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素直に「いい話だな」と思える作品でした。
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第194回
入選作品
六華の証
一葉
30点
素直に「いい話だな」と思える作品でした。
文章が読みやすいですよね。
ただ、あまりに説明し過ぎだなとは思います。もう、ほんとにストレートに、「実は、こういう事情がありまして――」「過去にこういういきさつがありまして」というのを、延々と地の文で書いたり、キャラクターに語らせたりしている。こういう書き方は、改善した方がいいと思う。
あらゆる事情を、両親が主人公に、そして読者に説明し過ぎですよね。一から順を追って、全部説明している。
必要ないこと、むしろ余計なことまで、書き過ぎています。例えば主人公のお母さんが、亡くなった女性の体に憑依して生きていることについて、「(憑依先の女性のご両親に対して)悪いとは思っていないの」と言っていますよね。ここはちょっと引っかかります。これは書かなくていいことだと思う。
作者は、「とにかく詳しく説明しなきゃ」って思ったんでしょうね。
「矛盾してるとか分からないとか言われないよう、全部書かなきゃ」、みたいな感じですよね。
そのせいで、ちょっと話に入り込みにくかったです。「作者が一生懸命、内容を説明しています」という雰囲気が前に出てきてしまっていて。つじつまはもちろん合わせなければいけないし、設定はきちんと作るべきですけど、それを全部書いては説明過多になってしまいます。もう少し塩梅を考えてほしいし、説明の仕方にも工夫がほしい。
「雪女」に関する設定は、しっかり作られていたと思います。ただ、雪女の平均寿命が百二十歳というのは、ちょっと微妙すぎるラインですね。
人間でもごくまれに、それくらい生きる人はいますからね。
人類では到達不可能な年数に設定した方がよかったと思います。五百歳とか。
そういう方が、「雪女のままだったら生きられたはずの何百年をも捨ててまで、巧さんと一緒に生きたかったんだな。本当に愛してたんだな」と思えて、より感動しますよね。
それと、「恭子(ミレイ)の寿命は四十歳」というのは、この夫婦にとっては二十年前からわかっていたことですよね。なのに、亡くなるまであと一年しかない時点になってから急に、家族で映画に行こう、旅行に行こう、「残された日々を大事に生きよう」となるのは変だと思います。八枚目でお母さんが、「この一年で、恵には家事をしっかり教えないとね」と言っていますが、家事なんてもっと早くから教えておけばいいだけの話ですよね。むしろ、「子供の頃から、家事はやけにしっかりと教え込まれたが、こういう理由だったのか」というほうが、作品の説得力が増したと思います。もっと想像をたくましくして、登場人物たちになり切って、「彼らだったら、どう考えるか」「どう感じるか」「どう行動するか」ということを考えてみてほしい。
ミレイさんの「母親が死ぬとき、子供が十六歳以下だったらかわいそう」という持論も、ちょっと不可解だった。気持ちは分からないでもないけれど、十七歳以上であっても、親の死はじゅうぶん辛いことですよね。しかもそれを、十七歳の息子に言っている。私はこの場面、息子の恵くんがかわいそうに思えました。そもそも根拠がよくわからないですよね。どうして「十七歳」できっちり区切るの?
「雪女界では、十七歳を成人とみなす」みたいなことであれば、まだわかるのですが。でももしそうなら、ちゃんと書くべきですよね。
作者さん個人の感覚なんでしょうね。でも私はそこは、べつに嫌ではなかったです。
私も、割と説得されてしまいました。「そうかな……、そうなのかもな……」って(笑)。
あと、お父さんが奥さんを「ミレイ」と呼んでいるというところは、なんだかおかしかった(笑)。息子には「ただのあだ名だ」と説明していたらしいけど、「恭子」と「ミレイ」の間には、何のつながりもないですよね。恵くんは、なんで納得しちゃってたのかな。
素直ないい子なんだろうね。そもそも、お母さんが「私、実は雪女なの」と告白しても、割と簡単に受け入れてますからね。普通はもうちょっと、「いや、でも、まさかそんな」って抵抗すると思う。
それを言うなら、お父さんも相当素直だと思います。とても美人の雪女「ミレイ」と恋に落ち、泣く泣く別れた。すると一年後のある日、見知らぬ女性がやって来て、「私、ミレイよ」と言った。で、結婚したわけですよね。「この体は、事故死した女性のものなの。それに憑依したの」という説明を、あっさり受け入れたらしい。
もし「恭子さん」の顔がどうしても好みじゃなかったら、どうなってたんでしょうね……。
そこはちゃんと、事前に承認をもらってますから(笑)。「私の外見が変わっても気持ちは変わらない?」と聞いたら、「もちろんだ」って。
でもそれはリップサービスというか、恋人なんだから、それくらいのことはつい言うものでしょう。「外見が変わってもいい」と口では言っても、限度はあると思う。
ものすごくリスキーな賭けでしたね(笑)。
まあでも、この登場人物たちなら、そういうこともあり得るかもと思えます。出てくるキャラクターが全員、すごくいい人ですよね。
息子は素直な優しい子だし、お父さんは、外見なんて全くこだわらないほどミレイさんを愛しているし。
主人公は、自覚はないでしょうけど、実はモテていそうですよね。すごく好青年だと感じます。
お母さんも無邪気で可愛くて、とても愛情深い人だと思います。
登場人物たちが非常に魅力的ですよね。私が何よりいいなと思ったのは、各登場人物が好ましい人柄であるだけでなく、みんなそれぞれ、ちょっと変わっているところがあることです。反応が面白いというか、決して頭の中でこねくり回して書いたキャラクターではないなと感じました。お話のために都合のいい人格として作りあげたのではなく、「人間ってきっと、こういう感じだよね」とか「こんな人がいたらいいなあ」みたいな思いで、描かれているような気がするんです。作者が普段の生活の中で出会ってきた様々な人たち、そういう人たちから吸収したものが、この作品の中には入っている。読んでいると、そういうものが作品のあちこちから滲み出ているのを感じます。そこが、すごくいいなと思いました。
ただ、話にオチがないのには、引っかかりを感じました。私はこのお母さん、ラストで助かったりするのかなと思っていたのですが、本当に亡くなってしまって、「あれっ?」って感じでした。
私も、実は「なーんちゃって」みたいなオチかと思っていました。そういう顛末であっても成立しそうな、コミカルなホームドラマに思えたので。ラストでお母さんが、「ごめーん、嘘ついちゃった。だって、それぐらいの設定にしないと、恵が家族旅行につき合ってくれないと思って」、とか言う展開になるのかなと思っていたら、そのまま亡くなって話が終わってしまった。ちょっと肩すかしに感じましたね。
話が、単なる一本線でした。それも、オチのない一本線。
ひねりが何ひとつなかったですね。
なんだかあらすじっぽくなってしまっている感じは否めないですね。それはやはり、何もかもを説明しようとし過ぎているのが原因かなと思います。作者が読者に直接説明しようとするのはよくないですね。事情や過去のいきさつなどは、キャラクター同士のやり取りや描写を通して読者に伝えるようにしたほうがいい。
三十枚だから、漫然と書いてしまっては、作品としてうまくまとまらない。短編の場合は、一本線で話が進んで最後にオチが来るか、ワンシーンのみを切り取った話にするか、どちらかにしたほうが書きやすいと思います。ワンシーン切り取り型で、その短い枚数の中から透けて見えるいろいろなものを想像させるような造りになっていれば、オチや仕掛けは特に必要ない。書かれていないものが余韻として感じられれば、読者は十分満足できますからね。でもこの作品は一本線のタイプなので、ついオチを期待してしまったんだけど、それがなかった。そのせいで、物足りなさを感じてしまった。
でももしこの話が本当に、「ミレイさん、死ぬかと思ったら死にませんでした」なんてオチだったとしたら、それはそれでせっかくのいい話がぶち壊しになってしまいます。修正するとしたら、「余韻を残す」方向に行った方がいいんじゃないかな。
そうですね。というか、そもそもこの作品は、枚数と合ってないんじゃないかな? 私だったら、もっと長い枚数で書くと思います。中盤に、映画館でクラスメイトの女の子と偶然会うシーンがありますね。ほんのちょっとしか登場しないけど、この女の子もまた、すごくいい子なんだろうなと思えます。後のシーンでまた出てくるかと思いきや、出てこなかった。せっかくのキャラクターを、うまく使い切れていなかったですね。これは、枚数が足りなかったせいだろうと思います。もっと長い枚数をかけて、主人公の高校生としての日常を前面に出して、そこから、ある日お母さんの事情が判明した、という話にした方がいいですね。お母さんとの最後の一年を、主人公がどういうふうに過ごしたかというのを、日常生活を通して描くほうがよかったと思います。恵くんは、親しい友人がちゃんといそうな子ですよね。そういういろいろな人たちと接する中で、支えられたり、いろんな感情に見舞われたり、体験をしたりして、日々迫って来るお母さんとの別れを受け止め、乗り越えていく。その様子を丁寧に描写していくという書き方のほうが、より胸に迫る作品に仕上がったんじゃないかなと思います。
作品に合った枚数というものが、見極められていない感じですね。
ちょっとまだ書き慣れてなくて、どれくらいの枚数になるのかよくわからないまま思いついた話を書いていたら、途中で「圧縮しないと三十枚には収まらないぞ」ということに気づき、結果、あらすじっぽくなっちゃったのかもしれないですね。
短編を書く際には、まず既成の短編作品をたくさん読むといいですね。何作も読んでいるうちに、「なるほど、これくらいの長さなんだな」ということが、実感としてつかめるようになると思います。
息子を主人公にするなら、「本来子供を産まないはずの雪女が、子供を産んだがゆえに寿命が定められてしまう」、みたいなストーリーにするのもいいかなと思います。
「俺を産んだせいで、母さんは死ななきゃならないのか……」って、苦悩するんだね。それもまた、切ない話になりそうですね。
その方向も悪くはないと思うけど、お父さんとお母さんのロマンス感が、ちょっと薄れてしまいますね。もともとこの作品、話の筋が二つにバラけていて、そこがちょっとよくなかったなと思います。主人公の話と、愛し合う両親の話とが、三十枚の中で併存していますよね。現在の書き方からすると、両親のロマンチック・ラブのほうに比重がかかっているように思えます。だから、主人公は高校生の男の子なのに、彼が学校でどんな生活をしているのかということがあまり見えてこない。
そうですね。家族三人であっち行ってこっち行ってこんなこともして、みたいなエピソードしか出てこない。そういう辺りも、この作品にちょっと物足りなさを感じた原因かもしれないですね。
でも、この作品で描こうとしている肝の部分は、とてもいいと思います。自分の大切な人は、命の期限が切られた状態にある。そういうとき、周囲の人はその人にどう接していくのか、その事態をどう受け止めて生きていくのか、といったことを描こうとしていますよね。母親が雪女じゃなくても、そういう状況に直面することは誰しもあり得ます。作者にはすごく書きたいことがあるんだということが、作品から強く伝わってきます。遺される周囲の人たちだけではなく、死にゆく当人であるお母さんの気持ちも、ちゃんと描写されていて、とてもよかった。
残していく家族への深い思いが伝わってきて、胸に沁みますよね。
たった二十年しか生きられないと分かっていながら、お母さんは人間になって、愛する家族と暮らす道を選んだわけですからね。
二十五枚目に、「子供はね、親のエゴで生まれてくるのよ。だから精いっぱい幸せにしてあげないといけないの。私は人間になってそれを知ったわ」というお母さんの台詞がありますよね。私はここがすごくいいなと思いました。
真理ですよね。そして、感動的な言葉でもある。こういう台詞を書けるこの作者は、本当に素晴らしいなと思います。文章や作品そのものから、書き手の優しいお人柄が伝わってきますよね。登場人物たちがみんな愛情深いのも、作者ご自身のひととなりが反映されているのだろうなと思います。
キャラクターも作品そのものも、非常に好感度が高かったですね。
作品のテーマも面白いし、登場人物も魅力的。「この作者の書いた小説を、もっと読みたい」と思わせてくれる作品でした。