編集A
かなりの田舎の、そのまたさらに山奥に住んでいる男子高校生・宗一君のお話です。学校へ通うのに、毎日片道一時間半もバスに揺られなければならないのを、日々苦痛に感じている。宗一君は読書家なので、バスの中で読書を楽しめるならまだよかったのですが、現実は甘くない。車酔いしやすい体質のせいで、「何もしていなくても自然と三半規管がやられてしまう」らしい。本を開いて、文字列を目で追おうものなら、頭痛が起きてしまう。
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第189回
夏の空蝉
鈴白なぎ
29点
かなりの田舎の、そのまたさらに山奥に住んでいる男子高校生・宗一君のお話です。学校へ通うのに、毎日片道一時間半もバスに揺られなければならないのを、日々苦痛に感じている。宗一君は読書家なので、バスの中で読書を楽しめるならまだよかったのですが、現実は甘くない。車酔いしやすい体質のせいで、「何もしていなくても自然と三半規管がやられてしまう」らしい。本を開いて、文字列を目で追おうものなら、頭痛が起きてしまう。
僻地の山道だけに、車の振動も相当激しいのでしょうね。宗一以外の乗客は、通常二人だけ。運転手相手にしゃべり倒しているおばあさんと、見るからに真面目そうな他校の女子高生。話す相手もなく、読書も楽しめず、車酔いに耐えながらただ過ごす一時間半。これが毎日続くのは、確かにキツそうですね。
それでも無理やり本を読もうとしていたところへ、今日は珍しくも、途中のバス停から、都会的な雰囲気の若いきれいな女性が乗り込んできた。垢抜けた服装。鼻先をふんわりとかすめる、香水か柔軟剤のいい香り。しかも、彼女が携えている文庫本は、宗一が今手にしているのと同じ、「三津浦咲著『空蝉』」。これはもう、高校生男子としては、心が動いちゃいますよね(笑)。
むしろ、これ以上ないくらいのシチュエーションでしょう(笑)。
宗一君視点のところと、この若い女性・那月視点のところを、交互に描くという書き方になっています。まあ、べつにこの二人はラストで恋仲になるわけでもないのですが、ちょっとしたバスの中でのふれあいというものが、うまく描けていたなと思いました。バスの中の場面しか出てこないというのが、すごくいいですよね。ほんの何日か、同じバスに乗り合わせただけの関係。でも、ちょっとしたきっかけで話をするようになり、親しくなりかけたんだけど、彼女はまた去って行ってしまう。バスの中だけで始まって終わる、ひと時の出会いと別れ、みたいなものを描こうと、作者は意図的に仕掛けているのだろうと思います。その仕掛けは、きっちりと効果を上げていたなと感じられて、私は高く評価しました。宗一君の語りの部分には、いかにも高校生の男の子らしい理屈っぽい饒舌さも多少あるのですが、鬱陶しさを感じるほどではなかった。全体に、すらすらと、とても楽しく読めました。冒頭の辺りなど、ほとんど改行がなくて、びっしりと文字で埋め尽くされているのですが、それでもすごく読みやすいですよね。こういう辺りも、とてもいいなと思います。
この改行なしは、わざとなのでしょうか?
うーん、もしかしたら、フォーマット等のデータの不具合かもしれませんね。でも、三枚目からは改行部分も出てきますし……
まあ、故意であるにせよないにせよ、丸々二枚以上も改行なしで書かれているのに、読みづらさはまったく感じませんでした。瑞々しくてうまい文章だからだろうなと思います。おそらく主人公同様、作者も読書が好きで、日頃から楽しく本を読んでおられるのでしょうね。
文章にリズム感がありますよね。例えば十九枚目に、「その笑顔が、たまらなく愛らしかった。描きたい。描きたいと思った。これが自分の描くべきものなのではないかと思った。」とあります。繰り返しが一見くどいんですが、そのくどさの中にいいリズムがあって、なんだか気持ちよく、スムーズに読める。宗一君の内心の想いが、ビビッドに伝わってきて、すごくよかったです。
必要以上には、文章をこねくり回していないのもいいと思いました。
そうですね。高校生の男の子の一人称の場合、やたらと気取った、小難しい言い回しをさせたりするケースもありますが、本作の主人公・宗一君はピュアな感性の純朴な男の子ですから、そういうのは似合わない。宗一君の一人称が、宗一君の性格や考えをちゃんと反映した語り口になっているのは、すごくいいですね。
投稿作の中には、変に文章に凝るあまり、かえって読みにくくなっているものがあったりするのですが、この作品は真っ向から素直に丁寧に書いてある感じで、非常に好感が持てますよね。
そして、那月さん視点のところでは、またちゃんと、若い女性の語り口に変えていますよね。こういう辺りも、とてもうまいなと思います。
青春感のある作品だなとは思うのですが、私はちょっと、ストーリーが不足しているように思いました。今のままでは、物語としてどうにも物足りないですよね。思春期の男の子が、きれいなお姉さんに出会って、淡い恋心を抱いて……でも、そこから先のドラマが何もない。もう少し、話を展開させるなり、エピソードを重ねるなりしてほしかった。物語に引き込まれる前に、話が終わってしまった感じです。
まあね。ただ、主人公と同じ「男性」の立場で言わせてもらえば、僻地で暮らしている男子高校生が、都会的なきれいなお姉さんに出会い、お近づきになって、あまつさえ絵まで描かせてもらえるなんて、これはもう、人生に一度あるかないかぐらいの、ものすごい大事件なのですよ(笑)。
一生分の幸運を使い果たしてしまうぐらいの出来事ですよね(笑)。
僕だってできれば、高校生のとき、こんな経験をしてみたかった(笑)。心から宗一君が羨ましいです。きっと彼は、この出来事を一生忘れないだろうし、歳を重ねれば重ねるほど、甘酸っぱい気持ちで思い返すんじゃないかな。
「かっこいい男性と素敵な恋をして……」という女子妄想があるのと同じように、「きれいなお姉さんといい雰囲気になって……」という男子妄想もあるんです(笑)。この作品は、男の子にとってすごく夢のある話なわけで、僕も非常に共感できた。ただそれだけに、「微妙に小説になり得ていないのでは?」という指摘はわからなくもない。男の子の都合の良いドリーム、という面は確かにありますから。
きれいなお姉さんに恋して破れるというのは、十代の男の子にとって、すごくいい失恋体験ですよね。甘くもあり、ほろ苦くもあり。
私は、バスという密室の中で知り合った、ちょっと謎めいたきれいな女性と、だんだんお近づきになって……という展開には、ちゃんと物語(ドラマ)があると感じました。ただ気になったのは、那月さんがどういう人なのか、最後まで読んでもよくわからないことです。都会の生活に疲れて、田舎に帰ってきている、ということらしいですが、那月の一人称視点があるにもかかわらず、具体的な事情はほとんど語られず、最後まで曖昧模糊としていますよね。
勤めていた会社をしばらくお休みして、実家に充電しに戻っているOLさん、なのかな? 「都会の生活に息苦しさを感じて、逃げてきたのだ」みたいなことが書かれていますので。
でも、勤め先が何の会社で、彼女はそこでどんな仕事をしていたのか、まったくイメージが湧かないですよね。都会での生活の、何にそれほど疲れたのでしょう? 社会人にとって、何日も会社を休むというのは相当勇気のいる行動だと思いますが、そうまでして実家に帰るほどの、何が彼女に起こったの?
ブラック企業に勤めていたのかもしれませんね。あまりに過酷な労働を強いられて、耐えきれずに逃げ出したとか。
私は、「会社で不倫でもしたのかな?」と思いました。もしかしたら、妊娠・中絶まで行ったのかもしれない。今後の人生に迷いが生じ、いったん田舎へ戻ることにしたのかなと。
実は私も、男性絡みの何かが原因ではないかなと思いながら読んでいました。
那月さん、「ずるいな、私。こんな純真な男の子を、まるでたぶらかしているみたい。」、なんて思ったりしてますよね。
恋の駆け引きに慣れている感じですよね。だからまあ、同僚との不倫か何かが原因で会社に居づらくなったのかなと解釈しました。ただ、これらはあくまで推測で、本文中では一切語られていませんよね。
親との関係が良好でないことに関しても、説明がひどくあいまいですね。「私が一番大変なときでさえ、彼らはいつも通りだった。私を、助けてはくれなかった。それが、両親の失敗だった。」とありますが、「私が一番大変なとき」って、いったいどんなことがあったのでしょう?
那月が、なぜ急に都会に戻ることにしたのかも、よくわからないです。「本当はもう少しいるつもりだったけれど。色々と帰らないといけない事情ができてしまった」とありますが、何の事情がどう変わったのかは、まったく書かれていない。ちょっといろいろ、思わせぶりになり過ぎていますね。一人称の割に、具体的な説明が一切ない。これでは読者は、那月さんというキャラクターをつかめません。やはりもうちょっと、那月の情報を盛り込むべきだったと思います。
バスの中以外のシーンも入れたらよかったのかも。二人でどこかへ出かけて、そこで那月の絵を描くとか。バスの中で人物画を描くというのは、ちょっと無理があるような気がします。どこかで二人一緒に時間を過ごすうちに、那月の事情が少しずつわかってくるという形にすればよかったんじゃないかな。
いやいや、「バスの中」の場面しか出てこないところが、この作品のすごくいいところじゃない? 短編映画みたいに、舞台を限定することで印象的なドラマを作るという手法を、作者は意図的に用いているのだと思います。
そうですね。確かにこの作品は、登場人物がほぼ二人だけ、というのがいいところだと思います。バスという密室の中の、二人だけの世界、みたいなところが。だから、作品舞台は今のままでいいので、那月さん視点のところで、彼女が自身の過去に思いを巡らすという形で、自然に情報を出せばよかったのではと思います。小説の場合、人物の事情とか、内心の想いといったものは、登場人物が実際にいる場所がどこであろうと、自在に時空を越えていくらでも盛り込むことは可能ですから。つまり文章表現は、映像表現とはちがって、登場人物の行動(アクション)を必ずしも伴わなくていいので、バスのなかで登場人物が一回まばたきする間に、百万年間に起こったことだって、遡って書けてしまうのです。そこが小説のいいところです。
この作品、二人が交互に語る形になってはいますが、やはりあくまで、宗一君の話だと思うんです。那月さんの一人称の部分は、必要ないんじゃないかな。もう最初から最後まで、宗一の語りでいいのではないでしょうか?
確かに、宗一視点に統一して描いてもよかったかもしれませんね。素敵な女性がバスに乗ってきたので、勇気を振り絞って話しかけてみた。そして、彼女との会話の端々から、「那月さんは、こういう事情で今ここにいるんだろうな」と宗一が察する。そういう形ででも、那月さんの情報は十分盛り込めます。
『空蝉』を、会話の糸口にすればいいですよね。「あなたが持っている本、僕のと同じですね」って。「僕は、ここの文章が好きなんです。あなたは?」って。せっかく、偶然にも同じ本を手にしているのですから、もっと話の展開に絡めてほしかった。タイトルにもつながる、重要な要素なんだし。
作者がまだうまく那月さんになりきれていなくて、そのせいで那月さんの背景が曖昧なままになっているところがあるようにも思います。登場人物同士に、もっと会話をさせればよかったですね。そうすることで、作者自身にも、それまで見えていなかった登場人物の背景が見えてくることがありますから。ところで、ラストの辺りで宗一君が呆然となって、「この女。この女は。」と思うくだりがありますが、私はここがよくわからなかった。恋をした美しい年上の女性を、なぜいきなり「この女」扱いしているのでしょう?
もしかしたら、「女」には「ひと」というルビが振ってあったのかもしれませんね。
仮にそうだとしても、この一行は、宗一君のどういう気持ちを表現しているのでしょう? 宗一君は、何にそんなに呆然としているの?
「この女は」に続く言葉が何なのか、よくわかりませんね。
ストレートに解釈するなら、「え、この女は、俺をフるというのか?」、ということなのでしょうけど、でも宗一君は、そこまで自信たっぷりの子には見えないですよね。
フられる予感に意気消沈しながらも、諦めきれずに食い下がってますよね。「連絡先だけでも」とか、「年なんて関係ないです」とか。「俺、自信満々で告白したのに、フられて呆然。なんだよこの女は!?」と思っているとは考えにくい。
だからどうにも、この一行の意味がわからない。ここだけは、読者がちゃんと意図を汲み取れるような書き方ができていないと思います。それと、告白をされた時の那月さんの対応も、ちょっとひどいなと思いました。いくら行きずりの少年とはいえ、自分を好きになってくれた男の子が一生懸命描いてくれた絵なのですから、受け取るぐらいしてあげればいいのに!
「本当にもらっていいの?」とか言っていたくせに、置き去りにしていますね。
宗一君の、精一杯の想いが詰め込まれた絵ですよね。せめてその気持ちだけでも、受け止めてあげてほしかった。宗一君、かわいそうでしたね。
あの、つかぬことをうかがいますが、那月さんは生きている人間なのでしょうか?
えっ、もちろんそうでしょう?
実は私、「那月さんは、幽霊なのかも……」と思いながら読んでいたのですが。
それは……思いつかなかった。え、そういうことなのかな? 幽霊だったの? だから絵を持って行けず、置いたまま去ったのでしょうか?
もしかして、「両親は、私が一番大変だったときに助けてくれなかった」というのは、「自殺した」ということを意味しているのかな?
言われてみれば、なんだかそういう風にも読めてきた。
宗一君は、ラストでそれに気づいたのかもしれない。「この女は……幽霊だったのか!」と思って呆然としているのかも。
タイトルも『空蝉』ですしね。那月さんは、もう亡くなっているのか……?
いやいやいや、ちょっと落ち着きましょう(笑)。さすがにそれは深読みのしすぎでは? これは、ストレートに読んでいい作品だと思います。
まあ、そうでしょうね。「実は幽霊だった」という真相なら、匂わせ方も足りないですし。
やっぱり深読みでしたか(笑)。すみません。
いや、確かにそう読めなくもないし、そういう真相だったと解釈しても、違和感はないと思います。どちらにせよ結局、「男の愛を受け取らずに去る」わけで、だから「空蝉」なんですよね。
『源氏物語』の「空蝉」の段をモチーフにしていると思えますよね。光源氏の求愛を、最後まで拒んだ空蝉の君のお話です。
那月さんは最初から、宗一君を本気で相手にする気はなかったですよね。私は、ラストの「この女は」のくだりは、宗一君が自分がもてあそばれていることに気づいた瞬間なのかなと思いました。純粋に憧れていた相手の、美しいだけではない一面に気づいてしまって、呆然としているのかなと。
まあ、「もてあそぶ」というほど、那月は宗一に、思わせぶりな態度を取っているわけではないけれどね。
結局、那月さんは宗一君が思っているほど、女神のような女性ではなかったわけですよね。絵を受け取らなかったのは、想いに応えられない相手への、那月さんなりの誠実さだったのかもしれません。でも、本当に誠実な女性として那月さんを描くのであれば、主人公の告白に対してきちんと返事をさせた方がよかったのではと思います。
僕はむしろ、ラストの那月さんは、もっと嫌な女性になってもよかったんじゃないかなという気がします。「ちょっとからかってみただけよ。あなたみたいな子供を、本気で好きになるわけないじゃない」みたいに、大人の女性として主人公を、ある意味ちゃんと裏切ってあげてほしかった。そうであってこそ、今回の経験が、主人公の中で活きるのではないかと思います。
それも一理ありますね。そして、そういう台詞を言わせるためには、那月さんの人となりを、もっと描くべきですよね。その台詞を言うに至るまでに、那月さんがどういう人生を歩んできたのかということを、作者は把握していなければいけないし、読者にもある程度伝わるよう描く必要があります。今のままでは、「幽霊かも?」と思う読者が出てきてしまうほど、那月さんにつかみどころがない。キャラクターの描き方が十分ではなかったということですね。もう少し具体的な情報やエピソードを盛り込んでほしかった。そういう肉付けがあってこそ、血の通ったキャラクターになるのですから。
あと、誤字脱字にも気をつけてほしい。「補習」がずっと「補修」と書かれていて、学校の壁でも直すのかと思ってしまった(笑)。
「臆面もなく驚いた」という表現も、しっくりきませんね。「臆面」を辞書で引いてみてください。でも、文章自体はしっかりしているし、描写や語り口もすごくいい。宗一視点の部分は特に、ほのかなユーモアもあって生き生きしていました。細かい描写やエピソードを通じて、彼がどういう人物なのかということが、よく伝わってきたと思います。
宗一君、いい人生経験ができましたよね。「とある夏の、少年の淡い恋」みたいな物語になっていて、すごくよかった。
とてもいい感性を持っているかただと思いますので、今後もぜひ書き続けていってほしいですね。