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いじめ物ですね。短編ではとてもよくあるテーマなのですが、オチのつけ方が一味変わっていて、よかったと思います。
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第197回
あの日もう一度
松葉
32点
いじめ物ですね。短編ではとてもよくあるテーマなのですが、オチのつけ方が一味変わっていて、よかったと思います。
いい意味での「意外性」がありましたよね。
主人公のゆいは、中学2年の女の子。小学校のときからの幼馴染・葉子が同じクラスにいるのですが、彼女はクラスの人間からのけ者にされています。所属しているグループの友達の手前、ゆいも葉子をハブらなければならない。後ろめたい思いを抱えつつ、葉子を無視しているゆいは、息苦しい毎日を過ごしています。その息苦しさを、「へどろ」というもので表現しているのは、面白い工夫だなと思いました。
ゆいにしか見えない「へどろ」は、ゆいの体を縛ったり、お腹の中で暴れたり、背筋を這い上がったりする。主人公の中に渦巻いているどろどろした思いを、「へどろ」という読者に見える形にしたのは、いいアイディアですよね。
私は、この「へどろ」の設定は、ちょっとわかりにくいと思いました。それに、このへどろは、終盤でいったん消えますよね。話の流れからすると、へどろがなくなるのは、「弱い自分に立ち向かったとき」のはず。でも、へどろが消えた時点では、主人公はまだ何もしていなかったですよね。なんだか理屈が通っていないように思えたのですが。
確かにね。実際に主人公が行動を起こしてへどろが消え、「ほら、いま主人公は、弱い心に打ち勝ったのです」みたいな図式にしたほうが、わかりやすいとは言える。ただまあ、それではあまりにも陳腐な感じになってしまいますからね。
ここに関しては、今の描き方のままで問題ないのではと私は思います。主人公が「行動しよう」と固く決意したから、その瞬間にへどろは消えた、ということなのでしょう。
あるいは逆に、へどろが消えたことで、主人公の決意の本気度を表しているのかもしれませんね。
中学校生活の描写も、けっこううまかったと思います。
いじめの描写も、その場の空気感とかがちゃんと伝わってくるように書けてますよね。
葉子をいじめる女の子たちの、無邪気に残酷な感じとか、すごくよく出てましたよね。「(いじめの)ぎりぎりセーフのラインを極めて行きたいよね」とか「隠さなくたって、あんたのことなんて誰も見てないし」みたいなことを、さらっと言ってたりして。
葉子が、「かわいそう度100%」という描かれ方でないのも、うまいと思います。自分の意見を言わずにいつも曖昧に笑っているとか、字を書くときに必ず手で隠すとか、そういうところにイラッとするクラスメイトの気持ちも、私はわかる気がする。
このあたりの描写はすごくうまいですよね。
話の展開にも、普通のいじめ物にはない工夫がありました。未来の自分があらわれて、「このままでは後悔するわよ」みたいなプレッシャーを、執拗にかけてくるんです。でも、二人は同一人物だから、基本的に気持ちは同じ。主人公だって、「このままじゃいけない」という思いは常に抱えている。終盤で主人公は、ようやく勇気を奮い起こし、行動を起こします。これで話に決着がついたかと思いきや、ラストにもうひとひねりあるんですよね。
これには驚かされましたね。
終盤で未来のゆいが、「二学期には、葉子はいなくなる。貴方はその後一生、葉子とは会わない。謝りにすら行けない」「一生自分を許せないまま、貴方は生きる」と言うので、読者は「どういうこと? 転校? それとも、もしや自殺でも?」と、続きが気になりますよね。でも、その後、中二のゆいが葉子に声をかけ、話がいったん明るい方向へ向かう。だから、悲しい未来を防ぐことができたのかなと思ったのですが、そのすぐ後のくだりで、すべての真相が判明する。ここは驚かされました。しかも、まず「葉子は交通事故で帰らぬ人となった」とあるので、「そうか、せっかく二人は仲良くなったのに、不運な事故が起きたのね」と思ったのもつかの間、次の一行で、葉子はいじめから解放されることのないまま死んだということが分かる。そしてラストまで読み進むと、今まで現実だと思って読んでいた部分が、すべて「27歳のゆいが見ていた夢」だと読者は知ることになる。
逆パターンの夢オチですね。「ああ、そういう手できたか」と思わされました。
最後の最後まで、読者の興味を引っ張りながら、意外なオチでちゃんと結末をつけています。しかも、一度は希望的な結末を予想させておいてから突き落とすことによって、非常に効果的に、読者に衝撃を与えてますよね。まあちょっとネガティブなオチではあるのですが、よく考えられた話で、まとまりやバランスもよかったと思います。「やっと、勇気を持って一歩踏み出すことができた」「これで、悲しい未来を変えられたんだ」と思ったのに、目が覚めたら、すべては夢でしかなかった。「幸せな夢から覚めて、辛い現実を思い知る」というラストは、とても切ないですよね。
そうですね。逆パターンとはいえ、夢オチには違いないわけで、ほんとなら「なんだ、結局夢オチか」となりそうなところなんだけど、この作品に関しては、「なるほど、うまくできてるな」と思えました。テーマにも、惹きつけられるものがあります。取り返しのつかないことって、実際ありますよね。今さらどうしようもないことなのに、何十年経っても囚われ続ける、みたいなことって、あると思うんです。そういうあたりのことが、すごくよく描けているなと思いました。
やっと葉子に声をかけることができて、葉子は嬉しそうに泣き笑いして……というのも、結局全部夢だったわけですよね。葉子が笑顔になることなく亡くなったのかと思うと、非常に切ない気持ちになります。「結局何もできなかった」という無力感で終わる話ですが、そこが魅力になり得ていたと思います。
救いがない結末ではありますが、だからこそ、主人公の心情が非常に迫ってきましたね。ただ、このラストはちょっと、スパッと終わりすぎかもと思いました。好みの問題かもしれませんが、私はこの、影の主人公、「27歳のゆい」の現在の日常を、もうちょっと読みたかったような気がします。
こういう過去の経緯があった上で、27歳のゆいが今、どういう人生を送っているのか。そこをもう少し知りたい。この出来事を教訓として、「もう二度と、自分の気持ちに嘘はつくまい」と思って生きているとか。
もしくは、今でもまだ、同じようなことを繰り返しているのかも。過去の出来事にいまだに囚われて、全く前に進めていないということも考えられます。そこは別に、どんな姿であってもいい。必ずしも、過去の出来事を糧に成長した、みたいなことを描く必要はありません。ただ、27歳のゆいが、現在どのような毎日を送っているかが全く分からないので、読者が彼女に近づくことができる前に物語が終わってしまう。そこはもったいなかったですね。彼女の日常を、もう少し知りたかった。13年経っても後悔を引きずりながら生きている27歳の女性の心情、彼女の物語こそを、読みたかったなと感じました。でも、そう感じさせられるほど、力のこもった作品だということですし、27歳のほうをメインにしたら、ストーリーや構成自体が現状とは異なるものになってしまいますものね……。
私は、主人公のところへやってくる未来のゆいの年齢が、「どうして27歳なんだろう?」と思えて、すごく引っかかりました。たぶんそれも、27歳のゆいの心情とか状況とかがよく分からないせいだったのではと思います。現在のゆいのことがもう少し理解できれば、もっと話に没入できた気がする。
たぶん、大人になったゆいは、葉子の命日が近くなると、いつも「13歳のときの自分」の夢を見るのではないでしょうか。「もう一度やり直したい」「葉子が死んでしまう前に、いじめから救いたい」という気持ちが高じて。でも、いつも助けられないまま、事実と同じ結末を迎え、どんよりとした気持ちで目を覚ます。それが、理由は分からないけれど、今年、27歳で見た夢の中で初めて、勇気を出して行動を起こせた。「ああ、よかった。やっと葉子を助けられた」と幸せな気持ちで目を覚ましてみれば、「なんだ、ただの夢だった。葉子がいじめられたまま死んだ現実は、何も変わらない」と、打ちひしがれる。そういうことだったんじゃないかなと、私は想像しました。
27歳のゆいの人となり、みたいなものを、もっと知りたいですよね。それに、「毎年、同じ夢を見てる」というようなことが盛り込まれているだけでも、物語の深みが全然違ってくると思います。
例えばこれ、二重構造の物語にしてみてはどうでしょう? 中学生のゆいの話と並行して、27歳の女性のエピソードも描くんです。この二人の間には何らかのつながりがあるのかなと思いながら読んでいたら、実は「中学生編」は、27歳の女性が見ている夢だったということが終盤でわかる……という構図にしても、この話は成り立つと思います。二人の「ゆい」の生活を等価に見せるような描き方のほうが、作者が書きたいことにより迫れるのではという気がしますね。
作者がこの作品の中で描きたかったテーマとか主張みたいなものって、27歳のゆいが中学生の自分に向かって言っている内容そのものではないかと思います。「自分の気持ちに嘘をつくな」「現実から目をそらすな」「過去は変えられない。後悔しないよう、今行動しろ」というような。ただ、こういうことを全部、かなり長い台詞で、ストレートに言ってしまっている。ここはすごく気になりますね。テーマというものは、直接的には書かず、エピソードや描写を通じて立ち上らせてほしい。
今の書き方では、正直ちょっと「説教臭いな」と感じます。そこは非常に引っかかりました。ただ、バッドエンドであることが、その説教臭さを絶妙にカバーしてますよね。このオチのつけ方は、非常に良かったと思います。だから僕は、27歳のゆいのことも知りたいけど、現状のこの衝撃的などんでん返しの部分は変えないでおいてほしいです。
二人のゆいを並行させる書き方なら、どんでん返しを効果的に使うことは可能だろうと思います。現状通り、「実は夢だった」というオチにしてもいいし、「別人かと思いきや、同一人物だったのか」というところに焦点を当てて驚かせてもいい。書き方は色々あると思います。それに、現状では、27歳のゆいが、一方的に昔の自分に「心を入れ替えろ」と迫ってますよね。見知らぬ大人が、子供に勝手に正論を押し付けている印象がある。だから説教臭く感じられるのではないでしょうか。一見大人の27歳のゆいもまた、後悔に苛まれて心揺れる日々を送っていることがわかれば、読者がもっと物語に入り込めると思う。だからやっぱり、なんらかの形で大人のゆいのことを描いてほしいですね。今のままの構成をあくまで変えないという場合でも、現在のゆいが目覚めた後に、もう少し彼女の生活の実感が伝わる描写を入れたほうがいいと思います。
そもそも、ラストシーンの大人の女性が、中学生のゆいの前に登場したキャリアウーマン風の女性と同一人物かということも、実はよくわからない。確証となる描写がありませんよね。本当に同一人物として描いているということであれば、ラストでゆいが目を覚ましたシーンで、壁にグレーのスーツが掛かっているとか、黒髪が揺れるとか、そういう描写を盛り込んだほうがいいと思います。
こういうときこそ、「鏡を見る戦法」が有効です(笑)。目を覚ましたゆいに、起き上がって鏡を見させ、そこに映った人物を描写すればいいんです。一人称で自分を描写する、手っ取り早い方法です。
この話の主人公は、むしろ27歳のゆいのほうではないかと思えます。その人物がほとんど描写されていないのは、残念でしたね。
うーん、でもやっぱり、作者が一番書きたいのは「27歳のゆい」ではなく、いじめ問題に悩んでいる「中学生のゆい」のほうなんじゃないかな。いじめを見て見ぬふりをする自分、というあたりの心情描写にこそ、力がこもっていたように思います。で、それだけでは「ただのいじめ物」になってしまうので、ラストにどんでん返しを持ってくることによって、一味違う「企みのあるいじめ物」に仕立てたのかな、というふうに私は思ったのですが。
実はその「企みがある」という部分に、私はすごく引っかかりました。というのも、選評の中で、「企みがあるのはとてもいい」という言葉が出てくることが、けっこうありますよね。そのせいなのか、どうも最近、投稿作の内容が、そういう企みのあるもの――多くはどんでん返しですが――へ傾いてきているように思えます。この作品も、「どんでん返しを作ろう」という意図のもとに、恣意的に作られた話のように感じられて、ストレートに「いい」と評価することにためらいを感じました。それに、もしかして我々の過去の発言が、「仕掛けのある作品は高めに評価されるらしい」という誤解を読者に与えてしまっているのではと、気がかりです。
そうか……実際は、企みがありさえすれば高評価、なんてことは、全くないんですけどね。
ただ、「企みがある」ということは、「一生懸命考えた」ということではあると思うので、こちらもつい、その努力の姿勢は伝わってきましたよと、言及したくなるんですよね。
それに、「企みがある」こと自体は、べつに悪いことではありませんし。ただ、投稿作がどんでん返し小説ばかりになるのは、ちょっと困りますね。どうして、「企み」=「どんでん返し」になってしまうんでしょうか。「企み」とは根本的には、「作品にとってなにがベストの形なのかを、作者が考えつくしたうえで書いている」ということだと思うのですが。
やっぱり、発想しやすいからじゃないですか? 斬新なアイディアを盛り込めと言われても難しいけど、どんでん返しなら、最後に何かをひっくり返せばいいわけですから。
しかも30枚の中ですからね。「最後にひっくり返す」のが、一番作りやすいとは言える。
「企み」=「どんでん返し」ではないということは、過去、何度も選評に載せてますよね。つい前々回にも、言った気がする。
受賞作の『告白は勇気がいるから』の選評のラストで言及しています。
以前の回の選評も、ぜひ参考にしてほしいですね。
この作品については、作者が「どんでん返し」をどのくらい意図的に盛り込んだのかということは、ちょっと判断が難しいですね。私は、これは仕掛けとしての「どんでん返し」ではなく、主人公の魂の叫びというか、心情の流れとして必然の展開である、と受け止めました。
ただまあ、どんでん返しの展開が技巧的にも見えると言われれば、否めない面はあるかも。
でも、この仕掛けがあるから、この作品は、多くのいじめ物の小説の中で一歩抜きんでているのだと思います。
仕掛けのある話を読者が「あざとい」と感じることは、あるでしょうね。今作にも読者がそう感じるとしたら、仕掛けの部分に関する描き方に、まだちょっとうまくいってないところがあるのかなと思います。ただこの作品は、パターンとしてのどんでん返しを書こうとしたというより、人間の心情のほうにより焦点を当てているように感じます。おそらく、「取り返しのつかないこと」とか「後悔を抱えて生きる」みたいなことを描こうとしたんじゃないかな。そこがすごくよかったと思いますね。
この作者は、語りたいものを持っている気がします。
説教臭い話かと思いきや、主人公が抱えているものが「終わらない後悔」だとラストでわかって、胸を打たれました。とてもいい作品だと思います。
あと、余談かもしれませんが、今作と同じようなテーマで、『つぐない』というとても秀逸なイギリス映画がありますので、ぜひそれもご覧になって、参考にしていただけたらと思います。