で一番売れている小説」をまずは読んでみよう、と思ったんです。そして手に取ったのが夏目漱石の『こころ』と、太宰治の『人間失格』でした。
 夏目漱石の作品については、 今年の3月、第2期スタートに先駆け再度Twitterで「#岩谷文庫リクエスト」を募集した際、@ytshg_13さんが『坊ちゃん』をリクエストしてくれていたのですが、こういった理由からまずは『こころ』を取り上げさせてもらうことになりました。次は『坊ちゃん』を読んでみようと思っています! リクエストありがとうございました。

dummy 岩谷文庫画像

 さて、日本で一番売れている小説である『こころ』と『人間失格』は、どちらも人間の心の深い部分をえぐり取った作品です。日常では口にすることがはばかられるような、人の心の暗い部分を繊細に描き出していて、読み進めるにつれ、自分も心の中にそういう感情が隠れているのでは……と、ドキッとさせられます。
 たとえば、『こころ』では「怒り」という感情がしばしばクローズアップされます。人って「怒り」を感じている時、自分の中にあるもやもやした気持ちを言葉にするのって、結構難しいですよね。「腹立つ!」という簡単な一言でしか表現できないことも多い。でもこの作品では、なぜ腹が立つのか、どうやって怒りが膨れ上がっていくのかが、美しい文章で論理的に表されているので、自分が抱えていたもやもやを言語化してもらえて感動します。

dummy 岩谷文庫画像

 ちなみに、『人間失格』はものすごく内省的な作品で、太宰の自伝に近いと言われています。一方『こころ』は登場人物のキャラクターが確立していて、俯瞰的に描かれたエンターテインメント性の高い「物語」。文章も100年前の作品と思えないほど読みやすくて、ストレートな表現が多いので、これってどういう意味だろう? と深く考えすぎずするする読める。もともと新聞連載されていたからか、章が細かく区切られているのも特徴です。読み慣れていない人は今日はここまで、と短く区切りをつけやすいし、連載ゆえにラストシーンが毎回「続きが気になる!」という終わり方になっているから、引き込まれた人はどんどん先に読み進められる。最初の敷居は高いかもしれませんが、読み始めると短い間にも連ドラのように山場がたくさんあって、止まらなくなる作品です。きっと100年前の人たちは、毎朝、新聞でこの作品を読んでから職場へ行って、みんなで『こころ』トークをしていたんじゃないかな?って想像すると、なんだか現代に通じるものがあってすごく面白い。
 「やっぱりちょっと難しそう…」と思う人は、このレビューや、色々な人の解説を読んで、「何の話なのか?」を把握してから読むのがおすすめです。この作品は、結末を知ってから読んだとしても、面白さがまったくスポイルされないからです。むしろ、レビューや解説で想像したものを超える感動を、確実に感じられると思います。

item

長く重い遺書は、著者が一番書きたかったもの。
漱石からの、時代を超えたメッセージ

 『こころ』の面白さは、ネタバレしても変わらない。そう言い切ったからには、あらすじを詳しくご紹介していきましょう。
 『こころ』を読み解く上で一番メジャーなのは、明治の精神や近代化といったところだと思うのですが、僕はそんなに歴史に詳しくないので、人間の心理的な部分を追って読みました。簡単に言ってしまうと、この作品は「三角関係から生まれる罪の意識の話」です。100年前の文豪の作品、というと格調高いイメージですが、「三角関係」という、現代のドラマや漫画でもよくある普遍的なテーマだと知るとちょっと意外だし、とっつきやすく感じますよね。
 三角関係も嫉妬も、罪の意識といったものも、今と全然環境が違うはずの100年前でも描かれ方は同じで。人間というものは、どれだけ時代が違っても根本的なところは変わらないんだな、ということがよく分かります。だからこそ、現代の僕たちが読んでも楽しめる作品なんです。

dummy 岩谷文庫画像

 地方出身で、東京の大学に通っている「私」は、ある夏、鎌倉で偶然出会ったある男性に惹かれ、「先生」と呼んで親しむようになります。先生が妻と暮らしている家を、「私」はしばしば訪れるようになる。でも、先生はどんなに「私」と親しくなっても、決して本心を明らかにしてはくれません。親戚から手ひどく騙された過去から人を憎み、すべての人を疑っているとまで言う先生に、「私」は「先生の過去を知って、その人生から教訓を受けたい」と訴えかけます。(上 先生と私)

 その頃、腎臓病で長く床についていた父の病状が悪化し、「私」は帰省します。大学を卒業した「私」は、母から「今後どうするつもりか」としつこくせっつかれ、先生に職を斡旋してほしいという手紙を書きますが、返事はありません。いよいよ父の臨終が迫るある日、突然先生からの厚い手紙が届きます。「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう」と書かれたその手紙は、先生からの遺書でした。私は衝き動かされるようにに東京行きの列車に飛び乗り、その中で先生からの遺書を開きます(中 両親と私)

 遺書の中で先生は「私の暗い人生の影から、参考になるものを掴みなさい」と書き添えて、これまでの人生を綴り始めます。まだ10代の頃に両親を病気で失った先生は、信頼している叔父に遺産の管理を任せて東京の大学へ進学しますが、叔父に遺産を横領されてしまいます。先生は叔父と縁を切り、手元に残された財産をまとめて、東京で学生生活を続ける決心をします。
 先生が新しく下宿先に定めたのは、軍人遺族の奥さんとお嬢さんが暮らす家でした。私はお嬢さんに心惹かれ、次第に親しくなっていきます。その頃、先生には同じ大学に通うKという親友がいました。Kは先生も認める優秀な頭脳と思想の持ち主でしたが、実家から勘当され心身ともに憔悴していました。先生はKを気遣って、自分の下宿にKを呼び寄せ、奥さんとお嬢さんにもKを受け容れてもらえるよう取り計らいます。
しかし、やがて先生にとって思いがけない出来事が起こります。Kがお嬢さんに恋をしたのです。先生は、Kに自分の恋心を隠しながら、お嬢さんと結婚させてもらえるよう、奥さんにこっそり直訴します。そして、先生とお嬢さんの婚約を知ったKは、ある夜自殺してしまうのです。罪悪感に駆られながらもお嬢さんと結婚して生きてきた先生は、遺書の中で、なぜ自分が死ななければならなかったのかを、「私」に向けて切々と書き綴るのでした──。(下 先生と遺書)

 親友と同じ人を好きになってしまうなんて、ちょっと少女漫画みたいな話ですよね。
 物語の主要な登場人物は、「私」「先生」「K」の三人です。

 僕が読んだ印象では、先生は、ミステリアスな雰囲気をまとっていて、思わせぶりなことばかり言っているこじらせおじさん、という感じ。こっちが一番聞きたいところを言わずにはぐらかしてばかりなので、実際にこういう人と知り合ったら、僕も気になってしまうだろうなと思いました。若い頃は、明治時代の大学生ならではの「真面目であらねばならない、立派でならねばならない」という固定観念で自分を縛っていて、プライドは高いのに劣等感も大きくて、何だか生きづらそう。
 Kは、先生も認めるぐらい優秀な頭脳の持ち主。ものすごく潔癖な人でもあって、その潔癖さが、最終的に彼を自殺へ追い込んでしまったのではと感じました。

 そして「私」。
 遺書の中での先生と同じ大学生ですが、僕は彼を「近代的な考えを持つこれからの若者」の象徴だととらえました。先生の重い人生のすべてを綴った遺書を託され、そこからどんな教訓を得て、どのように生きていくのか? 物語では彼のその先は綴られていないのですが、だからこそ「私」は、『こころ』以降に続く時代の、僕たち読者自身のことでもあると思います。

 物語は上中下の三部構成になっていますが、夏目漱石は明らかに「下」の遺書のためにこのお話を書いていて、上と中は、遺書へ向かうための助走と言っていい。「この遺書を読んだ君たちは、これからどうやって生きていこうと思いましたか」と、次世代を生きる若者たちへの問題提起になっていて、先生の遺書であると同時に、漱石からの「時代を超えたメッセージ」なのではないかと感じています。

dummy 岩谷文庫画像
item

心によって傷つき、傷つけ合う人間のリアルな姿。
自己保身に走ってしまう先生さえもがいとおしい

 主人公の「私」が、ミステリアスで知的な先生に惹かれていく様子には共感するところもあります。こじらせおじさんでも(笑)、自分よりも知識が深く、世界を広げてくれる年上の存在が気になる気持ちはわかる。でも、遺書で明かされるのは、劣等感に苛まれつつも自分を大きく見せようとしていたり、自分を騙した叔父を嫌悪しながら、自己保身のために親友を騙してしまったりする先生の姿。すごく小さい人だなと思うけれど、自分の心の中を鏡で見せられたみたいなリアルさがある。共感できないし認めたくない。でも「これが人間だな」と感じさせられる

 たとえば、先生はKのことを「すごく優秀な男だ」って認めているのに、Kがお嬢さんに恋していることを知ってからは、急に上から目線の行動が増えてくる。これって、Kが自分より優れていると思っているからこそ、マウントを取っていないと自分の立場が保てなかったのではないか。
 それから、先生が自分もお嬢さんを好きだとKに伝えなかったところ。
 正直、僕が先生の立場だったら、きっと先生とは違う行動を取ったと思います。「実は俺も彼女が好き」って即座に言っちゃうだろうし、それを伝えた上で女性にもアタックする。でも、恋愛ではなく仕事に置き換えて考えてみると、「言わなくちゃいけないのに言えなくて」はすごくわかります。失敗した時すぐに言えばいいのに、咄嗟に言えなくて、「いつ言おう」って思っているうちにどんどん言えなくなって、最初に言わなかったからこそ言い出しづらくて、ようやく伝えたときに「先に言え!」ってなっちゃう状態。
 当時は電話もメールもない時代だから、相手と直接会ったその時にタイミングを逃してしまえばしまうほど、伝えるハードルはどんどん上がってしまったんでしょうね。

dummy 岩谷文庫画像

 遺書の中には、そんな先生の器の小ささが際立つエピソードがいくつも出てきます。
 Kがお嬢さんに恋をしていると知った先生は、仮病を使って家に残り、お嬢さんと結婚させてほしいと奥さんに願い出て了承を得ます。その後でKと顔を合わせて「病気はもう癒(い)いのか」と聞かれた時を振り返って「その刹那に、彼の前に手をついて、詫(あや)まりたくなったのです」と綴っていたり、その後、先生とお嬢さんの婚約を知っても冷静な態度を崩さなかったKに対して「俺は策略で勝っても人間として負けたのだ」と書いていたり。
 先生の行動はすごくずるいけれど、自分は学問においても人間性においてもKには勝てないと思ったからこそ姑息な手を使うしかなかったんだろうな、良心とせめぎあった上での苦渋の決断だったんだろうなと。罪悪感に苛まれる彼の姿はかわいいし、いとおしいなと思えてくる

 また別のシーンで先生は「私」に「恋は罪悪ですよ」とか「(妻と私は)最も幸福に生れた人間の一対であるべき」とか、「本当の愛は宗教心とそう違ったものではないんです」と話しています。彼は頭がよすぎるがゆえに、恋をはじめとした様々なことについて、理想や正解を自分の中で厳密に決めすぎている。だから、その正解から一歩外れた瞬間にすべてが崩れてしまうのかもしれない。100年以上前のキャラクターの独白ですが、先生のこういった苦しみは、現代を生きる人にもリアルに伝わるものだと思います。

dummy 岩谷文庫画像
item

淡々とした描写を重ねて物語の解像度を上げていく。
これぞ文豪、と圧倒される美しい文章

dummy 岩谷文庫画像

 このように、『こころ』は、物語はもちろん面白いのですが、僕が今回圧倒されたのは、夏目漱石が書いた文章そのものです。以下の一文をちょっと読んでみてください。

 私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。油蟬の声がつくつく法師の声に変るごとくに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろそろ動いているように思われた。私は淋しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事をよこさない先生の事をまた憶い浮べた。先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点において、比較の上にも、連想の上にも、いっしょに私の頭に上りやすかった。

 冒頭は風景描写から始まって、カメラの視線が流れるように風景から人物に切り替わって進んでいくのが目に浮かびました。この短い一節の中に、季節の変化も、先生からの手紙が届かない事実も描かれていて、そこから私自身の行動へと流れていく。普通ならただ「季節は変わった」って書いてしまいそうなところを、それだけで終わらせていないんです。いろんなことを一度に書いているのに、文章が途切れている感じがまるでなくて……なるほど、これが文豪の力かと圧倒されました。

dummy 岩谷文庫画像

 次に挙げるのも、僕が好きな一節です。

 私の自由になったのは、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節であった。私は籠を抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目に見渡しながら、自由に羽搏きをした。私はすぐ先生の家へ行った。枳殻の垣が黒ずんだ枝の上に、燃えるような芽を吹いていたり、柘榴の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の目を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るような珍しさを覚えた。

 ここは、小鳥の視点で風景を描写しているシーン。漱石は、美しい風景描写の中に時間の経過を織り込んでいくのがものすごくうまいです。植物の種類とか、枝葉の色艶とか、一文一文の説明描写は淡々としているんですが、それを重ねてどんどん解像度を上げていくという……本当にすごい。

dummy 岩谷文庫画像

 これは僕の推測なんですが、漱石はやろうと思えばもっと凝った難しい文章を書けるけれど、新聞小説としての『こころ』ではあえて抑えて、大衆向けのエンタメ作品として計算して書いたのではないかと思いました。でも同時に、深掘りしようと思うとちゃんとできるようになっているんです。
 たとえば、冒頭。「私」は先生のことを

 私はその人を常に先生と呼んでいた。(中略)筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

 と言っているのですが、後半、先生の遺書にKが出てくると「あれ、先生は頭文字使ってる。これって……?」となる。それから、前半を注意深く読むと、主人公の「私」が先生の奥さんを意識しているように読み取れる箇所がいくつかあって、読み終えた後「これはもしかして、先生を亡くした奥さんを主人公が支える流れがあるのでは?」と想像できてしまうし、きっと漱石は読者がそう感じるよう意識して書いていると思う。

dummy 岩谷文庫画像

 そこに書いてあることをシンプルに読むだけでも面白いし、深読みするのも楽しいし。色々な読み方をすることができるのが、日本で一番売れている小説である理由のひとつかもしれません。ちょうど今は夏休み期間。読書感想文の本に迷っている人は、ぜひ『こころ』で自分の感想を書いてみてもらいたいです。

#気になる一文

それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。

 これは、先生の遺書の終盤に出てくる一文。
 自殺しているKを発見した先生が、誰にも知らせずにまずKの遺した遺書をこっそり開封し、そこに自分の世間体を汚すようなことが書かれていないのを知って安堵する──というシーンに添えられています。

dummy 岩谷文庫画像

 親友が死んでしまった、という取り返しのつかない現場に直面しているのに、先生は、自分の保身を優先する利己的な自分を捨てられなかった。究極の場面に遭遇した時、結局自分のことが一番大切になってしまうのが人間。僕も先生の「ああよかった」という自分勝手な気持ちを、「人間ならそりゃそうなるよね…」と受け容れてしまった。でも同時に、そんな先生と自分を俯瞰して「人間の心って……」と悲しい気持ちで見ている自分もいる。すごいパンチを食らった一節でした。

 晩年の夏目漱石は「則天去私」という言葉を造り、自らの理想としていたそうです。
 この言葉は「小さな自分を捨てて、天地のことわりに身を委ねて生きていく」という意味。漱石自身が「自分を捨てたい」と言っているのに、『こころ』の先生は、ついに自分を捨てられなかった。このふたつの事実を照らし合わせると、人間心理の奥深さについて考えさせられる。『こころ』は、本当にすごい作品だと、改めて感じました。

dummy 岩谷文庫画像
今月の一冊
『こころ』
『こころ』
夏目漱石
【集英社文庫】

学生の私が尊敬する「先生」には、どこか暗い影があった。自分も他人も信じられないと語り、どんなに親しくなっても心を開いてくれない。そして突然、私の元に「先生」から遺書が届く。そこには、「先生」から人生の全てを奪った事件が切々と綴られていた。親友と同じ人を好きになってしまったことから始まる、絶望的な悲劇が──。人間の本質を見据え、その真実の姿を描ききった、漱石の最高傑作。

column

今回は『こころ』のレビューということで、作中のキーワードである"鎌倉の海"や"手紙"にフォーカスして、写真の方も撮影させていただきました。
その手紙を書いている風景の撮影の際、誰に向けて手紙を書こうかなぁと悩みました…。
メンバー全員の名前を書くのも良いな…。
ボーカル三人にそれぞれ一言ずつメッセージを書くのも良いな…。
色々な案が脳裏によぎりました。
ですが、結局僕が書いたのはメンバーのタカヒデのこと。愛のあるイジりをさせていただきました…(笑)
最近は遅刻もなく、責任感も強くなり、まじめに頑張ってますのでご心配なく!(笑)

dummy 岩谷文庫画像

シェアする