編集A
イチ推しが一番多い作品ですね。
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第191回
入選作品
タフォニの埋葬
宇都なぎさ
38点
イチ推しが一番多い作品ですね。
とても読みやすかったです。まあ、現代が舞台だから、すんなり話に入れるというところはあるとは思います。でも、冒頭辺りって、実はわかりにくくもあるんですよね。主人公が、崖くずれのニュースを見て、突然トイレに駆け込んで吐く。「私……何てことを」と口走りながら号泣している。いったい何が起こっているのか、読者にはよくわかりませんよね。作者には企みがあり、情報がわざと伏せられているから、わかりにくいオープニングになっているのですが、それでもさほど違和感なく読み進めることができました。むしろ、「いったい何が起こっているんだろう?」と興味を引かれる書き方になっていて、うまいなと思います。そして、その抑えた冒頭の描写こそが、ラストの種明かしの部分で活きてくるんですよね。まず、「先生は死んでいなかったのか!」ということにびっくりさせられますし、その上、主人公が吐きながら泣き崩れている理由が、読者の予想をはるかに超えている。
確かに、このラストには意表を突かれましたね。
普通に読んでいれば、主人公は「先生を、私が死なせてしまった」ことにショックを受けているのかと思いますよね。でも実際は、「もう少しで、先生と一緒に死ねたのに……!」と慟哭している。先生のほうは、死にたいとは全く思っていないのですから、これは無理心中できなかったことを悔やんでいるのと同じようなもの。「先生を死なせた」ことを後悔しているのではなく、「先生と死ぬことができなかった」ことを吐くほど無念がっているという真相が、ものすごく斬新でした。主人公が抱えている想いの激しさに、圧倒された。でも、恋をするとはこういうことかと、改めて突きつけられた気がします。思いもよらなかった結末で、新鮮な驚きを感じさせてもらったので、私はこの作品をイチ推しにしました。
僕は正直、あまり高評価できなかったですね。「先生は死んでいなかった」という真相には驚きましたが、それは拍子抜けに感じたからです。物語が、あまりにも予想と違うところに着地してしまったので、気持ちがついていけなかった。恋の駆け引きをしていただけなのに、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまった主人公が、そこからどう対処していくのかという話だと思っていたので。
まあ、普通そう読むよね。
冒頭の書きぶりから、そういう話を期待しながら読んでしまったので、こういう結末のつけ方を「斬新で鮮やか」というふうには受け取れなかった。歓迎できない方向に予想を裏切られたというか、作者に引っかけられたという印象が強いです。
ラストの主人公の慟哭具合は、尋常ではないですよね。私は、「そこまで先生のことが好きだったの?」と思って、びっくりしました。
先生が死んだのなら、吐くほどショックを受けるのは分かります。でも、誰一人死んでいないのに、「心中できたはずなのに、惜しいことをした」という気持ちだけでトイレに駆け込んで吐きまくるって……なんというか、すごいね。
ちょっと病的ですらありますよね。
相当な思いつめ方だと思います。
でも、そこをこそ描いているのかなとは思います。恋心の、きれいなだけではない部分、怖ろしくさえある部分を。
はい。それくらい思い詰めている、それほどまでに彼女にとっては、この恋は大切で特別なものなのだということですよね。
彼女以外の人間にとっては、事件と呼べるほどの出来事ではない。けれど、苦しい恋をしている当人の中では、嵐のような激情が渦巻いている、ということなんだと思います。恋というのは、そういうものだと。
ごく普通の人間の内面にも、これくらいの異常性は常に潜んでいて、恋をすれば誰がこうなってもおかしくない、ということなのかもね。僕はこの話、読んだ直後はあまり印象に残らなかったんだけど、しばらく経つと、どうもじわじわ気になってきた。いろいろ考えさせられる話だなと思えてきて、そこから評価を変えて、イチ推しにしました。
でもこの作品は、恋心のどろどろした部分を掘り下げている、というわけではないと思います。例えば冒頭シーンは、ラストで読者を驚かせるために書かれているようなものですよね。「私……何てことを」という台詞は、通常、「何てことをしたのだろう」を省略したもののはず。「自分が何かをやったせいで、ひどい事態が生じてしまった」ということを言ってるんだろうと、大半の読者は予想します。まさか、「しなかったことを後悔している」とは思いません。これは明らかに、ミスリードを目的として書かれていますよね。真相がわかってから冒頭を読み直したら、「私……何てことを」という台詞は、ちょっと不自然に感じます。人間心理を描いたというには、トリッキーさの強い作品だと思える。
確かに。ラストで急に、激しい恋情が迸る話にスライドしているのも、ちょっとノリ切れないものがありました。そこに至るまでの描写に、そうまでこの先生のことを思い詰めている感じがなかったので。どんでん返しは効いているんだけど、どうにも腑に落ちなかった。
わかります。ラストの「あまりにも取り返しのつかない過ちを犯してしまった」というのは、ちょっと大げさすぎる感じですよね。
これほどの感情の昂ぶりが起きてもおかしくないくらい、彼女は思い詰めていたのだということが、読者に十分伝わるように描けていればよかったのですが。
一点確認したいのですが、先生と主人公は、つきあっていたわけではないんですよね?
違うと思います。
そのわりに、先生はやけに、主人公に好意的に見えますよね。
先生側の気持ちは、この作品からは、ちょっと読み取れませんね。この先生は、すごく優柔不断な男性のように思えます。それだけに、普段からとても優しい人なのでしょうね。
誰に対しても優しいだけなのに、「私にだけ特別優しくしてくれているんだわ」と誤解している生徒が、たくさんいるような気がします。
個人的には、私にはこの先生がそれほど魅力的だとは思えませんでしたが、このあたりは好みの問題もあるでしょうね。こういう、自分からは積極的に働きかけないのに、他人の気持ちを惑わせている人って、実際いますしね。
ただ、主人公が病的な恋心を抱くほどの相手とは、ちょっと思えないです。
この先生を、もう少し魅力的に描いてほしかったね。そうすれば、ラストの主人公の気持ちの高まりに、説得力が出たと思う。
この二人のことは、本当に不倫関係にあるという設定で描いたほうがよかったのではないでしょうか。
そうですよね。それならラストの激しい感情のほとばしりも、まだ納得できます。
奥さんが妊娠中に、一途に慕ってくれる若い女の子とつい出来心で……ということは、起こり得ると思う。先生のほうはすぐに後悔したんだけど、終わりにしようと言い出せず、ずるずると関係が続いているとか。
この先生だと、そういうことありそう(笑)。一番厄介なタイプの、「優しい人」なんですよね。
そこまで深い関係だったなら、ラストで吐きながらのたうち回るのも、さほど違和感はない。あるいはもっと明白に、主人公は「想いが叶わないくらいなら、心中したい」と前から思っていたことにしてもよかったのではないでしょうか。それなら、「こんな機会を逃してしまったなんて……!」と悔やむのはわかる。現状では、地質調査に行った翌日にたまたま崖崩れが起こったので、「ああ残念……!」ってことですよね。これって、ショックで吐くほどのことだとは、どうしても思えない。そこが引っかかります。
ただ、心中する意図を明確に持っていたなら、逆にこうまで激しく動揺しないだろう、とも思いますね。
「惜しかったけど、まあ、また次の機会を狙うわ」って思い直せばいいだけですからね。
この主人公は、べつに先生を害する気持ちは持っていない。二人の間には特別な関係は何もないわけで、主人公はむしろ、「先生に嫌われたくない。いい子だと思われていたい」と思っているはず。殺そうと考えるどころか、告白する勇気さえない。ただただ、想いを内側に溜め込むだけ。でも、そんな自分に、すごいチャンスが巡って来た。巡って来ていたのに、自分はそれに気づきもせず、みすみす逃してしまった。だからこそ、「なんて私は間抜けなんだろう……! もうちょっとで一緒に死ねていたのに……!」という激しい思いが突き上げてきたんだと思います。
だって先生のほうから、「そこに行こうか?」って、言ってくれてたんだものね。なのに、主人公はわざわざ断ってしまった。「あそこで『うん』って言ってれば、今頃……!」と思えば、それは激しく後悔しますよね。
しかもそれなら、加害者にはなりませんからね。主人公は、人を陥れてまで、自分の想いを遂げようとは思っていない。でも、先生からの提案に頷くだけなら、自分の手は汚さずにすむ。お膳立てはすべて揃っていたんです。あとは、「うん」と言うだけでよかった。なのに、「いい子」のふりをして、断ってしまった。そのせいで、千載一遇のチャンスを逃してしまったわけです。「なんで私は、あのとき『うん』って言わなかったの……!」と、のたうち回るのもわかります。
偶然の機会だったからこそ、それを逃してしまったと気づいて、スイッチが入ったように慟哭しているんですよね。
運命的な死を迎えたかったんですよね。「全く意図していなかったけれど、二人は共に死ぬ運命だった」というほうが、ロマンチックですから。
二人の亡骸を見た奥さんは、おそらく二人の関係を誤解してショックを受ける。それもまた、主人公には喜びとなる。事実はどうあれ、「先生は、妻子より私を愛してくれていた」ことにできますからね。まさに絶好のチャンスだった。なのに、逃した。確かに、歯噛みするほど「惜しかった」ですよね。
ただ、現状ではその辺りが、ちょっと伝わりにくいよね。もう少し、一読しただけですんなり理解できるように書いてほしかった。やっぱり、この先生がどんなに素敵な人なのかを、もうちょっと読者に伝わるように描いてほしい。今のままでは、主人公がこうまで思い詰めても仕方ないと思えるほどの魅力が、この先生に感じられない。
それに、主人公の恋心が募る過程を、もうちょっと丁寧に追ってほしかった。現状では、先生のゼミに入った後と、今回フィールドワークに出かけるまでの間の出来事が、何も描かれていないですよね。
時間経過を感じさせる描写は必要ですね。例えば、「夏のゼミ合宿で、先生とこんな話をした」とか、「秋にみんなでフィールドワークに行ったときに、こんなことがあった」とか、そういうエピソードを二つ三つ入れておくだけで、全然違ったと思います。
読者が主人公の気持ちに寄り添いやすくなりますよね。
主人公の専攻がよくわからないのも、気になりました。「地質学になんてこれっぽっちも興味はなかったけど、イケメンの先生目当てで授業を取ってみた」ということなら、一般教養か何かで、学部に関係のない授業を取っただけのように思える。なのに、いくら先生を好きになったからって、専門外の研究室に入ることなんてできるのでしょうか?
もしかしたら、学部を越境できるようなシステムのある大学なのかもしれないですね。私は、大学の講義の様子が気になりました。どうにもふんわりしすぎているように思えて(笑)。「自由な感想を言ってごらん」と言われて、「美味しそうでした」と答えると、「君の感性はとても素敵だよ」って(笑)。ちょっとこのやりとりは、講義中の先生と学生の会話には思えないです。それに、「助教授」と書かれていますが、今は「准教授」ですよね。加えて、冒頭で流れるニュースも気になりました。「――県の山間部」というのは、ニュース原稿としては大雑把すぎる。「〇〇市北部」とか「〇〇町」くらいの絞り込みはされるはずです。「特殊な地形から観光客が訪れることもあり――」というのも、曖昧ですよね。観光客が来るほどの洞窟があるなら、例えば「秋芳洞」とかの具体名が盛り込まれるはず。過去の事故報道の様子など、今はいくらでも簡単に調べられるのですから、実際の映像を参照するなりして、もう少し正確な描写をしてほしかったです。
こういう部分で読み手が引っかかりを感じると、物語が嘘っぽくなってしまいますから、十分に気をつけてほしいですね。
あと、主人公が一人でフィールドワークに出かけたというのも、不自然に感じました。いくら先生に急用ができたからって、ゼミ生はみんな、行くつもりでスケジュールを空けていたわけですよね。主人公が「せっかくだから行ってみる」と言えば、何人かは「私も」「僕も」ってことになるんじゃないかな。冒頭がミスリードのために書かれているのと同じように、ここは、先生から電話がかかってくるという、この話において決定的な瞬間に主人公が一人でいられるよう、作者がシチュエーションを用意したのだろうと感じられます。そのこと自体は問題ではありませんが、読者にそうと気づかれてしまうのはよくない。全体に、ちょっと造りが雑になってしまっているところが目につきました。読み手にツッコミを入れられることのないよう、もう少し手数をかけて、丁寧に話を整えていったほうがいいですね。
主人公が、地質学に本気でのめり込んでいることが分かる描写も、もっとほしかったです。今のままでは、一番のお目当ては先生で、地質学はそのおまけ程度に見えてしまいかねない。
入り口は「先生が好き」という理由だったんだけど、勉強していくうちに地質学にどんどん魅せられていった、とかならよかったのに。
そうですね。だからこそ、研究者としての先生の造詣の深さ、考察の鋭さにますます憧れて……ということなら、主人公の恋心に説得力が生まれたはずです。そういう描写がもっとほしかったですね。全体に、まだまだエピソード不足だと思います。
枚数は二十七枚と少なめ。しかも、場面転換のたび、*(アスタリスク)を含めて五行も空けていますね。それをすべて一行空きに直したら、と考えると、枚数には相当の余裕があります。もっといろいろ描けたはず。
むしろ、規定枚数をぎりぎりまで使い切るほど描写やエピソードを盛り込んで、キャラクターの気持ちをしっかりと伝えてほしかったです。
やっぱり、ラストで主人公が見せる反応は唐突で激しすぎて、戸惑う読者が確実にいますからね。
そうですね。エピソードを積み上げて読者を納得させることは、非常に重要だと思います。ただ、例えば冒頭のミスリードにしても、こういう企みを盛り込もうとすること自体は、短編としては悪くないと思います。しかも、それがただの、「実は死んでいませんでした」というオチになるわけではないですよね。タフォニが崩れたことにより、その語源である「墓碑」を意味するタフォスに、主人公の恋心もまた、埋められてしまった。誰にも気づかれないまま、永遠に埋葬されてしまったわけです。キャラクターの感情の流れが、ラストで非常にうまく結末づけられていました。「タフォニ」「墓」「恋心」「埋葬」という要素がちゃんと有機的に絡み合って、物語を構成している。この話の造り方は、見事だなと思います。
上手いですよね。作者が「タフォニ」という要素に目を留め、それを巧みに使って作品に仕上げたことは、私は高く評価したい。「崩れやすい地形」を、「恋心の埋葬」という物語へとつなげた発想は素晴らしいと思います。「タフォニ」という言葉の語感にも、なんだか心をくすぐられるような響きがありますよね。目のつけどころがいいというか、非常にセンスのある書き手だなと思います。
ただ、「タフォニ」以外の地質学的要素がほとんど盛り込まれていなかったのは残念でした。こういう話なら、もうちょっと地質学関係の用語なり知識なりを散りばめたほうがいいですよね。
はい。せっかく、とてもいいネタを掴んだのに、それを単独でポンと入れ込むだけで終わらせてしまっている感じですね。ものすごくもったいないことをしていると思います。もっといろいろ調べて話を練り上げれば、作品にぐっと深みが増したはずなのに。
思いつきだけで一気に書き上げてしまったみたいで、非常に惜しいと感じますね。
もう少し自分の作品を大事にしてほしいです。本当に大切に思っていたら、「もっと調べてみよう。もっと話を練り込もう。あんなことも、こんな工夫もしてみよう」ということを自然に考えるものですよね。むしろ、手間暇かけて、丁寧に作らずにはいられないと思う。私はこの作品をイチ推しにしているのですが、ちょっとまだ、自分の作品への入れ込み方が足らないのかなという気もしています。この作者だけでなく、最近の投稿作全体にもそういう傾向が強まっているように感じられて、非常に気になりますね。
自分の作品を誰かが読むという意識が、あまりないまま書いているのかもしれませんね。
本賞は、数年前と比べ、応募総数も増え、レベルも格段に上がってきています。我々にとっては嬉しい限りなのですが、それだけに、詰めが甘い作品では選考を通過するのは難しい。どうか急いで書き飛ばすことなく、精魂込めて丁寧に仕上げた作品を、送ってきていただきたいですね。