編集A
仕掛けのあるお話ですよね。
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第190回
ミッシー・イン・ザ・ハウス
蛙目エリカ
29点
仕掛けのあるお話ですよね。
「信頼できない語り手」タイプの小説ですね。
ただ、「終盤まで読者を騙し続けて、最後に驚かせてやろう」とまで企んでいるわけではないように思います。「私は女子高生」と言っている語り手の女性が、実はおばあさんだということに、割合早く読者は気づくのではないでしょうか。
私は、十五枚目に書かれている「焼きそばの思い出」の辺りで気づきました。ちょうど話の中盤ですね。
読者によっては、もっと早い段階で気づく人もいるだろうと思います。「ああ、この主人公、自分のことを女子高生だと思っているけど、実際はもうおばあさんと言っていいくらいの年齢なんだろうな。認知症か何かなんだろうな」と途中でうすうす勘づくわけですが、その後も変わらず話は続いていく。この、終始一貫して「女子高生のつもりでいるおばあさん」の視点で描いているところが、この作品のいいところだと私は思います。種明かしを最後まで引っ張ろうとか、読者にバレた頃合いで視点人物を変えようとかしたりせず、あくまで「女子高生のつもりのおばあさん」視点で、淡々と書き進めている。それにより、視点人物の内面が、じっくりと読者に伝わりますよね。記憶に不明瞭なところがあったりする人物の語りなのに、語り手が何をどう感じ、世界をどう捉えているのかということを、読み手はちゃんと理解できる。他人の内面をリアルに感じることができたという点で、私はこの作品を高く評価したいと思いました。
心情の追い方が、すごく丁寧ですよね。
はい。読んでいると、主人公の抱えているもどかしさとか、わからないことだらけの不安感とか、実は自分の娘である「知らない女の人」への無意識的な信頼とか、そういった様々な思いや感情が、リアリティを持って伝わってきます。主人公の語りから、その人の体温を感じることができました。ごく普通の人間である主人公を、等身大に、過不足なく描けているというところが、とてもよかったなと思います。
記憶力に難のある主人公の内面を、最後まで一人称のまま描いたというのは、すごく頑張ったなという印象だよね。
そうなんです。主人公は本気で、「私は女子高生」と思い込んでいますよね。「学校行かなきゃ。宿題やらなきゃ」と思っている人物が、鏡の中の年老いている自分の姿に驚いて、おもらししてパニクって、幼い子供のようにされるがまま面倒を見てもらって、でも落ち着いたらまた、「将来もし私が結婚したときには……」なんて考えたりしているということが、大きな違和感なく描けていました。
出だしもよかったですよね。「知らない女の人が家の中にいる。」という冒頭の一文には、「どういう話が始まるんだろう?」と思えて、すごく興味を惹かれました。読者が徐々に真相に近づくよう、語りの中で少しずつ情報を明かしていく書き方とかも、割合うまくいっていたと思います。
ただ、全体的に話が平坦ですよね。私はちょうど、話の真ん中あたりで、「この主人公、実はおばあさんだな」と気づいたわけですが、そこから後もまた、同じような読み味の文章が最後まで続くというのは、どうにも起伏がなさすぎる気がする。まあ、認知症の方の一人語りだから、面白おかしく語ったりしたら逆に不自然になるだろうけど、それにしてもこれではちょっと、読者は退屈するよね。
確かに。私は、一人称の語りで最後まで押し通す書き方を評価はしているんですが、後半がやや退屈だという指摘には、頷かざるを得ないです。
心象風景としてはよく書けているけど、物語としてはストーリーが足りないですね。「語り手の人物は実は……」という真相が発覚した後も、読者を話に惹きつける工夫なり、魅力作りなりが、必要だったのではないかと思います。
何かしら、事件でも起こせばよかったかもしれないですね。小さなものでかまわないから。例えば、パニックに陥った主人公が、「私の本当のうちに帰ろう」と家を飛び出してしまうとか。もう少しストーリーに、盛り上がる箇所がほしかった。話の展開に起伏があれば、当然、主人公の気持ちにも起伏が生じますよね。一人称の物語なのですから、よりストレートに反映させられるはず。そこが話の盛り上がり部分となり、読みどころにもなったのではと思います。
あるいは、描き方そのものを変えるとかね。この主人公、はっきりとは書いてありませんが、おそらく若年性認知症を患っておられるのだろうと思います。というのも、「うちのお母さん、忘れっぽいの。若年性認知症かもしれないって、ヒヤヒヤするときがある」みたいなことを、主人公が言ってますよね。これは読者に対して、「ああ、主人公こそが、若年性認知症なんだろうな」と推測してもらえるよう、匂わせているのだろうと思います。それに、娘さんが「二十代後半ぐらい」なんですよね? なら、主人公はおそらく、六十歳前後くらいの年代かなと思います。認知症にかかる年齢としては、やはり若いですよね。ともあれ、「認知症」と一口に言っても、症状も程度もいろいろだと思います。この主人公は、完全に「私は女子高生である」と思い込んでいる人として描かれていますが、この設定を、もう少し緩めてみたらどうでしょう。現実を完全に錯誤しているのではなく、時折、認知症状のない状態にフッと戻ったりする。急にごく正常なやり取りができるようになったり、またできなくなったり。自分でも、「私、ちょっとおかしいわ」と分かっているんだけど、どうすることもできない。
「自分は認知症にかかっている」というのが自覚できるというのは、非常に辛く、恐ろしいものでしょうね。当人の苦しみや哀しみは、計り知れない。
うん。大変酷だとは思うんだけど、そういう日々を一人称で描いたら、ものすごく切ない話になるよね。あるいは、「たまに正気に戻る」まで行かなくても、何かの折に、ひなたちゃんの子供の頃の映像が脳内にフラッシュバックするとか、今はもう大人のひなたちゃんのことを「なぜだか私、この人を知ってる気がする」と思うとか。描き方の工夫は、いろいろできると思います。
確かに、そういう描き方のほうが、切なくて印象的な物語になりますよね。でも……うーん、私は現状のままでも、決して悪くないように思います。これはこれで、現実の認識を失っている人物の内面を描いた、ひとつの完結した世界なのかなと。
そうですね。私も、今のままでもいいのではないかと思います。確かに、読者がもう真相に気づいているであろう後半部分は、ただの現状説明というか、種明かしされた真相をより補強するエピソードを連ねるにとどまっている。ちょっと退屈に感じるという面はありますよね。ただ、認知症のかたの一人称の語りなので、同じような描写が続くループ感も、彼女が暮らしている、ぼんやりとした世界の空気感を反映しているのだとも言えると思う。この世界に、あまりに強烈な哀しみとかを盛り込んでしまうのは、ちょっと――
過剰ですかね。
はい。現状の作品は、不安とか疑問とかを抱えながらも、あたたかい陽だまりのような世界に暮らす主人公を描いた、優しい物語としてまとまっているので、これはこれでいいのかなと思います。
おそらく作者は、「自分が認知症にかかっている」ということを、主人公に気づかせたくないんじゃないかな。だからラストの主人公も、あくまで「自分は女子高生」と信じたまま。シビアな現実を突きつけるのではなく、ふわっとした夢のような世界に主人公を置き続けたいのでしょうね。
私もそう思います。作者は、何らかの希望が感じ取れるラストに話を導こうとしているのだろうし、私はそれが、この作品のすごくいいところだなと思います。
もちろん、「認知症に冒されつつあることを自覚している主人公の哀切」が描かれる話は、それはそれで、非常に魅力的ではあるとは思うんですけど。
よくわかります。もし本気でこの作品を書き直すとしたら、そういう方向性は十分アリだと思う。ただ、それを三十枚という分量の中で描くのは、大変に難しいと思います。うまく描き切れなくて、説明的になってしまったりしたら、このせっかくの柔らかな空気感が台無しになってしまう。むしろその方がもったいないかなという気がしますね。
もっと別の方向からアプローチしてもいいかも。主人公が「自分は女子高生だ」と思っている意識とか感覚を、もっと強めに出してみるのはどうでしょう。例えば、クラスに好きな人がいるとか。
いいですね。だから「早く学校へ行きたい!」と思っている、なのに、なぜかいつも家から出られない。主人公の焦りから、切実さが生まれますよね。
「〇〇君、大好き! いつか振り向いてくれたらいいな……」みたいな乙女思考を主人公が見せれば見せるほど、真相を知っている読者としては、「その想いは決して叶わないのに……あなたはもうおばあさんなのに……」と思って辛くなる。そういうやり方でも、切なさは出せますよね。より話が盛り上がると思う。
ただ、「女子高生らしさ」に具体性を出すと、「世代の違い」の問題が浮かび上がってくるよね。今の書き方では、時代感がほとんど出ていないけれど、具体的なアイテムが登場したら、「今どきの女子高生ではない」ことが一発で読者にバレてしまう。なにしろ、主人公が女子高生だったのって、四十五年くらい昔のことだから。
携帯電話とか、当然ないですよね。
実は、「電子レンジ」もまだ、一般家庭にはあまり普及していない時代だと思います。だから、「焼きそばの思い出」に関する描写には、正直、作り物感が強い。語り手が女子高生だった頃、「母親が電子レンジを活用して、よく焼きそばを作ってくれた」なんてことは、まずあり得なかっただろうなと思えて。
紹介されている「焼きそばをおいしく作る裏技」も、けっこうメジャーな方法ですよね。「この家庭だけに伝わる、独自の秘策」というわけではない。主人公の「忘れられない思い出」として盛り込むエピソードとしては、ちょっと印象不足かなという気がします。
時代感の出し方に関しては、他にもいろいろ引っかかりを感じるところがありました。例えば二十一枚目で、洗面所に入った語り手が、あっさり「洗濯機」と言っていますが、四十五年前の洗濯機と今の洗濯機は、かなり形状が違いますよね。主人公の記憶や知識が、本当に女子高生時代に戻ってしまっているなら、「何の機械だろう? 今いちよくわからない」という感想になるんじゃないのかな。トイレだって、一般家庭に洋式が普及したのは、もう少し後の時代かなと思いますし。
時代感の盛り込み方には、もう少し細かい目配りがほしかったですね。
もしかしてこのご家庭は、昔からかなり裕福な暮らしをしていたということでしょうか? 最先端の家電があってもおかしくないくらい。
暮らしぶりには、余裕がある感じですね。ひなたさんは、お勤めをしている様子もないし。家事と介護を一手に担っていますが、きちんとお化粧もしていて、家の中はきれいに整っている。ゆったりと生活できているみたいで、時間やお金に追われている雰囲気は全くないですね。
実の娘さんですよね? 結婚しているのかな。専業主婦なんでしょうか?
母親が認知症になったから里帰り介護をしているのかな、と思いながら僕は読みました。
でも、主人公はこの家を、「自分のうちじゃない」と思っていますよね。
うーん、改築したのかな……あるいは、主人公が結婚後に暮らした家なのかも。今は「女子高生」ですから、その当時の家とは違う、ということなのかもしれない。その辺りは、よくわかりませんね。
ひなたさんが結婚しているなら、たとえ同居ではなくても、ひなたさんの夫である「見知らぬおじさん」が時々やって来たりすると思うのですが。
そういうシーンがあればよかったですね。「このおじさん、誰だろう? 二人で親しげに話をしているけど……」みたいな描写があれば、主人公の置かれている状況が、もう少しわかりやすくなったはずなのですが。
主人公とひなたさん以外の人物は全く登場しませんね。なんだかいろいろちぐはぐな、完全に閉じられた世界になっている。
現実感がないよね。まあ、語り手が現実を生きていないせいだとも言えるんだけど、それにしても曖昧すぎる。
主人公が現実をとらえきれていないのはべつに構わないというか、この話においては当然ですらあります。でも、主人公の語りを通して、読者は状況を把握できる、という書き方にする必要があると思う。主人公自身は理解できていなくてもいいから、作中に散りばめられた手がかりを元に、読者は作品世界を無理なく理解できる、というように書くべきです。
そうですね。すべてがぼんやりしてしまっていては、作者が描きたかったことすら、読者に届かないですからね。あと私は、二十枚目の「水彩画」のくだりも気になりました。主人公が中学校の授業で描いたもので、「自慢の絵だから、いつか自分の子どもにあげるつもりだった」と言っていますが、中学生が授業で絵を描いたときに、「わあ、うまく描けた。これ、将来子供ができたら、その子にあげようっと」とは、あまり思わないですよね。
ちょっと考えにくいですね。
このシーンは、語り手の意識のありようが不自然だなと感じました。それから、同じく二十枚目に、「私は誘拐されたのだろうか?/慰謝料を請求されたって、絶対に払えない。」とありますが、「誘拐」されたのなら、要求されるのは「身代金」ですよね。うっかりミスなんだろうなとは思うのですが、こういうところはもう少し気をつけた方がいいですね。あと、「子供として語っている主人公が、実は認知症の老人で――」というお話は、すでにけっこう存在しています。もちろん、この作品も含めて、それぞれテイストはまったく異なりますが、アイディア自体は、そんなに目新しいものではないと思う。アイディアがかぶることはよくあるし、そのこと自体には何の問題もありませんが、読者の何割かに、「こういう話、以前にも読んだことがあるな」と思われる可能性があるということだけは、頭の片隅に置いておいた方がいいかもしれません。
あと僕は、「認知症」とか「介護」とかがメイン要素の話としては、ちょっとのんびりし過ぎている点が気になりました。もう少し人間というものを掘り下げているところがないと、小説として読みごたえがない。実際に介護生活を送っている人から見たら、「こんなの絵空事だ」って思われかねないよね。
そうですね。ひなたさんは介護者として理想的すぎて、現実味がないですね。
確かに、描き方が甘いと言えば甘い。でも私は、ラストで主人公が、「『ひなた』っていい名前だな。優しくて温かいこの女の人にぴったりだな。私に娘ができたら、同じ名前をつけてあげよう」と思っている場面が、とても好きなんです。このおばあさんの人の好さとか、本質的な純粋さみたいなものが語りから滲んできて、心に染みました。こういう温かい話を描けるこの作者は、書き手としてすごくいいものを持っているなと感じます。
このおばあさんの娘だからこそ、ひなたさんは思いやり深い女性に育ったんだなということがよくわかりますよね。状況だけを考えると、もっと嫌な感じの終わり方、絶望感漂う着地をしてしまってもおかしくないところを、柔らかな光に満ちた、優しい物語として終わらせている。そこがいいですよね。きれいごとだけではない現実を、優しい目線で丁寧に描いた作品として、うまくまとまっていると思います。
改善点はいろいろありますが、じんわりと胸に沁みる作品になっていて、すごくよかったですね。