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選評付き 短編小説新人賞 選評

そしてクジラの腹の中

名香田書志

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  • 編集E

    いじめの話なのですが、割と楽しく読めてよかったです。ラストで主人公が、ちゃんと立ち上がっていますよね。

  • 編集D

    まあ正確には、取っ組み合いまでしていじめっ子に敢然と立ち向かっているのは、集中的にいじめられていた柳原さんの方ですけどね(笑)。でも、主人公が勇気を出して反旗を翻したからこそ、柳原さんも後に続くことができたわけですから、主人公もちゃんと活躍していると言えると思います。

  • 編集E

    軽い書き味なのがいいですよね。そのせいもあって、面白く読むことができました。

  • 編集D

    語り口が軽妙ですよね。ただ柳原さんは、けっこうひどいいじめを受けています。ガチのいじめを描いているのに、こういう軽い書き方で本当にいいの? とは思いました。

  • 編集C

    テーマの割に、文章が妙に軽いテイストになっています。それ自体は悪くないのですが、面白く書こうとしてかえってスベっているようなところがありますね。

  • 編集D

    例えば二十九枚目に、「くだらないことしないどぇほ」という台詞がありますよね。勇気を出していじめっ子に立ち向かおうとしてるんだけど、言葉を噛んじゃって今いちかっこよくキメられていない主人公を描写しています。シリアスなシーンにズッコける描写を挟み込んで、読者を笑わせようとしているんだろうなとは思うのですが、せっかく話が最大の盛り上がりを見せようとしている場面なのに、ここにまでコミカルさを持ち込まなくてもいいんじゃないかなという気がしました。コミカルにしていいシーンと、すべきでないシーンとがあると思う。

  • 編集C

    全編にわたって小さな笑いをたくさん仕込んでいるのですが、時々それが変に浮いていたりする。読者を楽しませようという工夫なのでしょうけど、熟慮の上というより、書き手がその時その時のノリで書いている印象です。シリアス一辺倒では息が詰まるから、緩急をつけたいというのはわかります。ただ、もうちょっと塩梅には気をつけた方がいいですね。

  • 編集G

    でも、主人公と柳原さんの描き方は、すごくよかったと思います。二人の距離感とかが、ちゃんと「十代っぽい」ので。

  • 編集E

    学校では目も合わせないのに、図書館ではすごく仲良しだったりするんですよね。

  • 編集G

    そうなんです。教室の中では他人の振りをしているけど、学校じゃない世界に行った途端、あだ名で呼び合って、キャアキャア笑い合っている。「こういうこと、あるある」と思えました。自分が十代だった頃の気持ちを思い出して、なんだかキュンとします。学校内の場面の描写も、なにげにリアルですよね。教室の中には、なぜだか幅を利かせているような奴がいて、それをみんなが黙認している。主人公も軽くいじめられているんだけど、自分をごまかして、へらへらと言いなりになっている。なぜか抵抗できないんですよね。やればいいのに、できない。主人公もできないし、柳原さんもできていない。大人になって俯瞰して見ると、「そんな奴、やっつけてやればいいじゃん」と思えるんだけど、でも、実際に十代でそういう場に置かれたら、やっぱりできない。学校とか教室って、そういう場所だと思うんです。そういった空気感が、よく出ていたと思います。でも、主人公たちは最後には、ちゃんと行動を起こしてますよね。三十枚の中で、登場人物たちが変わっていく姿を描くことができているのは、とてもよかったと思う。彼女たちには、ぜひこのまま頑張ってほしいです。すごく応援したい気持ちになれました。

  • 編集E

    主人公たちが風穴を開けたことで、今後、他のみんなも立ち上がるかもしれないですよね。非常に胸のすくラストシーンになっているなと思います。

  • 三浦

    ただ、いじめの描き方は、ちょっとテンプレートっぽいかなと思いますね。それに、いじめの内容が非常に幼稚なのも気になりました。例えば冒頭場面で、消しゴムを投げつけて笑いものにしていますよね。あまりにくだらない嫌がらせなので、小学生の話かと思っていたら、なんと舞台は高校だということが五枚目で判明して、驚きました。

  • 編集G

    確かに、高校生にしては幼すぎる印象ですよね。いじめのやり方も、精神年齢も。

  • 三浦

    現実にこういう高校生だっているかもしれないけど、今の書き方では違和感のほうが強い。もう少し読者にとって納得感のある描き方をするべきかなと思います。

  • 編集F

    二人がいじめに立ち向かうというラストの展開も、唐突過ぎると感じました。話の流れが、滑らかになっていない。程度の差こそあれ、同じように日々いじめられ続け、鬱々とした思いを抱えている主人公と柳原さんは、学校外で偶然出会い、仲良くなったわけですよね。で、二人の間に強い絆が生まれ、「一人では無理だったけど、二人なら戦えるよね」となって、一緒にいじめっ子に立ち向かう――という展開になるなら分かります。でもこの二人は、友情が深まっても相変わらず、学校では他人の振りを通し、個々にいじめられ続けていますよね。なのにラストでは、大したきっかけもなしに、急に反撃に転じている。主人公たちの感情や内面の変化を、読者にうまく伝えられるように描けていないと思います。

  • 三浦

    同感です。ラストの反撃シーンへの持って行き方が、すごくぎくしゃくしていますよね。読者として、ちょっとノリきれないものがありました。いじめられていた二人が、ついに反撃に転じるのですから、そこには何かきっかけがあるはずです。言ってみれば、跳び箱の手前にある踏切板のようなものが。小説の構造として、ストーリーが急展開を見せるなら、基本的にはその直前に踏切版となる「きっかけ」がないとおかしい。この話で言うなら、ラストの場面の前に、「ここでとうとう、二人の堪忍袋の緒が切れました」というエピソードを持ってきたほうがいいと思います。もう一つ言うと、二人が仲良くなったところから反撃シーンにたどりつくまでが、不要に長くてダラダラしている。

  • 編集F

    同じような展開が繰り返されるばかりで、話がぐずついています。互いに一人ぼっちだった二人が出会い、意気投合した。「やった、友達ができた!」という展開になったのですから、そこからさらに新しい展開へと向かえばいいのに、なぜかいつまでも足踏み状態が続いて、物語が進んでいかない。

  • 編集A

    柳原さんは、図書館で歩きスマホのおじさんに敢然と立ち向かえる人なのですから、教室でだっていくらでも戦えたはずだと思います。彼女がなぜおとなしくいじめられ続けているのか、理解できなかった。

  • 三浦

    もっと早く反撃すればいいですよね。彼女ならできたはずです。実際ラストでは、投げつけられたコンパスをぱしっとつかみ、ニヤリと笑う余裕まで見せてから、相手につかみかかっている。アクション映画のヒロインみたいですね(笑)。このシーンはかっこよくて、私はいいなと思いました。でも、こんなに戦闘能力が高くて度胸もあるなら、そもそも最初にいじめられたとき、即座に反撃すればよかったのに、なぜ今日までずっと耐えてきたのでしょう? べつに腕力に訴えるとかでなくても、対抗する方法はいくらでもあると思うのですが。これは、主人公についても同様です。

  • 編集G

    今はスマホとかもありますし、現場を録画するとか、証拠写真を撮るとか、いろいろできますよね。

  • 編集F

    描かれているいじめっ子には小物感があるから、柳原さんが本気を出せば敵ではない気がするのですが。主人公と柳原さんが、どれほど本気で川内さんのことを恐れているのか、今ひとつ読み取れませんでした。

  • 三浦

    実際にいじめられる立場になったら、立ち向かうのはかなり難しいでしょうけれど、主人公と柳原さんの性格からすると、もう少し何か対抗策を考えてもおかしくないんじゃないかと思います。もし私が柳原さんだったら、とりあえず教室でお昼ご飯は食べないですね。まずは屋上にでも避難します。それなら、お弁当をひっくり返されずに済む。

  • 編集G

    キャラクターの描き方には、疑問を感じる点が多かったですね。ラストで、柳原さんが投げつけられたコンパスを片手で見事にキャッチするというところも、私はちょっとフィクション感が強い気がしました。それまで、ただいじめられて俯いていたのに、いきなり人が変わったみたいに見える。

  • 編集D

    図書館の歩きスマホおじさんの描き方も、かなり極端ですよね。ここまで理不尽な絡み方をしてくる人も、そうはいないと思う。人物描写が過剰で不自然になっている気がします。頭の中で作って書いたという感じ。

  • 三浦

    図書館の司書の人も、「このおじさんは、いつも言いがかりをつけてはトラブルを起こしている人だ」と分かっているのに、真っ先に主人公を責めるのはおかしいですよね。

  • 編集G

    話の進行のための描写になってしまっていますね。主人公を窮地に置きたいから、おじさんにも司書の人にも一方的に主人公を責めさせている。「主人公が柳原さんに憧れる」という展開にしたいから、学校ではいじめられている柳原さんに、まるで別人のようにかっこよく主人公を救わせている。エピソード設定が、作者の都合になっている感じです。

  • 編集F

    あと、「クジラの腹の中」という、とても印象的な要素が出てくるのですが、私はこれがよくわからなかったです。タイトルにもなっているほど重要なものなのに、うまく話に使えているようには思えなかった。

  • 三浦

    私もです。「クジラの腹の中」に関しては、ものすごく引っかかりを感じました。十八枚目あたりに、一応説明はされていますね。「世界中の神話にでてくる英雄の物語は、ほとんど同じパターンを繰り返す」「クジラに飲み込まれて腹の中に落ち、英雄は生まれ変わる」「疑似的に死んで、生き返って、より強い力を手に入れるのだ」――と。これは要は、物語理論ということだと思います。「主人公が本物の英雄になるためには、困難に直面してこれに打ち勝ったり、雌伏の時期を過ごしたりしなければならない。そういう『試練を経て、新しく生まれ変わる』という展開が、英雄物語には必要である」、ということですよね。「クジラの腹の中」というのはその、「試練」とか「雌伏の時期」を指しているのでしょう。物語のセオリーとしては、とてもスタンダードなものと言えます。で、この理論を本作に当てはめるなら、いじめられている主人公たちは、すでに「困難に直面している」と言えますよね。語り手の主人公が冒頭で、「一年竹組は危機に瀕している」とはっきり言っているのですから、一年竹組でいじめを受けている主人公と柳原さんは、すでに「クジラの腹の中」にいるのだと思います。つまり、「一年竹組=いじめが蔓延する、これまでの常識が通用しない異世界」であり、主人公や柳原さんに「試練」や「雌伏」や「忍耐」を強いてくる「クジラの腹の中」なのです。でも、ラストで主人公はなぜか、「さくちゃん。クジラの腹の中っ、一緒に落ちよう!」と言っている。ここは大きく矛盾していますよね。彼女たちはもう、とっくに「クジラの腹の中」に落ちているのに。

  • 編集E

    でも、柳原さんは、冒頭でも中盤でも、「私、クジラに喰われたいんだよね」と言っていますね。「クジラの腹の中に落ちる」ことを夢見ているのですから、彼女はまだ「クジラの腹の中」には入っていないのでは? 少なくとも、柳原さん自身の認識では、「まだ落ちていない」んだと思います。

  • 編集D

    そうですよね。ラストでいじめに立ち向かおうというところで、柳原さんに「一緒に落ちよう!」と言っているのですから、主人公の中では、「クジラの腹の中に落ちる」=「勇気を持って立ち上がる」「危険に自ら飛び込む」、みたいな図式なのではないでしょうか。そして、「腹の中」での戦いに勝利して、腹から外に出たら英雄になれるのだ、ということ。

  • 編集F

    でも主人公は十九枚目で、「柳原さんは、もうクジラに呑まれてるのではないだろうか」とも思っていますよね。柳原さんはいじめには全く立ち向かっていないのに、「彼女はすでにクジラの腹の中にいる」と主人公は思っている。続く二十枚目にも、「次の日も彼女はクジラの腹の中にいた」とあります。これは、「彼女は相変わらず、クラスでいじめられていた」という意味ですよね。この文章の中では、「クジラの腹の中」=「一年竹組でいじめを受けている状態」という図式になっている。これは、「クジラの腹の中に落ちる」=「勇気を出して立ち向かう」説とは矛盾するのでは?

  • 編集E

    これは、主人公なりの解釈、ということではないでしょうか。主人公は、「人々の悪意を一身に受けて、まるで救世主みたいにこの一年竹組を守ろうとしている」柳原さんは、「もうクジラの腹の中にいる」と思っている。やり返すだけの力を持っているのに、一人でいじめに耐えている彼女は、自覚はなくても、もう英雄への一歩は踏み出していると。でも、そのやり方については「絶対間違ってる」とも思っている。同時に、見て見ぬふりをしているふがいない自分にも、苛立っている。自分はまだ、「落ちることもできていない」からです。だからラストで、「私も境界を踏み越えて、英雄になろう!」と決意し、いじめっ子に反旗を翻した。

  • 編集D

    でもそれだと、柳原さんに向かって、「クジラの腹の中に、一緒に落ちよう」と言うのはおかしいですよね。「さくちゃんは、もう落ちている」と、主人公は思っているのですから。結局今の書き方では、どういう解釈で読んでも、どこかで矛盾が生じてしまいます。

  • 三浦

    やっぱりこの話は、「クジラの腹の中」という試練の場にいる英雄候補者たちが、腹を破って外に出ることで新たに生まれ変わり、真の英雄になる、という流れにしたほうがいいと思います。というか、物語の構造から考えれば、そういう話のつくりにならなければおかしいですよね。せっかく物語理論を重要モチーフとして話に持ち込んでいるのに、この作品自体はその物語理論に沿ったものになっていない。これはものすごく大きな問題点だと私は思います。

  • 編集H

    ラストの、「腹の中に一緒に落ちよう」の台詞を、「腹の中から一緒に出よう」にしたらどうでしょう? 柳原さんは、自分では気づいていないけれど、とっくに「クジラの腹の中」にいた。そして主人公もまた、気づいていなかったけど、すでに「クジラの腹の中」に落ちていたんです。二人が英雄になるためには、この「クジラの腹」をぶち破って、外に出なければいけない。だから、「一緒に出よう!」と呼びかける。

  • 編集D

    なるほど。主人公は「柳原さんはもうクジラの腹の中にいるのに……」と他人事のように思っていたけど、川内さんにまたしてもジュース代をせびられ、「私だって、もうとっくに腹の中にいたんだ」という気づきが生じた。だから、「外に出よう! 縮こまっていないで、立ち上がらなきゃいけない! さくちゃん、あなたも一緒に!」と思うわけだね。それなら、話がきれいにまとまりますね。

  • 編集A

    でも、柳原さんの「いつかクジラの腹の中に落ちたい」は、やっぱり「いつか勇気を出して一歩を踏み出したい」という意味合いですよね。彼女自身の認識では「まだ落ちてもいない」のに、「あなたはもう中に落ちてる。一緒に出よう!」と呼びかけられたところで、柳原さんは納得できないと思います。

  • 編集I

    結局、どういう状況が「クジラの腹の中に落ちる」ということなのかが、はっきり示されていないのがいけないんだと思う。おそらく作者自身の認識もまだ曖昧なんじゃないかな。だから矛盾が生じて、読者も疑問だらけになってしまう。「クジラの腹の中に落ちたら英雄になる」のか、「そこで戦ったら英雄になる」のか「クジラの腹の中から出たら英雄になる」のか、そういう辺りに関して、まず作者が自分の認識をはっきりさせたうえで、作中でも明確にしてほしい。

  • 編集A

    「クジラの腹の中」という要素をうまく使えていないということに、作者には気づいてほしかったですね。そして、使いこなせない要素なら、思いきって捨ててほしかった。

  • 編集D

    そうですね。元々はこの要素から発想した作品なのかなとは思うのですが、むしろこの要素こそが、この話を損なっていますよね。良さそうなアイディアであってもしがみつかないで、捨てる勇気を持ってほしい。

  • 編集A

    ただ、「クジラの腹の中」という要素がなくなったら、この作品は、ものすごくありきたりのいじめモノになってしまいかねないですね。

  • 編集D

    これといって特徴のないいじめモノを面白い作品にできるかどうかは、書き手の真の力量が問われるところですね。でもこの作品は、回想とかではなく、主人公が迷い苦しみながら前へ進んでいく話を現在形で描いている。そこは、すごくいいと思います。ラストで主人公がちゃんと立ち向かう展開になっているのは、高く評価したい。二人の「反撃」の先までは書かずに、バサッと切って終わっているのも、個人的には好きです。

  • 編集G

    お弁当が出てくる場面で、「このお弁当は、友達と楽しく食べることを思い浮かべながら、家族が作ってくれたものだろうに」みたいなことが書いてあって、胸にじんときました。作者のこういう目線は、とてもいいなと思います。

  • 編集I

    キャラクターが熱いのも、よかったですよね。

  • 三浦

    主人公たちに好感が持てますよね。全体にユーモアが感じられるのも、私はいいと思います。殺伐とした内容だから、語り口は軽やかにしようと思ったんでしょうね。

  • 編集D

    作者がいろいろと考えて書いているのが窺えますよね。イチ推しする人がとても多かった作品なのですが、引っかかる点もまた多く、あと一歩、賞には届きませんでした。非常に残念でしたね。

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