編集B
園田君と飛塚君という、クラスメイトの男の子二人の微妙な関係を、一歩離れたところからさりげなく温かく見守っている、高三の女の子のお話です。この「ただただ脇から見守る」という役どころの木下さんが、この話の主人公なんですよね。
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第202回
卒業
吉田詩織
36点
園田君と飛塚君という、クラスメイトの男の子二人の微妙な関係を、一歩離れたところからさりげなく温かく見守っている、高三の女の子のお話です。この「ただただ脇から見守る」という役どころの木下さんが、この話の主人公なんですよね。
園田君と飛塚君は、言ってみればBLっぽい関係ですね。二人の仲が具体的にどこまで進展しているのかは、主人公にも読者にもわからないんだけど、とりあえず両想いなのは間違いない。
そういう男の子たちの様子を、そっと見守ることに喜びを感じる女の子のことを「モブ女子」と言いますよね。脇役とかその他大勢(=モブ)の存在に徹して、あくまでも見守るだけ。本作はいわゆる、「モブ女子視点」の流れにある作品といえるかなと思います。BLでもたまに見かけますし、割とありがちな設定ではある。と言いつつ、本作は人物の描写が丁寧で、とてもよかったと思います。文章もすごくいいですよね。
言葉の選び方や表現に、センスのようなものを感じました。「火の手」「水の手」なんて要素の使い方も、うまかったですよね。
青春感があって、爽やかな作風で、いいと思います。
ただ、卒業式をしている中で主人公が過去を回想するという造りが、ありがちなMVっぽくて、ちょっとダサいような気がする。現在の卒業式のシーンから始まり、それと並行して、過去のいろんなシーンの断片が挟み込まれるという構成は、ひと昔前のMVでほんとによく見ましたよね。定番スタイルではあるのでしょうが、若干ありきたりかなと。
でも、実は僕は、そのありがちなダサいMVスタイル、すごく好きなんです(笑)。80年代のMVとか、大好き。
私もです(笑)。
カットバックで過去シーンが挿し込まれたり、印象的な映像がフラッシュのように散りばめられたり。
回想シーンがセピア色だったり、誰かがスローモーションで去って行ったりね(笑)。
いかにもな感じではあるんだけど、でも手法としては、今でもよく使われていますよね。結局、時代を問わず、多くの人が思わずキュンとくるスタイルなのではと思います。
それに、この話のオチは、こういうありがちなMVスタイルだからこそ活きている、という面もあると思う。卒業式が進む中、過去のあれこれが切なく懐かしく胸によみがえり……という流れの後で、「時は止まらない」「青春の一幕が今日ここで終わり、そして人生は続く」みたいに締めくくられているから、感動的な話としてまとまっているんじゃないかな。
こういう構成って、下手にやるとものすごくあざとくなって鼻につくんですけど、この作品に関しては、素直に雰囲気に浸って読める。とてもうまく作れていると思います。僕はイチ推しにしました。
主人公の目線で園田君たちを描いているんだけど、対象に近づいてグッとフォーカスしたり、逆に遠くに引いてみたり。そういうカメラワークがすごくうまくて、効果的だったと思う。私もイチ推しにしています。
でも、そういうMV映像的な造りのせいで、時間が飛び過ぎていると感じられるところが私には多かったです。読んでいて、今が一体いつなのかということがよくわからない。現在と過去が何度も切り替わるし、あるいは、また切り替わるのかと思いきや、過去シーンが場面転換してさらに続いたりする。いろんな場面がブツ切れで描かれている感じ。
時制が分かりにくいんですね。
はい。私はBL要素は関係なく、普通の小説として読んだのですが、話の流れが摑みにくいところがありました。
確かに、こういうMV的な作品が好きな読者にとっては、雰囲気でごまかされてするっと読まされてしまうところはあるかも。
全体的にポエミーだよね。いい意味で、抒情に流されている感じはある。
今日が卒業式で、もう最後だから、主人公は感極まって怒涛の如く回想しているんでしょうね(笑)。まあでも、このシチュエーションなら、つい感傷的になるというのは実際あることかなと思います。
ただ私も、文章面で気になったことはありました。台詞の前の行の書き方です。文章の途中で改行して台詞を挟むことって、よくありますよね。この作品では、台詞の前行の最後に、読点(、)が一切ついていない。読んでいてすごく引っかかるので、気をつけてほしいです。
私がすごく気になったのは、一行空きが多すぎることです。場面転換ごと、そして、現在と過去でシーンが切り替わるごとに、毎回一行空けてますよね。これはあまりに多すぎるし、小説の書き方としてうまくない。非常に説明的に感じられます。MV感があるのも、一行空きが多いことと関係しているでしょう。映像だと、シーンとシーンの間でカットを割ることで、場面転換や時間の経過を表現しますが、小説の一行空きを同様に考えて多用するのはいけません。「ブツ切れだな」という印象を読者に与えてしまいますし、小説の持つ強みが薄れてしまいます。
小説の強みとは、主人公の内面と外界で起きている出来事との間や、異なる時間と空間の境目を、描写によって自在に行き来できるということです。いちいち一行空きを入れる必要はないし、入れなくてもわかるぐらいに、できるだけ描写でつながなければいけないということです。
主人公は、卒業式の進行に合わせて過去を回想しているんだけど、その思い出のシーンがあまりに鮮やかなので、まるで今起きていることのように、かつて見た光景が眼前に繰り広げられているわけですよね。現状でもそれは、割とよく表現されていたと思います。でも、そういう主人公の思いの強さを、さらにしっかりと読者に伝えるためには、場面転換ごとに一行空けるという、機械的な区切りのつけ方はやめたほうがいい。
現在のシーンを一行空きでブツッと切ってから回想シーンが始まり、またそれをブツッと切ってから現在のシーンに戻る。そういう書き方のせいで、物語の流れが細かく分断されてしまっている。でも、園田君・飛塚君との思い出のあれこれは、主人公の中では単なる過去ではなく、いまも生き生きとしている、大切なものですよね。それくらいの強い思い入れが、主人公にはあるはず。それをもっとくっきりと表す文章にするためには、一行空きをなくした地続き感があったほうがいい。卒業式の進行を描きながら、過去の場面も同時に描き、なおかつ、それがいつの場面なのかということもしっかりと読者に伝える。そういう文章を書くことを目指したほうがいいと思います。
難しそうですね。レベルの高い要求になってしまうのかな。
当然、筆力は求められます。ただ、この作者のポエム力、思い入れ力にはかなりのものがあるとお見受けしますので、思いが溢れて、波のようにつながって、時間も空間も自在に超えていくような、そういう文章は、意外と書きやすいと感じるのではという気がします。とにかく、場面や時制の区切りを安易に一行空きで説明する書き方はやめて、なるべく描写を積み重ねるよう心がけてみてください。
べつに律義に毎回一行空きを入れなくても、読者にちゃんとわかるように場面転換したり回想シーンを入れたりすることは、いくらでもできますよね。
はい。書き方は、いかようにも工夫できます。例えば冒頭は、三行書いて、すぐに一行空きになりますね。その直後、「三月一日。このあたりの公立高校では~」が、まるっきりの説明文になっている。「天正十年六月。本能寺では~」みたいな感じ(笑)。時代小説ではないのですから、こういう書き方は避けましょう。ここはもう一行空きを入れずに、体育館で今まさに卒業式をやっているんだということや、主人公の現在の心境などを描写すればいいと思います。
できれば、この冒頭の卒業式の場面に、園田君と飛塚君も直接登場させたいですよね。この物語の、ある意味中心的な人物なんだから、回想シーンが始まるまで出てこないというのはもったいない。セオリー的にもここは、校長の長い話を聞き流しながら、主人公がふっと目を移すと、そこに園田と飛塚がいる、という流れがいいんじゃないでしょうか。
そうですね。主人公がチラッと彼らを見て、「あ、また園田くんは、飛塚くんのほうを見てる」って思う。
で、そんな二人を見ながら、「あれはいつのことだっただろうか」と、主人公の回想が始まる。一行空きはないままで、そのままするっと回想シーンに入っていけばいい。回想シーンの中でさらに場面転換するという場合だって、必ずしも一行空けなくていいんです。いかに文章を繋いだまま時系列を飛ばすか、回想シーンと現実シーンを自然につなぐかということを、今後は勉強していってほしい。
一行空きを入れずに、どうやってうまく、流れるように、時制を超えて描写を繋いでいくか。そこを考えてみることが大切です。物語の構成を支える、息の長い文章を書くことを目指してほしい。
一行空きって、場面を印象づける効果もあるけど、あまり多用すると、文章力という意味合いでの体力がないのかなと思われかねない。
はい。一行空きは、すごく便利なんですよね。でも、便利なものに頼っていると、やっぱり書く力がつかない。今後は、なるべく一行空きを使わずに書くということを意識してみてほしいですね。文章を書くということに、もう少し粘りを持ってほしい。でも、すごくいいなと思う表現とか心情描写とかがいっぱいあったので、私はこの作品を一番高く評価しています。でも、票は割れていますね。高得点をつけなかった方の意見を聞かせてもらっていいですか?
小説の出来としては悪くないと思うのですが、既視感が強かったです。似たような話を今までたくさん読んできたので、この作品に何か突出した魅力があるようには、あまり感じられませんでした。BLとして読んでも、普通の小説として読んでも、という意味です。
私は、園田君たちと主人公があまり関わっていないのが気になりました。登場人物たちが関わり合うことで化学反応が起きるのを期待していたのですが、最後まで何も起こらなかった。せっかく一人称で書かれている物語なのに、対象を観察するだけに終わっていて、なんだかもったいないなと思います。
あのー、さっきからちょっと気になってるんで言わせてもらえば、BLも普通の小説ですよ。小説に「普通」も「普通じゃない」もありません(笑)。
それはさておき、本作が「モブ女子」の視点で語られることを考えると、主人公と園田君たちとの関わりがやや薄いのは、しょうがない部分でもあるかなと思います。それがモブ女子のたしなみというか、お作法というか(笑)。むしろ、「離れてただ見守る」以外のことをしたら、作品が台無しになってしまうのではないでしょうか。
それに、例えば主人公がどちらかの男の子を好きになったりしたら、それこそ陳腐な話になってしまいます。
はい。本作においては、主人公は一応ちゃんと変化を見せてますよね。「口下手で、声も小さくて、友だち作るのも下手で」ってずっと悩んでいたんだけど、園田君に優しく勇気づけられたことで、思いきって親友の亜子ちゃんに、「ありがとう」ときちんと伝えることができた。ここが、この話のクライマックスなのだろうと私は思います。園田君たちの恋模様が話の中心要素ではあるけど、まあどうせ二人はラブラブなんだから放っておいてもいいわけで(笑)。で、その二人を見守っている語り手は、主人公でもあるけど、同時にモブでもある。でも、そのモブにだって当然内面はあり……ということを描けるのが、モブ女子視点の話の面白味だと思います。その点、本作は、主人公の友人関係だったりその変化だったりを、観察対象の男の子たちとの関係に絡めて描けているので、かなりうまく作れていると言っていいんじゃないかな。
それに主人公は、園田・飛塚カップルとけっこう親しくなり、友情や信頼関係を築けていますよね。最後には「恋は罪悪じゃないよ、きっと」って伝えることまでできているし、それは園田君の心に深く響いただろうと思います。
ただ、「見守る」ことがメインの話なので、全体にメリハリに欠けている印象がありました。ラストの「恋は罪悪じゃないよ」のところも、エピソードとしてちょっと弱い気がする。それまで園田君たちが、自分たちの恋を「罪悪」と思って悩んでいた様子が特に描かれていないので、「罪悪じゃないよ」の一言が、どれほど彼らを救ったのかがよくわからないですよね。このエピソードも一応クライマックスの一つだろうと思うのですが、ちょっと盛り上がりに欠けているように感じます。
うーん、そうかな……。園田くんは、教科書に載ってた『こころ』の、「恋は罪悪ですよ」にマーカー引いたんですよ? なんらかの葛藤や苦悩があったことは、充分に伝わってくる気がします。
Gさんがおっしゃるような、盛り上がりを作るというのは、どういう感じを想定すればいいのかな。園田君たちの関係を主人公以外の人たちも知って、なんらかの波風が立つとかですか?
そんな明確な出来事じゃなくても、園田君たちだけがひそかに傷ついている、というような状況が何かあったらよかったのですが。で、それに気づいた主人公が「罪悪じゃないよ」と声をかけ、二人が救われた、という流れなら、ラストの感動がもっと盛り上がっただろうと思います。
例えば、男同士のカップルについての話が出て、クラスメイトたちが「キモい」と笑い合っていたりとか?
まあでも、そういうことがないのが、この話のテイストにはちょうどいいのではと思います。これといった事件はなくても、園田君たちにしてみれば、「この恋は罪悪かも」とつい思ってしまうということじゃないかな。だって、借り物の教科書に、思わずアンダーラインを引いてしまうくらいなんだから。
気持ちが波立ったわけですよね、その文章を見たときに。それはもしかしたら、「恋は罪悪だ」と思うほどの出来事が、実際に彼らにあったということかもしれない。でもそこは、主人公は知ることはできないんです。モブだから(笑)。そのあたりに歯がゆさというか、もどかしさを感じるというGさんのお気持ちもわかります。
それに、この話において、「男性同士のカップル」という要素に本気で踏み込むなら、園田君たちのバックグラウンドをきちんと描く必要がありますよね。でなければ、主人公が興味本位で彼らの様子をのぞき見しているみたいになってしまう。でも、三十枚でそこまでを描くことは難しいし、仮に描いたとしても、今とは全く違う話になってしまいます。「素敵な男の子たちの様子を、そっと見守り続けた高校生活でした」という現状のストーリーラインを守るためには、逆に無責任に、事情はよく知らないまま「恋は罪悪じゃないよ、きっと」とひと声かけたという、今の距離感が適切だったのではと思います。
そうですね。「モブ女子物」としては、現状くらいの描き方が適度だろうと思います。あまり深刻な話にしては、卒業式の一日で全てを回想するというスタイルが使えなくなる。要素を詰め込みすぎですからね。その場合、時系列通りに書くことになると思いますが、それは作者の書きたいテイストとは違ってくるんじゃないかな。
それに、それほど深くかかわってない人から「恋は罪悪じゃないよ」と言われるからこそ、いいのかもしれない。事情を知っている近しい人が言うと、ただの身内の気遣いでしかないですよね。適度な距離がある人からの言葉だったからこそ、言われた側はじんと胸に沁みたのでしょう。そういう塩梅が、この作品の目指すものとも合っていると思います。
同感です。確かに、高評価できなかった方たちのおっしゃることも分かりますけれど。「いくらなんでも、物語が平坦すぎないか」ということですよね。
でも、そのちっちゃい波風こそがいいんだと思います。
そうなんです。これはもう、そこを味わうものなのです。
たとえて言うなら、川の水面を見ていて、ずっとただ見ていて、たまに魚のうろこがキラッと光る、その一瞬の美しさを目にすることができたときの喜び、みたいな(笑)。だからじーっと、いくらでも待てる。
それです。それこそが「モブ女子」の喜び(笑)。ただ、最後のあたりに、「誰にも知られることはなくとも、ひっそりと愛しあって」というところがありますね。これはかなり引っかかる。べつに「ひっそり」じゃなくていいですよね。男性同士も、「堂々と」愛しあえばいいんです。主人公は「罪悪じゃない」って言ったくせに、これでは矛盾してますよね。ちょっとここは、美しい世界を描こうとした作者の、「美しさ」への希求が激しすぎて、「ひっそり愛しあう二人が素敵」という本音が漏れちゃっているように感じる(笑)。まあ、「堂々と」だと、言い回し的に作品の雰囲気がぶち壊しかもしれませんが、「どうか幸せになって」だけでいいのではと思います。
この主人公、本当にモブ女子なんでしょうか? 私は、一人称で語られる飛塚君の描写に、若干エロスを感じたのですが。だから、もしかしたら主人公は、飛塚君を好きなのかなと。
私はむしろ、主人公は園田君を好きなので、飛塚君に自分を投影しているのかと思いました。
私はこれを、BLとしてではなく読みました。小説として、なかなかレベルの高い作品だと思います。フェティッシュなエロ表現とかも、すごくうまいなと感じました。
男の子の描写は、とてもうまいですよね。よく観察されていると思います。放課後の教室のシーンでの、ふと空気が変わる瞬間なんて、すごくよかった。
読んでてキュンとする場面ですよね。
登場人物たちにとても好感が持てましたね。終盤で、主人公の声を聞き取れなかった亜子ちゃんが顔を寄せてくるシーンとか、私はすごく好きです。
ほっこりしますよね。しかも、園田君が以前、「声が小さくても、聞きたい人は耳を澄ませてくれるよ」と言ってくれていた。だから主人公も「ああほんとだ。確かに私にも、そういう人がいる」と思えたわけです。エピソードがちゃんと有機的に結びついている。うまいなと思うし、いい話だなと思います。嫌な感じが全然なくて、変に「うまく書こう」みたいなところもなくて、素直な感じがすごくよかった。
全く同感です。繊細で、爽やかで、切なくもある。そういう物語にうまくまとめてあげられていたと思います。ただ、今回の構成は、短編だからこそ成立するもの。長編を書く場合は、また別の工夫を考えてほしいですね。
この作者なら、書き続けていけば、筆力は自然についてくると思います。現状でも、文章がとてもいいですからね。
すごくいい感性をお持ちだなと思います。ぜひ書き続けていってほしいですね。