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選評付き 短編小説新人賞 選評

終わらない世界は黄土色を飲みこんで

沙野ハルカ

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  • 編集F

    一風変わった作品でした。主人公は、就活に悩む大学3年生の女の子なのですが、読み始めたときは、こんな不思議な終わり方をする話だとは思いもしなかったですね。

  • 編集A

    作品全体にうっすらと、なんだか醒めたような空気が漂ってますね。虚無感というか、無力感というか。

  • 編集D

    この主人公が、意欲に満ちた溌溂としたキャラクターでないことだけは確かですね。

  • 編集B

    主人公は、就職という人生の岐路を目前に迎えて、それでもなお、やる気が出ない。「やりたいことなんか、べつにないしなー。でも、働くのはもっと嫌だなー」なんてぐだぐだ思いながら、充実感とは程遠い日々を適当に過ごしています。ところが、「生死の境にでも追い込まれたら、こんな私でも、やりたいことがはっきりするのかもね」なんてのんきに思っていたら、歴史的豪雨に見舞われて、本当に命の危険を感じる羽目になる。それでようやく、自分のやりたいことがはっきりする。するんだけど……その後の話が、展開しそうで、全くしないんですよね。

  • 編集D

    主人公は、「そうだ、私は音楽の先生になりたかったんだ」とせっかく気づいたのに、結局何も行動を起こさない。

  • 編集A

    「よく考えてみたら、今から進路を変えるなんて、ものすごく大変そう。なら今のまんまでいいや」と、あっさり気持ちが変わってしまう。本当に無気力ですよね。

  • 三浦

    主人公は、「行きたくもない会社のエントリーシートを書くほうが、夢を追うより楽だ。まだしも効率的だ」というふうに思うわけで、そもそも音楽教師は「本当にやりたいこと」ではなかったってことなんでしょうね。「音楽の先生になりたかったんだ」と思い出すも、出発点に立つ以前にやる気が失せている(笑)。

  • 編集G

    それに、夢を諦めて気落ちしているかと思いきや、エントリーシートの文章を褒められて「あたしって天才かも」なんてウキウキしている。嵐の夜の熱い決意はどこへ行ったの?(笑)

  • 編集B

    で、ラストでは、「適当に楽しい人生送るのは、全然悪いことじゃない」と開き直り、「人生って、思い通りにはならないよね」「人間って、こうやって流されて生きていくんだよね」みたいな、妙な悟り方をしている。でもこれ、単にこの人が、「がんばるのは大変だから、夢を追うの、やーめた」と思っただけのことですよね。真剣に夢を叶えようとしている人は、世の中にいくらでもいます。この主人公は、最初から最後まで、自分が行動を起こさないことへの言い訳をひたすら並べているだけのように感じられました。正直、あまり好感は持てなかった。

  • 編集E

    単に「無気力で、何もしない」だけの人ならまだいいのですが、この主人公は、なんだかすごく自分本位で思いやりに欠けるように感じられました。中でも一番引っかかったのは、23枚目。谷口君が無事だったと知った主人公は、「心配した時間を返せと言いたくなってしまった」と言っていますが、これはあまりにひどい言葉ではないでしょうか。

  • 編集B

    だって、実際に彼は被災してるのにね。家の2階まで浸水したなんて、すごく恐かっただろうし、今後の生活も大変でしょうに。そういうあたりへの気遣いはないのかな。被災者に対して、「助かったなら、心配して損した」みたいなことを思うなんて、あんまりですよね。

  • 編集D

    しかも、その「心配してあげた」というのは、単に頭の中で「谷口君、大丈夫かな」って思っただけのことですよね。メールしたわけでも電話したわけでもない。LINEのやりとりを、ただ眺めてただけ。

  • 三浦

    「彼はあたしには連絡をくれなかった」みたいなことを言っていますが、谷口君はみんなに心配かけまいと思って、さほど親しくない人には、あえて詳しいことを話さなかったのでしょう。彼のそういう気遣いに、主人公はまるで思い至れてませんよね。

  • 編集E

    まあこの主人公が、いきなり長靴はいてボランティアに参加とかしたら、逆に作り物っぽい話になるとは思いますけど、もう少しくらい「何か手伝えることはないだろうか」的な発想があってもいいんじゃないかな。

  • 編集B

    実際は、ただ寝転がって、猛暑の中で働く人たちをテレビ越しに眺め、「かっこいいな」「でも大変だなー」なんて思っている。「こんな自分って情けない」とは感じつつも、やっぱりゴロゴロしてるだけ。

  • 三浦

    あと、いくら電車の本数が減ったからといって、大学まで母親に車で送迎してもらってますよね。なのに、そのことを感謝しているような様子はない。大学3年にもなってこの甘えっぷりはいかがなものかと……。

  • 編集E

    人から何かをしてもらっても、それを返そうという気持ちがあまりない人物のように見えてしまいます。

  • 編集B

    徹頭徹尾無気力で、だらだらと楽をしながら生きている感じ。実際最初のあたりで、「永遠に遊びほうけてたい。それがダメなら、むしろ死にたい」みたいなことを言ってますよね。

  • 編集A

    でも、推しアイドルがいるから死ねないんですよね(笑)。

  • 編集B

    まあ、それ自体はべつに悪くはないんだけど、でも、「適当に楽しく生きればいいじゃん」「人間って、人生って、こんなもの」と勝手に自己完結しているのは、かなり引っかかる。

  • 編集E

    読んでいて、どうしても首をかしげたくなります。ほんとにそれでいいの? もうちょっと何かしてみたら? って。

  • 編集B

    主人公自身、「自分ってクズだな」みたいなことを言ってますが、何というか……うん、本当に、ダメな感じのお人(笑)。

  • 編集D

    友だちはいるんでしょうか? 正直私は、この主人公と友情を育める気が……

  • 編集C

    でも、僕はこれを読んで、「あ、これ、自分だな」って思いました。

  • 編集B

    え、そうなの?(笑)

  • 編集C

    「僕がここにいる」と(笑)。まあ、だからと言って、この主人公を肯定するとかってことではないんですけど。でも、ラストで変に心を入れ替えたりしないところは良かったと思う。

  • 編集A

    そうですね。これがもし、「やっと本当の夢に気づけました。決意も新たに、歩き出します」みたいな展開になっていたら、ものすごくありきたりな物語になっただろうと思います。

  • 編集C

    この主人公が、前向きに頑張る人間に変化して話が終わったりしたら、すごく嘘くさいと思います。だからこのラストには、僕はむしろ、ほっとしました。

  • 編集D

    確かに、主人公の描き方にブレはないですよね。ダメな主人公を、ダメなまま描いている。だから読む側も、「何この人。ごめん、悪いけど好きになれない」と遠慮なく思える。

  • 編集A

    作者はどういう思いでこの主人公を描いているのかな? 作品からは、ちょっと読み取れませんね。

  • 編集G

    そもそもこの作品自体、何を書きたかった小説なのか分からなくて、私は引っかかりました。この結末を読んで、嬉しくなったり感銘を受けたりする読者がいるようには、あまり思えないですよね。それとも、主人公と同じようにやる気のない人に、「あなたはそのままでいい」「人間て、こんなものだから」と肯定してあげているのかな?

  • 編集F

    普通、短編小説って、だいたいの結末くらいは決めた上で書き始めることが多いんじゃないかと思います。だから途中の展開は、意識的にも無意識的にも、そのラストに寄っていくものになるだろうと思うのですが、この作品にはそれが感じられない。「月曜日、音楽教師になろうと思った。火曜日、やっぱりやめた。エントリーシートを書いた」、みたいな、なんだかとりとめのない展開になっている。どこが山場なのか、よく分からないですよね。結末のつけ方にも疑問が残る。それなのに、一応この話は、ちゃんと小説にはなっているんです。むしろ、小説自体は書き慣れている感じ。非常に不思議な読み味だなと思いながら読みました。ただ、やはりこういう描き方では、読者は物語に入りにくいですよね。

  • 三浦

    読者が「なんだかノリきれない」と感じるのは、感情の流れが自然で滑らかな感じに描けていないからだと思います。この話は、「死にそうな目に遭ったらやる気が起こるかも、と思っていたら、本当に死にそうな目に遭ったのでやる気が出た。(ただし、すぐにしぼむ)」という図式になってますよね。でも、その描かれ方に、あまり実感がない。例えば、「雨がどんどん激しくなって、『死ぬかも』と思って、すごく怖くなった」というシーンがありますが、ここの描写からは、主人公が本当に怖がっていることが、あまり伝わってきません。

  • 編集D

    「嫌だ、まだ死にたくない……!」と思っている割に、結局ぐーぐー寝ちゃってますからね(笑)。

  • 三浦

    のんきに眠りこけている主人公が切実な恐怖を味わっているようには、とても思えないですよね。なのに、「すごく怖かったので、俄然、人生を真剣に考えました」という展開になっていて、ちぐはぐ感がある。生命の危険を感じるほどの豪雨という状況が、主人公にやる気を起こさせるための、段取りでしかない感じがします。主人公が豪雨で心身ともに追いつめられているようには読めないからです。「思い出した。そういえばあたし、オルガン好きだった」「そうか、あたしのやりたいことって、音楽教師だ!」という気持ちの流れも、なんだか唐突で強引ですよね。これも、主人公が豪雨に乗じて無理やり自分の気持ちを「高めた」のだと考えられるかもしれません。だとすると、ラストで主人公の気が変わるのも納得です。そもそも彼女は本当の危機に瀕していない。だから、本物のやる気も起こらなかったということなのでしょう。

  • 編集C

    この作品の中で、主人公の感情はあまり動いていないですよね。というか、一見動いているようでいて、実は上澄み部分しか動いていないように思える。大事件が起こっても、根っこのところでは、主人公はあまり動じていない。むしろ、「一度くらい動じてみたかったから、事件に乗じて、動じたフリをしてみました」という感じです。

  • 三浦

    この主人公は、何かに本当に心を揺さぶられるということが、あまりない人なんでしょうね。ゆるぎなく我が道を行っているように見えます。

  • 編集B

    だから読者も共感しづらいんですよね。感情移入できないし、友達になれそうな気もしない。

  • 編集H

    私も、この主人公は、あまり好ましい人物と思えませんでした。でも主人公が、夢を持ちたいと思いながらも持てなかったり、自分ってダメな奴と思いながらもゴロゴロし続けたり、夢を追おうとしたけど簡単に諦めたりする姿というのは、ものすごくリアルだなと思います。こういう情けない側面って、誰しもが持ってますよね。主人公のダメっぷりは、必ずしも他人事ではないと思う。この作品は、人間のとても弱いところを、見事に突いていると思います。

  • 三浦

    確かにそうですね。むしろ、大半の人は、こういうどうしようもない部分を持っていると思う。ここに描かれているのは、人間のリアルな一面であることは、間違いないと思います。

  • 編集C

    この主人公は、虚無感を抱えているというより、単に正直なんじゃないかな。この話は、「結局がんばることができない自分」を自覚するまでの様子を、ありのまま描いているのだと思います。移り変わる気持ちにも、嘘はないわけで。

  • 編集A

    なるほど。「音楽教師になりたい」も本心だけど、「大変なのは嫌」もまた本心。たとえ読者に「ダメな奴」と思われようと、主人公はその時その時に浮かんできた思いを、素直に言葉にしているだけなんですね。

  • 編集F

    「心配した時間を返せ」という問題発言も、悪気は全くないんだと思います。谷口君を心配していたのも本当のことで、無事だと分かってホッとした反動でつい、「やっだもー、心配させないでよね」みたいに、浮かれて口が悪くなったんだと思う。そもそもこれ、ちょっと露悪的にも感じられる主人公の一人称で書かれていますから。

  • 編集C

    考えなしの言葉はいろいろありますが、少なくとも主人公は他人を悪く言ったり、「自分が今こうなのは、○○のせいだ」と責任転嫁したりもしていない。そこは救いだったなと思います。

  • 編集F

    「被災した人は大変だな」と思いながらも、積極的には手助けしないのも、自分に正直ってことでしょうね。親切そうなフリをしたりしたら、もう一人の自分が「偽善者」と囁く。

  • 三浦

    誰かが苦しんでいるのを見たとしても、やっぱりそれは他人事。「大変だな」とは思いつつも、積極的に手をさしのべたりはしない。行動するのは勇気がいるし、面倒だから。そうやって日々は流れていく。現実の人間の日常とはそういういうものだ、みたいな感じはすごくよく出ているし、それもまた真実だと思います。だから、「結局何もしない」というラストも、「この主人公なら」と思えて、リアリティがある。ただまあ、そうはいっても、「心配した時間を返せ」というのは、やはりちょっと口が滑りすぎかなとは思いますけどね。

  • 編集E

    「現実はこんなものだ」というのは、確かによくわかります。でも、世の中が主人公みたいな人ばかりになってしまったら、大げさに言えば、人類の進歩はないですよね。きれいごとかもしれないけど、前向きに頑張る人がいて、みんなで思いやり合うからこそ、この社会は成り立っているのだと私は思います。もちろんこれは小説で、創作物だから、主人公=作者ではないだろうし、作者がこの主人公を「これでよし」と思っているとも限らない。主人公みたいな人は実際にいるだろうし、作者はそういう人物を描いてみせただけかもしれない。でも正直な感想として、私はこの主人公を肯定する気持ちには、どうしてもなれないです。だから、この作品そのものにも、あまり好感が持てなかった。

  • 編集B

    同感です。小説として提示するなら、もう少し、読者が受け入れやすい工夫があったほうがいいのではないかと思います。現実というものを鋭く抉っている面は確かにあるのですが、今の描き方では、抵抗を感じる読者も多そうな気がする。それはとてももったいないことですよね。せっかくの物語が、読者の心に届く前に拒まれてしまいますから。たとえストーリーはこのままであっても、言葉の選び方、描写の塩梅などにもっと細かい配慮があったなら、読者が受ける印象はかなり違っていただろうと思います。

  • 編集G

    また、作品中に描かれている豪雨災害は、この夏、実際にあった出来事と酷似しています。読者の中には、強い抵抗を感じる方もいらっしゃるのではと思えて、気がかりです。

  • 三浦

    記憶が生々しいですしね。もちろん書いてはいけないわけではないし、作者がこの題材を安易に使ったとも思いませんが、取り上げる際にどう神経を払うか、非常に難しいことは確かですね。

  • 編集F

    でも、なんだか貴重なものを読ませてもらったなという気も、私はしています。だって、人物の内心の思いを、本当にごまかしなく書いてますよね。

  • 編集A

    率直にさらけ出してますよね。主人公も作者も。自分を良く見せようと繕ったりしていない。

  • 編集F

    「一生遊んで暮らしたい」とか「キモい男は、どうしたってキモい」みたいなこと、思ってもなかなか書けませんよね。「こんな主人公を書いたら、作者の私が『冷酷』って思われやしないか」と気になったりして。

  • 三浦

    その点、本作は過ぎるほどキレッキレで、すごいなと思いました。非難されるのを避けようとして、つい描写の手が鈍るということもあり得そうなものなのに、ズバズバ書いてらっしゃいますよね。

  • 編集F

    この作者は、そういう非難を恐れていない。それが勇気なのか、配慮不足なのかは何とも言えないけど、少なくとも、人間の本当の気持ちを見つめようという姿勢があるのは確かではないかと思います。

  • 編集B

    それは、私もよくわかります。だからこれ、小説としては、すごく読み応えのある作品だなと思います。文章とかも、うまいですよね。

  • 編集I

    イチ推ししてる人も、けっこういます。主人公には共感できないし、展開には疑問が感じられるし、読後感がいいわけでもないというのに、それなりに評価が高かったのは、小説として光るものも確かにあるからですよね。

  • 編集C

    読み手の気持ちを、ここまでザワつかせるというのも、すごいことだと思います。あと、僕は一応、共感しましたよ(笑)。

  • 編集H

    この作者は、「妄想バブル小説賞」という別企画にも投稿されていて、そちらでは入賞されています。で、実はそちらも、虚無感とか無力感で終わる話なんですよね。(この作品は、WebマガジンCobaltの「これまでの投稿一覧」から読むことができます。)

  • 編集C

    作者は、「虚無感」みたいなテーマに、ものすごく興味があるのかな? それとも、たまたまそういう作品が続いただけなのでしょうか。

  • 編集G

    そこはちょっとよくわからないですね。もしよければ、違うテーマ、違うテイストの作品も、読ませていただきたいです。小説を書く力は持っていらっしゃる方だと思いますので、ぜひトライしてみてほしいですね。

関連サイト

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