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選評付き 短編小説新人賞 選評

『ブラン・乳・デイ』

吉沢万里

  • 編集A

    総得点は高いですね。同点首位です。ただ、評価は高い人と低い人と、両方います。

  • 編集H

    私は高評価しました。新米ママである主人公が、あれこれ悩んだり迷ったりしながら、初めての育児にぎこちなく取り組んでいる姿がよく描けていたと思います。子育てに正解なんてあるわけないから、何もかも手探りで、不安で心許無いんだけど、それでも次第に「子供を愛している自分」に気づいて、気持ちに余裕を取り戻していく。おむつを替えたり、抱いてあやしたり、そういう小さな行為の一つひとつが愛であり、そういうことの繰り返しで過ぎる一日を絶え間なく積み重ねていくことによって、親は親になっていくんだなということが、読んで心に沁み入ってきました。
    こういう話は好きずきが分かれるだろうし、手垢のついた題材をストレートに描いていることを低評価につなげる読者もいるだろうけど、私は作者の書きたいことがすごく心に響いてきたので、とてもいい作品だなと思いました。

  • 編集E

    私も、よかったと思います。私は「母乳・ミルク問題」で悩んだこともないし、主人公の苦悩に関して、経験者として共感する・しないという立場にそもそもいないんだけど、それでも主人公の気持ちの変遷にすごく寄り添って読むことができました。同様の体験をしたことがない読者に共感させる力があるのは、すごいことだなと思います。

  • 編集D

    文章はうまいし、話自体は理解できるんだけど、僕はちょっと入り込んで読むことができなかった。それは、性別的に母親になれないからとか、そういう理由ではないです。この話に出てくる「母乳・ミルク問題」とか「母娘問題」みたいなことは、ニュースやネットの書き込みなどで、日々目にするものですよね。そこでも、「私はこう思う」「私はこうやって乗り越えました」「私は今でも納得できずに悶々としている」などと色んな意見が飛び交っている。僕はこの作品は、そういうものと大差ないレベルの話のような気がします。剥き出しのテーマに自分の見解を付けただけのもので、「小説作品」というふうには、あまり感じられなかった。

  • 編集E

    確かに、描かれているのは日頃からよく話題になっている問題で、そこに鋭く切り込んでいっているわけでもなければ、これといった新味もない。ただ、自分が母親になって初めてそういう問題に直面した主人公が、ぐるぐる悩みながらも次第に自分の気持ちに折り合いをつけていくまでの過程を、ごく自然な流れで書けているのはよかったと思います。主人公の気持ちの変遷に読者が無理なくついて行けるし、ラストも、「ああ、主人公はそういう考えに至ることで納得したのね」ということが、読者にわかりやすく示されている。心理描写に過不足がないし、深刻になりすぎてもいない。ちょっと笑わせてもくれるような、気張りすぎていない文章で、こちらも肩の力を抜いて楽に読める。話のオチはややご都合的というか、綺麗にまとまり過ぎかなという気はしますが、文章や話の運び方はうまいし、作品の雰囲気にとても好感を持てました。

  • 編集F

    私は、読んでいてかなりざわざわしましたね。このテーマはあまりに考えが人それぞれ過ぎて、多くの共感を得るのは難しいと思います。例えば「おっぱい問題」一つとっても、出る人は「出るからこそ大変なことって、いっぱいあるのよ。そういうこと知ってるの?」って言いたくなるでしょうし、逆に、「なんて贅沢なことを! 私はできるなら母乳をあげたいけど、どんなに頑張っても出ないのよ。この辛さ分かる?」って思う人もいる。もう、母親の数だけ苦悩の種類があると言っても過言ではないと思います。だから、母親経験者がこの作品を読んだら「何か違う」と感じる人が多いだろうし、経験者ではない読者が読んだ場合は、問題の切実さがあまり迫ってこないんじゃないかな。
    作品の結論としては、「みんなそれぞれでいいんじゃない?」という感じになっているので、最大限の共感を得られるように頑張って書いているなとは思うのですが、ではこの話が小説としてすごく面白かったかといえば、そこはかなり疑問だと思う。エンターテインメントにはなり得ていないし、さりとて、真剣に問題提起して題材に斬り込んでいっているかというとそうでもない。現状では、誰かの体験話という域を出ていないように思います。

  • 編集D

    同感です。小説は、必ずしもエンターテインメントにしなければならないわけではないとは思う。ただ、何をどう表現しようとしているのかという基本スタンスは決めておいたほうがいいと思います。仮にも「作品」なのですから、「こんなことがありました」という話をなんとなく語るのではなく、書きたいものは何かを常に念頭に置き、それを効果的に読者に伝えるにはどうすればいいかという観点から、展開や演出を考えていってほしいです。

  • 編集A

    というのも、この主人公は作者を投影した人物のように感じられる部分が強いんですよね。本来、作品と作者は切り離して考えるべきではあるのですが、ごめんなさい、どうしても主人公と作者の姿がダブって見えてしまうところがある。

  • 編集B

    主人公と作者との間に、実際にどれだけの共通点があるのかはわかりません。実体験なのかもしれないし、「もし自分がそういう立場だったら」という想像なのかもしれないし、あるいはそれらが混ざった話なのかもしれない。なんであれ本作は、「現代に生きる、とある女性が感じたことを、そのまま等身大で書いた話」であるという印象が強い。この作品自体はそれほど悪い出来とは思わないですけど、それは書き手が自身を託している主人公だからなのでは? という疑問が湧いてしまうのも確かです。だから、「創作」ではないように感じられてしまう。というのも、主人公以外のキャラクターが、あまり話に絡んでこないですよね。

  • 編集D

    主人公の夫は、とても理解があって、ひたすら優しくて、非常に理想的な旦那様。それだけに、存在感が薄い。育児問題が主題の話にしては、大して重要な存在として登場してこないのが、不自然な気がする。子育てに奮闘中の世の奥様たちは、夫に対してもっといろいろ不満を抱えているものではないかと思うのですが、主人公の語りにはそういうものは窺えませんね。

  • 編集A

    主人公のお母さんも何度か登場してきます。中年になっても夫とラブラブで、女子力も高い完璧な良妻賢母。優しくて愛情深いけど、何十年経っても娘のことをあまり理解してはいない感じ。せっかくちょっと引っかかりのあるキャラクターなのに、それが作中であまり活かされていない。

  • 編集F

    主人公は、多少イラッとしながらも、母親を受け入れてますものね。「お母さんに悪気はないことは分かっているから」と。お母さんのほうも、自分と娘の考えが食い違っているとき、気を遣いながら控えめにそっと意見する程度。母と娘の間に、大きな諍いは起こらない。むしろ、主人公が困ったときにはいつでも快く手を貸してくれる、優しいありがたいお母さんです。で、赤ちゃんはと言えば、泣き喚いて主人公をてこずらせたりすることも特になく、おとなしくしているか、機嫌よく笑っているか。はっきり言って、この状況はかなり恵まれていると思う。こんな余裕のある育児生活を送っている人は、そうはいないんじゃないかな。

  • 編集A

    人間関係においてほとんど問題が生じていないというか、そもそも、人間関係そのものがあまりない。唯一、話に関わってくる人物はSNSで知り合った「オットー」さんですが、このキャラクターも正直、この話に必要だったとは思えない。主人公が「おっぱい問題」を乗り越えるきっかけにするなら、他の何かであっても成り立ちますよね。結果的に主人公が、「私だって娘を愛している。だからOKなんだ」って思えればいいのですから。

  • 編集F

    「オットー」は、取り替えのきかない登場人物というほどでもないんですよね。所詮SNSで知り合った、顔も知らないどこかの誰かでしかないですから。言ってることも、「娘さんにお歌を歌ってあげては?」みたいなことなので、さして印象の強い人物でもない。奥さんが失踪したという事情にはちょっと「あら」とは思いますが、彼は妻の悪口を言うでもなく、シングルファザーの大変さを愚痴るでもなく、愛情深いいいお父さんをやっている。なんだか、作品世界の中を見渡しても、大きな問題が何もない。

  • 編集A

    あるいは、あるのかもしれないけど、読者に伝わるように書けてはいないですね。オットーさんに関して、「淡々としたメッセージの合間に、彼の慟哭を確かに聞いた」と言われても、読者にはその慟哭は届いていないし、母親に対してだって本当はもっとくすぶった思いがあるのかもしれないけど、「悪気はないと理解しているので、怒る気にもならない」と言われたら、読者は「そうなのか」と思うしかない。

  • 編集F

    初めての育児で疲弊しているはずでしょうし、「おっぱい問題」以外にもモヤモヤを抱えていないわけがないと思うのですが、主人公はそういうものを読者にも見せない。周囲の人間と決定的にぶつかったりもしない。非常に優等生的な人物だなと思います。そこが引っかかるんです。もっと本音を出してほしい。正直に不満を語って、醜い一面も晒してほしい。少なくとも読者には。これではきれいごとすぎると思います。

  • 編集C

    私はむしろ、そういうざわざわした感じがないのが、この作品のいいところだなと思いました。こういう話って大概、ぎすぎすした展開になりますよね。夫は思いやりがなくて非協力的で、親世代は古い価値観を押し付けてきて、赤ちゃんはギャンギャン泣き喚いて、主人公は不平不満で爆発しそう……! みたいな話になりがちだけど、この作品は違う。主人公だって、内面では心が波立ってはいるんだけど、無闇に軋轢は起こさない。自分の辛さを周囲のせいにしたりしないというところが、とても爽やかで読み心地が良かったです。
    主人公は現状を悪意的に解釈したりしないで、周囲の人の気遣いや優しさにちゃんと気づいている。理解力と自制心のある人です。でも、やっぱり全てを納得できるわけもなく、モヤモヤは抱えている。そのモヤモヤのはけ口がSNSだったのかなと。見知らぬ相手にだったら、ちょっと本音を吐き出させてもらってもいいかなと思えた。そこで「オットー」さんと出会い、他人だからこそ本音を明かし合えて救われた。私はこの話の流れはとても自然だなと思います。
    私は「母乳・ミルク問題」の経験者ではないですけど、この主人公にはとても共感できましたし、いい人だなと思います。明るいラストになって本当に良かったし、彼女の人生がこの先も明るいものであるといいなと思いながら読み終わることができました。

  • 編集F

    正直に言いますが、私は逆ですね。私はこの主人公に共感できなかったし、好感を持てるとも言い難いです。あまりにいい子ちゃんで、感情移入できる気がしない。例えばこの主人公が私の知人で、あるとき自分のモヤモヤを話してくれたとしますね。でも、すぐさま「まあでも、旦那は協力的だし、お母さんは私のためを思って言ってくれてることは分かるから、感謝してるんだけどね」なんて取り繕われたら、「あ、そう。まあ、あなたがいいならいいけど」、みたいな感じになってしまうと思う。こちらが感じたり考えたりする前に、話し手がさっさと自己解決しているので、距離が縮まらない。それ以上親しくなれないです。この作品に関しても、同様のものを感じます。大きな問題が起こらず、多少起きてもメッセージのやり取り程度で解決してしまうので、読者の気持ちが入り込みにくい。その上この主人公は、愛情ある夫と、優しいお母さんと、可愛い赤ちゃんに囲まれ、家事育児も賢くこなし、おそらくは仕事でも有能で、産後の職場復帰もスムーズにできている様子。非常に恵まれているし、隙がないですよね。その点においても、読者の共感度は下がってしまうと思う。
    個人的な好みは脇に置いたとしても、主人公を物分かりのいい人物にしてしまうのは、あまりいいやり方ではないんじゃないかな。小説として、内容が深まっていかないと思いますので。

  • 編集D

    やっぱり、生きていく上で感じたちょっとした引っ掛かりを、流したり見て見ぬ振りしたりしないであえて掬い上げ、正面から向き合って掘り下げていくのが小説というものだと思います。そういう意味で、この作品はまだ小説には成り得ていないと感じます。この主人公には、自分の中に生まれたモヤモヤをもっと見つめてほしかった。SNSのやり取りで気持ちに収まりがつくというのも、安易な解決かなと思います。現状ではなんだか、生身の人間との深い関わりをシャットアウトしているように感じる。語り口が上手いので、するすると最後まで読めてしまうのですが、読み終えた後で、「……で?」と思えてしまう。ちょっと読み応えに欠けますよね。それは、作品に投入したはずの問題を、あっさりと流してしまっているからかなと思います。主人公にはもっと、実生活の中でもがいてほしかった。

  • 編集B

    問題が起きたとき、おおごとにしないでやり過ごす主人公を、意図的に描くのであればいいんです。「そういうキャラクターの話」ということなら、それはそれで「創作」には成り得ている。ただこの作品は、「そういう主人公を描いている」という自覚のもとに書かれたものではないと思います。そういうあたりも、「主人公=作者」なのかなと感じるゆえんですね。もう少し登場人物との間に距離を置いてほしい。作品全体を俯瞰で見る目を養ってほしいかなと思います。

  • 編集A

    作為があまり感じられないのは、確かに気になりました。いろいろ考えて構成を練り込んだ、という作品ではないですよね。主人公が感じたことを、時系列順にただ書いている。そういう書き方が悪いわけではないですが、そのせいで「単なる体験談?」という印象になっているところはあると思います。
    それに、もう少し生っぽい手ざわりのある人物を話に登場させてほしい。例えば「オットー」さんは、この話において、ちょっと浮いているように見えます。終盤で「娘さんのこと、愛してるんですね」と言わせるために出したキャラみたいに思えてしまうんです。固有のキャラクターではなく、主人公を肯定する「装置」のように感じられるのが非常に気になるところです。

  • 編集F

    旦那さんもお母さんも、割とただのいい人で、存在感が薄いですよね。描き方がちょっと表層的に感じます。

  • 編集E

    枚数的に、あまり人物を深く描写できなかったのではないでしょうか?

  • 編集A

    でも、24枚とちょっとしか書いてないですよね。あと5、6枚は余裕がある。人物もテーマももっと深められたはずと思うと、もったいないことをしているなと感じます。あと、主人公が「仕事が好きで男勝りの、可愛げのない女」であるという設定も、ステレオタイプだと感じました。「仕事が好きな女は、男勝りで母性がない」というのは、かなり紋切り型な描き方だと思う。

  • 編集F

    主人公が「私は娘を愛している」というのも、今ひとつ伝わってこなかった気がする。娘さんがいい子であまり手がかからず、描写が薄いせいかもしれません。

  • 編集E

    子供に対する愛情は、私は感じましたけどね。むしろ、直接的な表現をしないで、少ないワードで描写できているのは、とてもうまいなと思ったのですが。

  • 編集H

    私もです。この主人公は、自分の感情をくどくど語ったりしないだけで、ちゃんと娘さんを愛していると思います。最初はどう接していいかわからず、触り方もぎこちなかったのが、おずおずと関わっていくうちに愛しさが増してくる感じとか、むしろすごくリアルだなと思います。
    ちょっと意外なほど批判的な意見が多かった気がしますが、多くの母親が直面するデリケートな問題を扱っているだけに、人によって考え方感じ方は大きく違うでしょうし、みんなが納得できる作品にすることはそもそも難しかっただろうと思います。
    「問題の掘り下げようが足らない」とか「描き方が甘い」とか、けなそうと思えばいくらでもけなすことはできると思う。ただ主人公は、自分なりに迷い、悩み、その気持ちを発信したりもしていろいろ足掻いて、その上で自分なりの答えにたどり着いています。その主人公なりの答えと、そこに至るまでの過程は、そうまで全否定されなければならないものだとは私には思えない。これはまだ小説になりきっていないという意見もありましたが、一人の母親が悶々と悩んだ上で自分なりに納得のいく結論にまでたどり着いたというのは、それはそれで一つのドラマに成り得ているのではないかと思います。
    私はこの主人公に共感できたし、悩み抜いた末に迷いを払拭できた主人公に対して、素直に良かったねと思えました。明るく爽やかなラストにとても好感を持てましたし、これからも当たり前に地道に家族を大切にしていくであろう主人公の在りように、胸がじんとした。
    高得点の割にあまり高評価が得られなかったのは残念な結果でしたが、 私は、共感する読者も確かにいたのだということは作者に伝えたいです。

  • 編集B

    今回のテーマが微妙過ぎたのかな。別の題材で書いたらどんなふうな作品に仕上がるのか、ぜひ拝読したいですね。

  • 編集D

    文章は素直で嫌味がないし、ユーモア感覚もあるので、うまく題材とハマれば、いいものが書けるのではないかと思います。文章や語り口という点では、僕は好感が持てるなと思っています。

  • 編集E

    この作者のお仕事小説とか、読んでみたいですね。適度にさっぱりとした文体と、周囲をフラットに見ることのできる主人公の在りようとかが、程よくマッチするかもと思うのですが。

  • 編集C

    いいですね。作者の長所が活きるかもしれない。葛藤を盛り込みながらも、爽やかで明るい話にまとめている作風は、私はやっぱり魅力的だと思います。

  • 編集A

    わかります。今作にいろいろ引っかかるものを感じた人がいたのも、基本的にレベルが高く、この作者が「書ける」人だからなんですよね。必ずしも先ほど出た提案通りにする必要はないですが、とにかくもう一作、何か読ませてほしいですね。期待して待っています。

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