編集E
まず、主人公たちが中学生なのか高校生なのか、わからなかった。キャラクター性にかかわる基本情報ですから、明確に書いておいてほしいです。
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第181回
秋の円周率
冷世伊世
31点
まず、主人公たちが中学生なのか高校生なのか、わからなかった。キャラクター性にかかわる基本情報ですから、明確に書いておいてほしいです。
主人公は「絶対音感」を、形部君は「共感覚」を持っている。どちらも実際にある、一種の能力のようなものですが、この能力に関する描写が的確なのかどうか、ちょっと疑問を感じました。
「絶対音感」というのは、聞こえる全ての音の音高がわかる能力ですよね。人の言葉でも物音でも、なんでも「音階」としてとらえてしまうらしい。「おはよう」を「『ミファソソ』だな」と感じたり、サイレンを聞いて「『ラドラド』だな」と思ったり。
「どんな音も音階として聞こえてしまうので、結構うっとうしい」みたいな話を、聞いたことがあります。
主人公の転も、絶対音感があるせいで、かなり苦労していますよね。放課後の部活動のざわめきが騒音のように感じられたり、授業中の静かな教室内でさえ、シャーペンやノートの音が「うるさすぎ」たり。先生の言葉も「ドレミ」で聞こえるから、内容を把握するには相当集中しなければいけないらしい。でもその割に、友だちとはごく普通に会話していたりもする。ちょっと矛盾していますね。
それに、実際の音は、微妙な高低がいろいろあるわけですから、単純な「ドレミ音階」で言い表せるものではないでしょうし。
「絶対音感を持っているけど、さほど問題なく暮らしている」という人も、実際にはいると思います。あと、「どれほど遠く微かな音であっても、絶対音感を持つ転の耳にはそれが大きく聞こえてしまう」とありますが、これは「絶対音感」とは関係ないと思う。
一方、形部君が持っている「共感覚」。これは、ある刺激に対して、通常とは別の感覚が生じること。数字に色を感じたり、形に味を感じたりする。例えば、「7はピンクに見える」とか「三角形は塩辛く感じる」とか。
形部君の場合は、「音が物体として目の前に現れる」らしい。だから彼は、常に特殊なヘッドホンで耳を覆い、無音状態の中で暮らしている。そうしないと、「形部君の世界は/音によって現れたもので埋まってしまう」ということですが、これではもう、日常生活を送ることも困難ですね。
学校に来ても誰とも喋らず、白いヘッドホンをつけたまま、自分の席でずっと寝ているそれで許されているらしいので、学校側とは話がついていようですが、こんな状態で通学し続けることに意味はあるのかな? 勉強はもちろん、友だちさえできませんよね。普通の学校で学ぶことが難しいなら、彼に合った教育方法を探したほうがいいのでは?
共感覚者って、ここまで生活に支障をきたすものなのでしょうか?
人によって、本当に様々でしょうね。形部君のような人が絶対にいないとは言い切れないのかも。ただ、読み手が疑問を感じてしまうなら、やはり、読者を納得させる書き方ではないということです。せっかく、特別な能力みたいな要素を入れて話を作っているのに、活かしきれていないのは残念です。
たぶん作者は、「特殊な能力を持つがゆえに、大変さを感じている女の子」を主人公にしたかったのでは。「自分では普通のつもりでいたら、周囲から変だと指摘されて、そうじゃないと気づいた」と言っていますが、つまり「私って特別」ということですよね。
転は自分のことを「それほど美人ではない。特に取り柄もない。」と言っていますが、実際はピアノがとても上手です。謙遜がちょっとわざとらしいですね。
転の演奏は、形部君が唯一、「ヘッドホンを外してでも聞きたい」と思えるほど美しいものだった。今のままでは、「特別な私」が、「特別な彼(しかも超美形)」と心が通じ合う話のようにも見えてしまいかねない。女性読者は、女性主人公に厳しい面がありますから、描写のさじ加減はもう少し考えた方がいいように思います。
私はそこまで否定的なものは感じなかったかな。これは、「みんな違って、みんないい」という話だと思って読みました。
私は、特別な能力のせいで生きづらさを抱えている二人が、出会うことによって互いにちょっと救われたという話かなと感じました。いい話だなとは思うのですが、葛藤がなさすぎるところが逆に気になります。だって、転は音楽の道に進みたいわけですよね? その割には何もしていないですね。
ピアノの個人レッスンを受けている様子もないですしね。転は「毎日暇をもてあまして」いて、放課後は音楽室のピアノを気の向くままに弾いているだけ。ラストでは「私はピアニストになる」とまで言っているのに、あまりにのんびりしすぎている。
授業で円周率の説明をしていますから、中学生のお話なんだろうなと思うのですが、本当にピアニストを目指している中学生なら、もっと必死で、厳しいレッスンに明け暮れているはずです。
形部君も「画家になりたい」と言っているわりに、特に絵の勉強をしているふうではないよね。
共感覚で見た映像を忠実にスケッチしたところで、「芸術作品」にはならないです。
二人に、「夢に向かって真剣に頑張っているんだ」というところが感じられないので、話に切実さがないですよね。本気で取り組んでいれば、ライバルを羨んだり、「自分には才能がないのでは」と苦しんだり、心の中のドロドロしたものが否応なく出てくるものだと思う。今のままでは、綺麗なだけの話で終わってしまう。こういう設定なら、もう少し内面の暗い部分を描いたほうが、読者が共感しやすかったかなと思います。
「絶対音感を持っているから、将来はピアニスト」、「映像タイプの共感覚者だから、将来は画家」という発想自体、ちょっと安直に感じられますね。
「能力がある」ことは、万能ではないですからね。
でも、形部君の目に映る幾何学映像は、とても美しく印象的で、私は好きでした。
イメージの美しい作品でしたね。