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姉が弟を溺愛していて……という話なのですが、その溺愛ぶりが、かなり異常なんだよね。
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第186回
シェルレーンの薬工房
佐倉由佳
33点
姉が弟を溺愛していて……という話なのですが、その溺愛ぶりが、かなり異常なんだよね。
鎖につないで、監禁してますからね。
なのに、監禁されてる弟の方は、あまり嫌がってない感じなんだよね。文句をつけるどころか、「僕なら大丈夫だよ、姉さん。気にしないで。いつも仕事、お疲れさま」なんて言っている。せっかく友人のレナートが、衛生局の検査員に化けて救い出そうとしてくれたときも、自分から隠れてチャンスを台無しにしています。その理由は、「僕を閉じ込めているのが世間に知られたら、姉さんは(中略)結婚もできなくなる」から。こんな状況下で、それでもまだ姉の将来を本気で心配しているなんて、ものすごく姉思いの弟なんだなとびっくりしました。だから、コーラルは口では「外に出たい。世界を見たい」と言ってはいますが、それほど強い気持ちではないんだろうと思っていたら、なんとそのすぐ翌日に、今度は自ら大芝居を打って、家から出て行ってしまいます。死んだと見せかけて姉を欺き、レナートと旅に出る。これ、ものすごくいきなりな展開ですよね。昨日と今日で、やっていることが全然違う。
ここまで派手な演出をしなくても、家を出ることはいくらでもできたんじゃないかな。レナートという協力者もいるわけですし。焼死した証拠にするために焼けた靴をあらかじめ用意しておいたり、死亡診断書を偽造したり、手が込んでますよね。いくら姉から自由になりたかったとはいえ、自分の生まれ育った家でもある薬工房を焼失させる計画を立てるなんて、ちょっとやりすぎではないでしょうか。それに、エメとマシアスをカップルにさせようと裏工作していますよね。いくらマシアスが、エメに恋する誠実な男であっても、エメの方は彼を好きでもなんでもない。勝手にくっつけられては、エメもいい迷惑です(笑)。
エメは、弟以外の人間なんて、本当にどうでもいいんだもんね。むしろ、「誰もかれも、大事な弟をいつ横取りするかもしれない存在。邪魔!」くらいにしか思っていない。こんなにもコーラルだけを偏愛しているのに、その相手に死なれたりしたら、エメは一生立ち直れないんじゃないかな。コーラルは、「僕は自由の身になれたし、姉さんは自分を愛してくれている男と結婚できる。めでたしめでたし」みたいに思っているようですが、これでエメが本当に幸せになれるかどうかは、大きな疑問です。自分が書いた筋書き通りに姉は幸せになるだろうなんて本気で思っているのなら、コーラルは勝手すぎると思う。
結局、姉の弟への愛情も、弟の姉への愛情も、どっちもひどいよね(笑)。お互いに、まったく相手の気持ちを考えていない。
レナートもけっこう悪い奴なんですよね。友人としてコーラルを助けようとしているのかと思ったら、ラストで、実はエメと同じような、偏執的な想いをコーラルに抱いているのだとわかる。でも、今のところは、なんとかその欲望を追い払って、さあ旅へ――というところで終わっているんだけど、この終わり方はなんだかモヤモヤしますね。結局、何が書きたかった話なんだろう?
これ、要するに、コーラルは人を狂わす魔性の少年――ということではないでしょうか。
あ、そうなの? これ、そういう話?
私は、そう思いながら読んでいました。エメも、最初は普通の女の子だったんだけど、弟と暮らすうちに、その魔性に魅入られておかしくなってしまったのではないかと。
私もそう思いました。
じゃあレナートも、危険な欲望を秘めた青年、というわけではなく、コーラルの魔性に狂わされた一人、ということなんでしょうか?
そうなの? 作者は最初からそういうつもりで書いているのかな? 私はそういう風には読まなかったんですが。というか、思いつきもしなかった。
本当に「コーラル=魔性の少年」という設定だということなら、それを読者に伝える描写が足りなさすぎると思う。現状では、作者の意図はよくわからないですね。
これ、読み筋がはっきりしない作品ですよね。行き過ぎた姉の愛情から一計を案じて逃れる弟の話なのか、それとも、魔性の少年が周囲の人間の人生を狂わせていく話なのか。弱い立場にいた弟が姉を欺いて脱出するという痛快などんでん返しを描きたかったのか、それとも、せっかく姉の手から逃れたのに、コーラルはこの先も同じ目に遭わされ続けるのかも……という不穏さを出したかったのか。いろんな読み方ができてしまうので、読者はどう読めばいいのかわからない。
コーラルについて、もうちょっと描写があればよかったですよね。今のままでは、コーラルがどういう人物なのか、よくわからない。だから、周囲の人間が人生を狂わせるほど彼に魅入られてしまうということが、今ひとつうまく伝わってこないです。
コーラルが何をどう感じているのかという、内心の描写がほとんどないのは、作者がわざとやっていることだと思います。オチにつながる部分ですから。「姉に監禁されている、気の毒な弟」と読者に思わせておいて、最後の最後で、「実はこの弟こそが、周囲の人間を魔性の魅力で惑わせていた張本人だった」ということで、オチをつけているんだと思う。だから、読者を驚かせるために、わざとコーラルの心情は伏せ気味にしたんじゃないかな。ただ、そのせいで、読み筋が最後まではっきりしないという弊害が生じてしまっています。やはりもう少し、読者の気持ちをさりげなく誘導する工夫が必要ですよね。小説を書くときには、「読者には、こういう読み筋で読み進んでほしい。ラストではこういう気持ちになってほしい」というようなことを念頭に置いておいて、うまくその方向へ導けるよう、ある程度計算して書き進めたほうがいい。どんでん返しを効かせたいなら、なおさらです。そのためにも、この話は冒頭を書き直した方がいいと思います。エメが市場で買い物をするシーンが六枚近く続いていますが、こういう書き方はまどろっこしいです。もう一枚目からいきなり、エメとコーラルのシーンで始めたほうがいいと思う。例えば、エメが部屋の扉を開けて、「コーラル、朝食を持って来たわ。今日の体調はどう?」と声をかける。コーラルは、「とてもいいよ、姉さん。どうもありがとう」とにこやかに応じる。でも、なぜか彼の両手は、鎖に繋がれている――みたいな。こういう書き出しにすれば、読者は「いったい、どういうことなんだろう?」と、この姉弟の関係性に注目し、興味を持ちますよね。
なるほど。やっぱり、冒頭からある程度、「こういう話ですよ」と方向性を示すのは大事ですよね。読者にネタバレしたくなくて、情報を伏せ気味にしたくなる気持ちはわかるのですが、やりすぎると本末転倒になる。
ええ。こういう話だったら、最初から読者に、「何か異常な事態が起こっているぞ」と思わせる「引き」を作ったほうがいいと思います。読者の興味を適切に引きつけておいてから、話を進めていくんです。もちろん最初の段階では、弟が魔性だということは読者に伏せておいていいんですよ。
他にも、読んでいて引っかかるところはたくさんあった。全体的に、ツッコミどころが多い印象だよね。
そうですね。例えば、レナートが検査員のフリをして薬工房に来るシーン。エメは、検査員がレナートだということに、まったく気づいていない様子ですよね。これは、変装していてわからなかった、ということでしょうか?
それはちょっと考えにくい。エメは検査員の顔を、近くではっきり見ています。「当たりは柔らかいが底の見えない水のような目をエメに向けている」とか「よく日に灼けた端整な顔立ちをしている」とか、エメの目を通した外見描写も詳しく書かれています。
それならやはり、レナートに気づかないのはおかしいですね。エメにとってレナートはむしろ、「弟を旅に連れ出そうとした、超危険人物」ですから、常に警戒しているはず。レナートの存在は知っていても、顔を知らなかったのかな? でも、それも納得いきにくいです。エメなら、超危険人物の身元や顔をちゃんと調べて把握していそうですから。
なんたって、鉈を持って報復に行こうとしていた相手だもんね。それにしても鉈って……(笑)。このお姉さん、ものすごく怖いよね。
こんな恐ろしいエメに、マシアスはどうして恋心を抱けるんだろう?
謎だよね。ものすごく度量が広い男なんだな……と、無理やり解釈したけど(笑)。それに、コーラルも相当、変だと思う。鎖につながれても、文句ひとつ言わないどころか、むしろ自分を監禁した姉を気遣っている。
この状況で「姉の結婚」を心配しているコーラルのメンタルには、確かに疑問を感じますよね(笑)。さすが魔性の少年です。
コーラルは本当は、何を考えているのかな? 自分が「魔性の魅力」を持っていることに気づいているのでしょうか? それとも、当人はあくまで純真無垢な少年なのに、周囲の人間が勝手に彼に魅入られておかしくなってしまう、ということなのでしょうか?
今の書き方から推測するなら、作者はコーラルを「無垢な少年」として描こうとしているように思います。本人には、「魔性の魅力」を持っている自覚はない。
うん。コーラルのことは、どこまでもピュアな、天使みたいなキャラにしたかったのかなと感じますよね。だから、ひどいことをされても「ありがとう、姉さん」みたいな反応を返す子として描かれている。
でもそれは、一般的な反応からは、かなりズレてますけどね。
本当にピュアな少年なら、こんな目に遭ったら純粋に怯えるのが普通だと思うのですが。震えながら、「やめてよ、姉さん」って。
あるいは、「姉さん、こんなこと、やっぱりよくないよ」って諭そうとするとかね。なんにせよ、監禁されることを平然と受け入れたりはしないと思います。だから読者としても、コーラルに共感しづらい。やはりコーラルには、監禁されて動揺しているという「普通の反応」をさせた方がよかったかもしれないですね。その方が、「実は、コーラルこそが魔性でした」というラストのオチがより活きてくると思います。読者に感情移入させておいてから、どんでん返しをする方が、ずっと効果的ですから。
このオチに持っていくまでの細かい伏線も、もう少し必要だと思う。例えば冒頭に出てくるジャンナおばさんは、実は本当にコーラルにご執心なんだということにするとか。
そうだよね。もっとしつこく絡んできて、「コーラルちゃんは? コーラルちゃんどこなのよ!? 会いたいのに!」みたいなことを言わせるとかね。
そういう描き方にするほうが、ラストのオチに納得感が出ます。今のままでは、コーラルの魔性ぶりが読者にはっきり伝わらない。
現状ではジャンナは、単に親切で気のいいおばさんだよね。エメが勝手に警戒しているだけで。
コーラルの魅力に、感化される人とされない人がいるというのも、ちょっと引っかかる点ですよね。本当に「魔性の少年」なのだとしたら、コーラルに関わる全員が彼に魅入られなくてはおかしい。それとも彼は、自分の魅力を自在にコントロールして、狙った相手だけを篭絡できるのかな? そうなると、「無垢な少年」という私の読みがまちがっているわけで、やはりちょっと作品の読み筋が曖昧すぎるような気がしますね。
それに、こんなに周囲に対して牙を剥き出しにしているエメが、コーラルと二人きりになったとき、別にコーラルに何をするわけでもないですよね。普通に世話をしているだけ。コーラルの「魔性の魅力」は相手にどういう影響を与えるものなのか、今ひとつつかめないです。ただ監禁すれば満足なの?
そういう辺りを、作者がどういう設定で書いているのか、そのルールがわからないですよね。
もういっそのこと、「両親もコーラルの魅力のとりこになっていた。家族中で殺し合って、姉が勝利して生き残り、コーラルを自分だけのものにした」、みたいな設定にしたほうが良かったかも。
実は私は、まさにそう想像しながら読んでいました。もしかしたら、何かの薬のせいで、コーラルに人を惑わす特殊な力が宿ったのかもしれないですね。だから話の舞台を、薬工房にしているのかなと。
でもそれは、作品内には書かれていないですよね。推測の域を出ない。本当にそういう設定なら、やはり読者にちゃんとわかるように書かなければいけないと思います。
確かに。全体に、よくわからないことが多くて、読者が作品に入り込みにくいですよね。そのうえ、キャラクターたちの言動も、常軌を逸しているものが多く、理解しづらい。
読んでいて、思わず首をひねってしまうような、腑に落ちないところがいろいろ目につきました。
設定も展開もキャラクターの描き方も、もう一度よく練り直して、もうちょっと呑み込みやすい話にしてほしいですね。
キャラクターの相関関係は、悪くなかったと思う。過保護すぎる姉と、姉のことは好きだけどそろそろ新しい世界に旅立ちたいと思っている弟。そこへ、弟の友達が誘いをかけてきて、それに気づいた姉が阻止しようとして――みたいな人間関係の絡みは、書きようによっては、すごく面白くなりそうな気がする。だから、書き方の問題じゃないかなと思います。現状では、設定とキャラクターが、全く噛み合っていない。
キャラクター同士の会話とかも、噛み合っていないと思いました。それぞれがひとりよがりで、気持ちのやり取りになっていない。
全体に、どうもちぐはぐなんだよね。
そうですね。でも、そのちぐはぐさが面白いし怖い、というところもあったと思います。ただ、もう少し読み筋の計算はした方がいい。せっかくオチを作っても、それが効果的に活きなかったらもったいないですからね。
主人公たちのネーミングも、再考してほしいです。
確かに(笑)。「エメラルドの海」だから「エメ」なのかなあと。
海つながりで、珊瑚=コーラルにしたのかなと(笑)、つい思っちゃいますよね。
でも、表現がいいところも、いろいろありました。「滴り落ちるハチミツのように締まりのない顔」なんて、うまいと思いましたね。ただ、話全体を、もう少し大きな流れでしっかり捉えた方がいい。読者に、「理屈が通っていない」とか「キャラクターの反応が変だ」とか思われてしまうのは、得策ではないですからね。書き方の塩梅がうまくいっていないせいもあるのかなと思いますので、もうちょっと全体に目配りしながら書き進めるよう、心がけてみてください。導入部や、登場人物の本心をチラ見せする塩梅などをもう少し練れば、作者が意図したとおりにどんでん返しが効き、よりスリリングで怖い作品になると思います。