編集B
正直に言って、ちょっとわかりづらいお話でしたね。ボーダー服ばかり着る主人公が、「わたしはしまもように隠れる。しまもようを着た瞬間、わたしは透明になる。」と言っていますが、いったいどういうことなんでしょう?
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第203回
しまもようの中身
二十一七月
正直に言って、ちょっとわかりづらいお話でしたね。ボーダー服ばかり着る主人公が、「わたしはしまもように隠れる。しまもようを着た瞬間、わたしは透明になる。」と言っていますが、いったいどういうことなんでしょう?
「ボーダーを着る」=「無難な服を選ぶ地味な人」、みたいなことかな?
まあ、「ボーダーを着る女性はモテない」みたいな話、ときどき耳にしますからね。そういう意味合いのことを言ってるのかな? 推測ですけど。
そのあたりのことが、私もちょっとわかりにくかったです。そもそも、ボーダーの服って「無難」なんですか?
確かにそういう説もあるけど、みんながみんなそう思ってるわけではないですよね。だから、読者が「ボーダー女子」=「地味で無害ないい人」という認識を持っていなかった場合、この作品は理解しづらいと思う。
僕にもそういう認識はありませんでした。だから、ほんとにこの話はよくわからなかった。作品全体を見ても、わかりづらい描写やエピソードが多いように思います。例えば、中学時代の朋美とのくだりも、すんなりとは理解できなかった。部活帰りに先輩女子たちが、「どっちが誘ったの?」って詰め寄ってきますよね。「胸の大きい朋美は、それを隠そうとするフリをしながら、実は巨乳アピールをしている」みたいなことが書かれているから、僕は最初、朋美が先輩女子の彼氏を横取りでもしたのかと思いました。
実は私も最初そう思いました。でも読み直してみたら、「寄り道を見つかった」とある。校則を破ったことを責められてたんですね。
この場面で、「朋美」が途中から「朋子」になっていますね。書き間違いでしょうか?
そうですね。朋美の名前を途中から変えることに意味は感じられないので、単に書き間違えたのかなと思います。まあ、「確か同じクラスの朋美だったような気がする」とありますから、主人公の記憶は元々あやふやだったのかもしれない。そういえば3枚目にも、「(友だちの)名前はえっちゃんだったけど、えみこだったか、えりこだったか、その辺はよく覚えていない」とありますね。「覚えていないのではなく、当時からどっちが正解か曖昧だったのかもしれない」と。
ただ、「好きな友達と遊ぶときに名前は特に邪魔なものだった」というのは、あまり一般的な感覚ではないように思います。好きな友達や大切な友達がいたら、普通、その子の名前だって大切に思うものじゃないかな。「名前と遊ぶわけじゃないんだから、好きな友達であっても、名前なんかどうでもいい」という感覚は、名前など単なる記号であってその人の本質ではないということなんでしょうけれど、なんというか、ちょっと変わってますよね。
この主人公は、他人にあまり興味がないのかなと思います。でもその割に自分は、「他の人は私をちゃんと見てくれていない」と不満に思っているらしい。
しかもそれが、「私のこと、『真面目ないい子ちゃん』で簡単にくくらないで。どうかちゃんと中身を見て」ってことなのか、「私の本性も知らないで『いい人』って思ってる。どいつもこいつもバカ」ってことなのか、そのあたりもよくわからない。
うーん、どちらかというと、後者の印象が強いかな。主人公の語り口は、かなり毒々しいですから。本当の主人公は、けっこうどす黒い性格をしているのに、ボーダーを着ているだけで、「性格いいね」って言われるわけですよね。「服一枚で騙されてるおまえら、ほんとにバカだよな」みたいな空気は、全編にわたって語りの中に充満していると思います。
でも、ラスト近くで大森さんが「生きた目のままわたしを睨ん」だら、「わたし」は「嬉しかった」ともあります。これは、「やっと本気で、私の中身を見ようとしてくれている」と感じたからですよね。たとえ「要注意人物」のようなネガティブな方向であってもいいから、「とにかくわたしをしっかりと見てほしい」ということなんだろうと思います。実際、「大森さんの中に入りたかった。/中身同士で関わりたい人だった」とあります。主人公は、上辺だけではない、内面がぶつかり合うような本気のコミュニケーションを望んでいるのかなと思います。
同じくラスト近くの、「竹井の目の中でわたしにどんどん奥行きが広がっていくのが分かった」というところも、喜ばしく思っている感じですよね。
はい。ただ、そうやって自分の毒気をさらして、相手が自分に注目し始めると、「ちょっと甘やかし過ぎたかもしれない」なんてことも思っている。これは「ヒントを与え過ぎた」ということでしょうか。なんだか、「わたしの内面は、あなたたちの方からがんばって探し求めるべきなのに」みたいな感じです。これは、本気で他者と触れ合いたいと思っている人の考え方ではないですよね。私はどうにも、主人公の気持ちや考え方がうまく理解できなかった。
そうですね。主人公はなぜだか、ちょっと上から目線なんですよね。自分の本性を見抜けない周囲をバカにしつつ、同時に、「本当の私を誰一人見ようとしないなんて、許しがたい」と思っているようでもある。でもそれは、本人がわざと隠しているわけですから、みんな気づけなくて当然なのではないか、と読みながらつい思ってしまいました。
主人公の語りには、なんとなく恨みがましいものが漂っている気がします。だからこの話は、「誰も本当の私を知ろうとしてくれなかった」ことに対する復讐みたいなものなのかなとも思ったのですが。
でもそれなら、ボーダーを着るのをやめればいいだけなのでは? 主人公はわざわざボーダーを選んで着て、自分を隠しているんですよね。
「人の目にわたしが見えなくなっている感覚がたまらなくて、もうほとんどこれは中毒だ」とありますから、自分から望んで透明な存在になっているんだと思います。
8枚目でも、「ボーダー女子に悪い子はいない」なんて思っている、見る目のない竹井のことを、8行にわたって内心で笑ってますよね。心底バカにしている。ここは正直、読んでてちょっと引いてしまった(笑)。
「この主人公の内面、かなりヤバいのでは?」って思っちゃいますよね(笑)。そして主人公は、自分から進んで周囲を欺いているというのに、「誰もわたしの内面を見てくれない」と不満を抱いてもいる。どうにも矛盾していると思います。主人公がいったい何を求めているのか、よくわからない。一人称小説の割に、主人公の気持ちが読者にあまり伝わってこないです。
ラストの部分もよくわからなかった。物語があまり、うまく締めくくられていないように思います。「今後はこうするぞ」みたいなことが語られているようなんだけど、その内容が今ひとつ汲み取りきれない。
思うに、「わたしは今まで通りボーダーを着続けるけど、『ボーダー女子=人畜無害』という認識をガンガンぶち壊していくことに決めたぞ」と警告しているのではないでしょうか。「今後は、しまもようを着ている私に気をつけろ」と。
要するに、「なめんなよ」ってことですかね(笑)。「これからは遠慮なく毒を出していくぞ、わたしは危険だぞ」って。
でも主人公は、一人称の語りにおいて、最初からけっこう毒を出してますよね。だから、一見反旗を翻したような展開やラストも、読者にとってあまり驚きはない。
本性を隠すのをやめることにした主人公は、どうして着る服を変えようとしないのかな? この話の流れなら、「もうボーダーは着ない」となるのが自然ではないでしょうか。例えばラストで、いきなり黒のチューブトップ姿で出勤してきて、毒のある発言をしてみんなの度肝を抜くとか。そういう展開なら、まだしも一応、話のオチがついたのではと思うのですが。
たしかに、そのほうがストーリーラインはより明確になったかもと思います。
主人公の描き方も、もう少し考えた方がいいように思います。現状では、もう最初から毒のある内面をさらしてますよね。それも一人称の独白だから、ストレートにどす黒い。これでは、読者の気持ちが主人公に近づきにくいです。主人公の抱えている思いは、実は誰しもが持っているものだと思うのですが、今の描き方では「主人公は嫌な人」という印象が強くなりすぎて、せっかくの要素やテーマが目立たなくなってしまっている。描き方のせいで、すごく損をしていると思います。
同感です。主人公が冒頭からあまりにとげとげしいので、そこにばかり目が行くし、読者もつい敬遠してしまうんですよね。
そしてまた逆に、毒々しい印象が強い割に、実際に主人公のやっていることは大して黒くない。今まで言わずにいた本音を、ぽろっと口にする程度ですよね。大森さんたちも、その程度のことでそこまでビビる必要ないと思う(笑)。そもそもいくら同僚だからって、主人公の内面を見抜けなかったことで、ここまで悪意を向けられる筋合いはないわけですし。もちろん、嫌な主人公を設定すること自体は構わないのですが、今の描き方ではバランスが悪いように思います。主人公一人がひたすら性格が悪いように見える。周囲の人間にももう少し嫌な面を持たせた方が、極端さが減って、読者が入り込みやすい話になったのではないでしょうか。
あるいは逆に、主人公をもっと徹底的に嫌な人間にするとかね。裏でものすごくあくどいことをやっているとか。
うん、そういうやり方もアリだと思う。とにかく現状では、すべてが中途半端になっている気がする。
見せ方の問題は大きいですよね。どす黒いことを、よりどす黒く見せるためには、やっぱり戦略がいると思います。本作では、主人公が本心を外に出すようになったきっかけのところが、うまく描けていないというか、ちょっと弱いような気がする。主人公がなぜ、今日、この瞬間から本心を出すことにしたのかが、わかりにくいですよね。最初から一人称の毒吐きが割と続くので、主人公の気持ちやその変化というものを、読者が摑みにくいです。どうしても、「主人公は元々性格の悪い人なんだろうな」という印象になってしまって、作品にとって損な気がします。
それだと、隠し続けてきた内面をついに迸らせるという展開が、効果を上げませんよね。
はい。主人公は、周囲の無神経で鈍感な人たちへの不満みたいなものを、ずっと頑張って抑えつけてきたんだけど、それが心の中のコップにどんどん溜まって満杯になり、表面張力で盛り上がるところまでいったものが、ついにこの日、どっと溢れ出してしまった。その、気持ちがついに決壊する瞬間というものを、もう少ししっかりとメリハリをつけて描いたほうがいいと思います。何かしらのエピソードがあって彼女の心がついに決壊したのだ、というのをきっちり見せたほうが、効果的だし、読者もわかりやすいですよね。
前半の主人公の語りに滲む悪意を、もう少し抑制してほしい。そして、もっと「我慢している感じ」を出してほしかったです。それなら、「必死で耐えてきたんだけど、ついに……!」という展開がくっきりする。
主人公の気持ちが爆発する瞬間、ですよね。爆発して、怒涛のようにどす黒さが溢れる瞬間が訪れるほうが、この物語にとっていいと思う。読者の共感を呼びやすいですからね。あるいは、共感を求めていない作品なのだとしても、創作のテクニックとして、決壊点や爆発点みたいなものが明確にあったほうが、それまでとの落差を強調でき、より鮮烈にどす黒さを印象づけられると思います。
現状では最初から、周囲の人たちを心の中であざ笑ってますからね。「しまもように騙されている、愚かな人たちめ」って。で、それは最後までずっと続く。
主人公の変化が見えにくいですよね。そのため、ちょっとメリハリに欠ける印象がある。そのせいで、おそらく作者が一番言いたかったのであろう、「人を見た目で判断するな」みたいなテーマが浮かびあがりにくくなってしまっている。とてももったいないなと思います。
この作品に限らず、投稿作全体に言えることなのですが、日常系の話を書くときに、メリハリをつけられていない作品が最近多いかなという印象があります。「日常系なんだから、さりげない感じにしよう」みたいな。「あからさますぎないように書こう」と思うあまり、必要な伏線だったり説明だったりをも省いてしまっている作品が目につきます。「派手なことを起こしたり、分かりやすい描き方をしたりしたら、あまりにベタすぎるのでは?」と思っているのかもしれないけど、ほんとは日常系の話こそ、メリハリをつけることが重要です。読者にわかってもらうためには、書き手が思うよりずっと明確に描くくらいでないと、なかなか伝わるものではない。書き手と読み手の感覚にはけっこうズレがありますから、そこは注意が必要です。
そういう意味でも、決壊点を描くことはやっぱり重要かもしれませんね。短編ならなおさら、その決壊点の前と後とで、世界がまったく反転する感じを出すのが構成上の常道だし、効果的だと思う。あるいは、決壊点の後も同じ日常が淡々と続いていくんだけど、水面下で静かに何かが変わり続けているぞという不穏さや緊迫感を見せるとかね。
あと、ついさりげない書き方をしてしまうのは、ネタバレを恐れているところも強いんだろうなと思います。読者に手の内を悟られたくないんでしょうね。でも、バレたっていいんです。そこに至る過程を楽しめる作品になっていればいいんだから。
もう創作物全般において、ネタバレとか気にしすぎるの、やめたほうがいいと思います。たとえネタバレしていたとしても、「それでも読み進めたい」と思ってもらえる作品になっていることのほうが肝心ではないでしょうか。重要なのはプロットではなく、小説をどう味わってもらうかですから。描写だったり、文章の洗練や奥深さだったり、登場人物の魅力だったり、そういうもののほうがずっと大事です。「読者にバレないようにしよう」というのは、単に作者の都合でしかないから、小説の根本的な魅力にはつながらないのではないかと思うのです。
でも、この作品に関しては、お題の「しまもよう」以外のテーマがちゃんとあるのは良かったと思う。主人公の悪意の強さには、読んでてちょっとひるみますが、彼女に切実な思いがあることはすごく伝わってきました。心の叫びが聞こえてくる気がする。
主人公はかなり生きづらさを抱えてますよね。マイナス感情を内側にたくさん溜め込みながら生きている。こういう人、現実にも多そうですよね。この小説を拝読して、「みんな、我慢し過ぎなんだな。もう少し、言いたいことを言える社会になればいいのに」と切実に感じることができました。
女性は特に、空気を読んで、言いたいことを呑み込んでいる人が多いんじゃないかと思います。
「誰も本当の私に気づいてくれなくて辛い」、みたいなのは、少女マンガの普遍的テーマでもありますね。ただまあ、「本当の私」というのは幻想ではないかとも思いますけどね。
「辛い」というテーマをあまり正面から書かないのも、一つの手ではないでしょうか。例えばこの話なら、主人公は自分の性格の悪さを自覚していて、それを隠すためにボーダー服を着ているとか。それさえ着ていれば「いい人」でいられるのに、ある朝起きたら、うっかり全部洗濯しちゃっていて着る服がない。「どうしよう、本性がバレちゃう。毒舌キャラになっちゃう……!」って思いながら怯えて一日過ごすとか。
私、その話、読みたいです(笑)。
で、散々な目に遭った主人公は、思いきって、ボーダー柄の制服の会社へ転職する。なのに今度はそこで、制服改定の話が持ち上がって……。
表面上はそういうユーモアの方向に振りつつ、主人公の憤りや主張を作品の中にさりげなく、かつ、きちんと忍び込ませておくというのも、いい手ですね。
最後は囚人になって、しましまの囚人服を着て、やっと心の安寧を得るんです(笑)。
ほんとにそれ読みたい(笑)。お題の「しまもよう」を存分に活かしてますし。ただこの作品も、「しまもよう」というテーマに、すごくしっかり向き合ってはいますよね。単に「服の柄」という扱い方ではなかったところは、私は評価したいと思っています。
なるほど、そうですね。ボーダーの服をただのアイテムとして使うのではなく、その服が持つ社会的な意味などをちゃんと考えたうえで、小説に取り入れておられますものね。
ただその、「ボーダー女子=地味」という前提は、読者にあまねく共有されるものではない。そういうあたりへの想像力がやや足りなかったことは残念でした。
でも、いい描写もありましたよね。小学生の主人公が、黒いシフォンのワンピースがお気に入りだとか。で、誕生日会に着て行ったら、友だちに「男ったらし」と言われるとか。小さな子って、大人がドキッとするような言葉を、ふいに使ったりしますよね。しかもその後、クラスの女子の間では、黒いワンピースが流行ったんです。要するに、うらやましくて悪口を言ったんですよね。こういうあたりの生々しい心の機微の描き方は、とてもうまかったと思います。
私は、「ソフトクリームを歌番組の司会者みたいに揃って持って」というところが、すごく好き(笑)。「ほんとだー!」って思いました。うまいですよね。
お題に真摯に取り組んでいる姿勢がうかがえるのも好印象でした。書き手のエネルギーが込められた作品でしたね。