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主人公の女性の内面が、丹念に描写されている作品です。小説らしさがあって、すごくいいなと思いました。キョロ充の話ですね。
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第186回
ちいさなひかり
藤井あやめ
25点
主人公の女性の内面が、丹念に描写されている作品です。小説らしさがあって、すごくいいなと思いました。キョロ充の話ですね。
えっ、なんておっしゃいました?
キョロ充。ひとりぼっちになることを非常に恐れていて、いつも知り合いを探してキョロキョロしている人のことを言うんです。大学生に使うことが多いかな。食事するときも、講義を受けるときも、移動のときも、とにかくひとりぼっちになりたくない。だから、一緒にいられる人が誰かいないかと、いつもキョロキョロ。
へええ。でもそれ、ちっとも「充」に感じませんが……。
リア充グループの末端にいることが多いんです。グループ内の階級では最下層なんだけど、とにかくそのグループの一員でいたい。「イケてる友だちがいっぱいいて、人生を楽しんでいる自分」として振る舞いたいし、あるいはそう思い込みたい。だから、リア充の人たちに必死でくっついている。無駄にはしゃいで、「盛り上がっている自分」を演出することもあります。人から「楽しそう」と思われたくてやっているんだけど、実際には本人は、さほど楽しくはないでしょうね。常に周囲を窺って、神経をすり減らしているわけですから。
まさにこの主人公ですね。キョロ充か……聞いたことなかったけど、その言葉があるということは、そういう人がかなりの数で存在するということでしょうか?
結構たくさんいると思います。
なるほど。これは、キョロ充である主人公の内面を描いた作品ということなんですね。繊細な感情が丹念に描かれているので、心の動きを追いやすかったです。ただ、私はちょっと、この主人公に共感はできなかった。どうしてここまで一人になることを怖れるのか、どうにも理解できなくて……。大学生にもなって、一人で授業を受けたくないとか、無理してキラキラグループの一員でいようとしてるけどうまくいかなくて悩んでいるとか、あまりにも幼すぎませんか? 一人でいることの何が悪くて、何が恥ずかしいんだか、まったくピンと来なかったです。
まあ、今の大学生は、こんなものなのかもしれませんね。
主人公だけではなく、グループの女の子たちもメンタルは相当幼い。「ラインの返事が遅い」「五分経っても返さないなんて、シカトしてんの?」って、主人公をつるし上げている場面がありましたね。いじめ方がすごく幼稚です。
ここ、読んでてびっくりしました。
大学生にもなってこんなことする人、本当にいるんでしょうか?
する人はするでしょうね。集団の同調圧力みたいなものって、思いのほか強いと思います。
でも、大学生が全員キョロ充ではないですからね。年齢相応に大人のメンタルを持った人は、普通にいます。主人公たちがやけに幼い感じなのは、結局、自意識過剰なんだろうなと思います。人の目も、自分の目も気にしている。周囲から「ぼっち」と思われたくないし、「キラキラした学生生活を送っていない自分」も嫌なんでしょう。
でもそういう人、かなり多いと思うんだよね。だからみんな、SNSとかでつながって、「友だちがいっぱいの自分」でいようとしたりする。まあ、年齢的にはほとんど大人とはいえ、まだ学生ですからね。今の時代、学生社会の中で「ぼっち」になるのは、相当きついと思う。だからこの主人公も必死で、グループから外されまいとしている。
こういう状況の中では、キョロ充になる大学生がいても仕方がないのかなという気はします。でも、やっぱりちょっと、「そろそろ、もう少し大人になっては?」という気もしますよね。だから終盤で高山が、「友達でもない奴らとつるむのがそんなに楽しいのか?」って、主人公にはっきり言う場面では、正直、胸がスッとしました。
高山は、主人公とは正反対のタイプですね。
他人の目なんか気にしない。我が道を行く。
超然としてますよね。加えて、変人。サングラスを常にかけていて、授業中も外さない。
これはさすがに、教授が怒るだろうと思うのですが(笑)。
このサングラスに関しては、引っかかるものがありました。終盤で高山が、「尾崎豊みたいでいいだろ。ま、本当の尾崎豊は知らないけどさ」「母さんがよく出かける時にかけてたんだ」と言っていますね。これは、高山のお母さんが尾崎豊のファンだったと解釈していいんでしょうか?
そうでしょうね。高山のお母さんは、大好きな尾崎豊とお揃いのサングラスをかけて、よくお出かけしていた。それを見て育った高山は、「尾崎豊のことはよく知らないけど、このサングラスはかっこいいものなんだ」と今も思っている、ということでしょう。
そこが引っかかるところです。どうにも年代が合っていない気がして。高山のお母さんは、高山が中学生の時に、家を出て行っています。現在、高山は大学一年生。中学生だったのは、4~6年前だと考えると、お母さんが家を出て行ったのは、2011年前後でしょうか。さらにさかのぼり、高山が生まれたのは、1997年くらいと考えられます。対して、尾崎豊は1992年に亡くなっています。高山が生まれる五年も前ですね。お母さん自身の年齢はよくわかりませんが、サングラスをかけて外出する姿を高山が見て育ったことを考えると、このお母さんは、尾崎豊の死後も二十年近く、「尾崎とお揃いのサングラスをかけてお出かけ」していたことになります。ありえるでしょうか?
そういう人が絶対にいないとは言い切れないけれど、やはり想像しにくいですね。高山が「かっこいい」と思っているということは、お母さんも、「素敵でしょ?」という気持ちでかけていたのでしょうからね。
主人公たちの親世代なら、年齢的に尾崎豊のファンであっても、決しておかしくはないです。でも、誰しも、歳を取りますからね。青春の思い出の品として押し入れにしまっておくならともかく、十年経っても二十年経っても、亡くなったロックスターとお揃いのサングラスをかけて外出する大人の女性というのは、ちょっと現実味がないような気がしますね。いや、現実に一人もいらっしゃらないとは思いませんが、小説内でそう書かれると、「ん?」とちょっと引っかかります。
そういう引っかかりを読者に感じさせない、何か別のアイテムを使えばよかったのにね。
「母親からのおさがり」として出すアイテムだから、何か「一昔前の品物」にしたかったのはわかります。時代が違うということを明確に出そうとして、「平成」と「昭和」というわかりやすい対比を使おうとしたのもわかる。ただ、「昭和の匂いがするアイテム」として「尾崎豊のサングラス」を選んだのは、結果的にあまりうまい選択ではなかったように思います。
サングラス自体の描写も気になりました。「紅茶のような色をしたレンズ」「茶色いレンズのサングラス」とありますが、「尾崎豊」がイメージさせるサングラスは、黒ではないでしょうか?
そうですね。通常、「尾崎豊のサングラス」と言えば、黒かなという気がします。
このあたりはちょっと調べればすぐにわかることですから、作品に登場させる以上は、下調べしてから使ってほしかったですね。
この作品において、サングラスはすごく重要だよね。高山が、周囲の人間から「ダサい」と思われても常にサングラスをかけているのは、それが「家を出て行った母親の愛用品だったから」という理由もあるんだろうし。
そこもちょっと、気になるところですね。五年も前に家を出て行ったお母さんのサングラスを、ずっとかけ続けている男子大学生って……うーん。
しかも、起きてる間じゅう、ずっとかけてるような印象だよね。授業中も外そうとしないんだから。本人は、「かっこいいと思うんだけど」と言ってはいますが、おしゃれ目的のようには感じられない。
お母さんへの思慕の情、ということでしょうか? でも、正直ちょっと異様な感じもする。大学生になってもまだ、家を出た母親に、ここまでこだわっているなんて。
お母さんが出て行ったのには、何かしら深い事情があったのかもしれませんが、一切書かれていないので、わからないですね。
私は「キーホルダー」にも引っかかるものを感じました。キラキラした恋愛に憧れている主人公が、「私も他のカップルみたいにお揃いのキーホルダーを付けたりしてみたい」と思っている箇所がありますが、キーホルダーはちょっと古いアイテムのような気がします。もちろんこんなのは、いつまた流行しないとも限らないけれど、今の大学生のラブラブカップルがやりそうなことの筆頭として挙げるのであれば、もう少しはっきりと、今どき感のあるアイテムを使った方がよかったんじゃないかな。
作者が今の若者世代の流行にどれだけ詳しいのかについては、この作品だけではちょっと測りかねるところがあるよね。
若者文化はすごく変化が速いですからね。今現在の若い人の感覚や空気感を正確にとらえて作品に反映するというのは、かなり難しいことだと思います。
あと終盤で、主人公が高山に、「いい加減、恥ずかしくない恋人になってよ」みたいに食ってかかる場面がありましたね。私はここも引っかかった。だって、付き合い始めたのって、つい昨日ですよね? それも、告白されて、OKして、夜に電話で少し話したくらい。こんなのはまだ、つき合っているうちには入らない程度だと思うんだけど、主人公の中ではすでに、「彼と私は恋人同士だ」みたいな認識になっているように思える。
どうしても、「ちょっと気が早すぎないか?」と思えてしまいますよね。せめて数カ月でもつき合って、こういう喧嘩をするというのならわかるのですが。
そうですね。「こうやってお互いの本音をぶつけ合うのも私たちには必要なんだ。悪いところは指摘して高め合うのも恋愛だ。」とありますが、まだろくに付き合っていないことを考えると、大げさに感じます。何だか主人公が、思い込みの激しい人間のように見えてしまう。
丁寧な心情描写はいいと思うのですが、それだけに、ちょっとくどいところがありますよね。
作者が主人公に思い入れして、つい気持ちが高ぶってしまったり、心情を詳しく説明しすぎているところはありますね。もう少し、書き方をセーブすることも覚えた方がいいかもしれません。それにしても主人公は、友達グループの中ではものすごく自分を抑え込んでいる割に、昨日初めて話をした高山にはかなり遠慮なく、言いたい放題言っていますね。地味でおとなしい人なのかと思いきや、実は結構気が強いのかもしれません。もちろん主人公にとって髙山君が、なぜだか素直に感情をぶつけられる存在だから、ということなのだと思いますが。
感情の振れ幅が大きいですよね。人付き合いに悩んでいるせいなのかもしれませんが、精神的にかなり不安定に見えます。
でもそれだけに、この主人公がラストで、勇気を出して一歩踏み出す姿は、とても心に沁みました。これは、まぎれもない前進ですよね。「主人公、頑張ったな」って思えました。
作者の中に、切実な気持ちというか、静かに燃えている思いがあることが伝わってきますよね。悩んで苦しんで、その上で変化する人間を描こうとしている。しかもそれが、すごくうまく文章化されていて、とてもいいなと思います。
「グループから離れて座る」なんて、ほんとに些細なことなんだけど、そういう「ほんの小さな一歩」というのが、逆によかった。実際に人間が踏み出す一歩って、こんなものですよね。そしてそんな一歩でも、本人は大きな勇気を振り絞っているものです。ラストを芝居がかったオーバーな展開にせず、冷静にまとめているのは好印象でした。
客観性がありますよね。
高山をかっこいい人に描いてないのが、逆によかったです。
もっとも高山は、サングラスさえなければ、「ワイルドでかっこいい人」なのかなという気もしますけどね。
彼は、一人ぼっちでぼんやり夕焼けを眺めている寂しそうな主人公を見て、グッときたんですよね。ここは、すごくきれいな場面だと思います。
しかも後で、「ぼーっと夕焼け見てる女なんか、普通好きになんねえよ」みたいなことを言っている。ここもいい。とても内面のしっかりした男の子ですよね。高山君、私は好きですね。
作者さんご自身が、まじめでちゃんとした方なのかなと感じますね。
はい。文章がしっかりしてますよね。展開も、基本にのっとって、ちゃんと考えられている。悩みを抱えている主人公が、いろいろ考えて、迷って、最後に一歩踏み出して、それまでの自分を打ち破るという話にまとまっています。心の変遷を非常に丁寧に描きつつ、希望の持てるラストへ導いているのは、とてもよかったですね。描写もすごく上手でした。「はみ出た踵が硬くなったお餅のように愛らしい」なんてところは、思わず「うまい!」って叫んじゃいました(笑)。ただやはり、大学生を主人公にした話としては、内容が幼すぎるのがちょっと気になります。これが現代のリアルな一面を切り取っているのだとしても、読者によっては「くだらない悩み」と一蹴してしまうかもしれない。逆に、「まさに私のことを書いてくれている」と感じる読者もいるはずなので、どこをどう直した方がいいという問題ではないのですが。
アイテムの選択や使い方にも、難がありました。下調べが不十分に見えるのも、注意してほしいところですね。それに、現代の若者を主人公にした恋愛を描くことが、この作者に合っているのかどうかも、ちょっとよくわからなかった。丁寧な心理描写という長所を活かせる題材は他にもあると思いますので、ぜひ、いろんな可能性を探ってみてほしいですね。