編集E
カップル成立直前の大学生男女が、二人だけに通じる言葉遊びをして、ひたすらイチャイチャしている話です。もう本当にそれだけの話(笑)。両想いであることにまだ確信がない状態とはいえ、二人のバカップルぶりは、読者から見たら非常に「イタタタタ……」という感じではあるのですが、微笑ましくはありましたね。
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第212回
『君と、碧梧桐』
小舟祐輔
カップル成立直前の大学生男女が、二人だけに通じる言葉遊びをして、ひたすらイチャイチャしている話です。もう本当にそれだけの話(笑)。両想いであることにまだ確信がない状態とはいえ、二人のバカップルぶりは、読者から見たら非常に「イタタタタ……」という感じではあるのですが、微笑ましくはありましたね。
「ひたすらイチャイチャしている」と感じる方もいるのかもしれませんが(笑)、私は恋愛小説をそこまで好んで読むタイプではないですが、本作は抵抗感なく、むしろ好感を持って読めました。「僕」がハルに向ける好意の形が短絡的に性的でないのも良いですし、好きな人と自分を比べて思い悩んでしまったりといった等身大の感情を、肩の力の抜けた文章でうまく書けていると思います。二人を結ぶアイテムに「碧梧桐(へきごとう)」を持ってきているのもよかった。目のつけどころがとてもいいと思う。二人のやりとりにも、そのアイテムがうまく活かされています。全体に、今という時代の空気感をうまく作品内に持ち込んでいて、そういう感度の高さみたいなものは高評価できるなと思いました。私はイチ推しにしています。
僕はその「碧梧桐」が何よりも引っかかりましたね。「碧梧桐」そのものではなく、その登場のさせ方や扱い方にです。何の説明もなく、いきなり「碧梧桐」と出されても、それが何かをわかる読者は少ないと思う。あまり有名とは言えないですよね。少なくとも僕はよく知らなかった。「どこかで聞いたな……」という程度で、予備知識はほぼなかったです。
私もです。だから最初のうちは、何を書いている話なのかよく分かりませんでした。読み終えてみれば瑞々しい青春もので、私もイチ推しにしてはいるのですが、「碧梧桐」の出し方に関してだけは改善したほうがいいと思います。
私も「碧梧桐」のことはまったく知らなかったので、確かに最初は、「この二人、何の話をしてるんだろう?」と思っていました。でも、2枚目に「河東碧梧桐の句集を見ていた」とありましたので、「ああ、たぶん俳人でそういう人がいるのね」と単純に推測しました。二人は大学生のようだし、文学系の講義か何かでその俳人に関する課題が出て、それを一緒にやるうちに二人の気持ちが繋がっていき……みたいな話かなと見当をつけて読んだので、そんなに疑問には感じなかったですね。
ただ、2枚目のその箇所にたどりつくまでが、読んでいてちょっと辛いです。わけがわからないから。
それに「碧梧桐の句集」の箇所までたどり着いても、碧梧桐をよく知らない読者にとっては、やっぱりよくわからないですよね。いつ頃の俳人なのか、どんな句が有名なのか、そういったことを何も教えてもらえないまま、「『碧梧桐チャレンジ』を始める」とか言われても意味が分からない。
私も碧梧桐のことはよく知らないのですが、この作品を読む限りでは、どうやら自由律俳句みたいな句を詠む人なのかなと思います。それも、日常生活を題材にした、一見何でもないような俳句。でも実はその中に何か深いものがある、といったような。
そういうことも、読者がなんとなく推測することでしかないですよね。「よくわからないけど、たぶんこういうことなのかな?」と。しかも、だいぶ読み進んでようやく、そういう推論に達する。結局かなり長い間、読者は「よくわからない」まま読むしかない。そもそも、冒頭の二人のメッセージのやりとり、ここにすでに「碧梧桐」は絡んでいるわけですよね。でもそれは、読者にはわからない。
後で読み返してみて初めて、この冒頭シーンは、すでに「碧梧桐チャレンジ」をしている最中なのだなとわかるわけですよね。
はい。ただ、読者がみんな読み返してくれるわけではないです。もちろん小説の中には、二度読んで初めて真相がわかる「仕掛け」が施されたものもありますが、この作品はそういうタイプの小説ではないですよね。現状ではこの冒頭シーンは、「よくわからない」まま読者に読み流されて終わる可能性が高い。もしも二人が送り合っていたメッセージの文面が、「五・七・五」の定型俳句だったら、初読であっても「俳句だな」ってすぐにわかってもらえたのでしょうけど……
自由律俳句であることが、仇(あだ)になってますね。
この冒頭シーンの文章は、ほんとによくわからなかった。「顔をしかめておく」とかも、私は最初、「……何かの打ち間違いかな?」と思ったりしてました(笑)。「『今は安らかに』と次に送る」というところも、なんのことかわからなくて、ひたすら「???」と首をひねっていました。
二人が送り合っている文面の内容も、はっきり言って、語るほどの価値があるようには思えなかった。最初はこれが俳句だということも知らずに読むわけだし、普通のメールのやりとりにしてはイマイチ噛み合ってない感じだし、その割に、二人の間だけに通じる秘密の暗号を含んでいるみたいな空気感もある。ひたすら疑問を感じるばかりの場面描写なのですが、それが一枚半も続きます。作品世界に全く入れなくて、読者としてストレスを感じました。この冒頭シーンは、碧梧桐という俳人と、彼の句が日常の中の「気づき」を重要視していることを知ったうえで読まなければ、理解できない。
私は、冒頭の場面が謎だったからこそ引き込まれましたけどね。電車内に「ベ――ン」が流れるシーンで、一気にほだされてというかクスッとさせられて、続きを読むのが楽しくなりました。
私もです。「どういうことなんだろう?」と興味を持ちました。
でも、興味を持てなかった読者は、冒頭場面で挫折するかもしれない。それはすごくもったいないですよね。
この作品において、「碧梧桐」はただの装置でしかないように感じます。ならいっそ、「太宰治」や「国木田独歩」でもよかったのでは? そのほうが読者にはわかりやすかったと思う。
うーん、でも「碧梧桐」だからこそ、この作品にはきらめき感があるんじゃないかな。ここに太宰を持ってきたら、ありきたりすぎると思う。
同感です。「碧梧桐」という、ちょっとサブカルっぽい要素を入れてきたことが、この作品のセンスの良さだと思う。有名な作家とかではなく、少しマイナーな人物を持ってきているからこそ、「二人だけの秘密」で繋がっているという素敵感が出ているんです。
でも、読者に話が理解してもらえないのであれば、どんなにセンスが良くても意味がない。「碧梧桐」は、この作品において単なる要素ではないです。話の根幹部分に密接に絡んでいる。最低限の知識を読者にわかっておいてもらうことは絶対に必要です。でなければ、「わかる人にしかわからない」話になってしまう。
作品内で、二人は何度も、目に映る正直どうでもいいようなことをあれこれ文章化してますよね。それが「自由律俳句」であり、「碧梧桐ぶるという遊び」であるということは、もう少しちゃんと説明してもらわないと読者には伝わらない。作中の二人だけが分かっていて、読者は置いてきぼりになってしまっています。
やっぱり、なんとかして「碧梧桐」関連の説明を盛り込むべきでしたね。
枚数的には余裕がありますから、そういう意味でも十分可能だと思います。
例えば、かっこ悪いベタなやり方ではあるんだけど、冒頭に大学での講義のシーンを入れるとかね。「河東碧梧桐はこんな句を詠んだ」「その句は、こんなふうに解釈できる」「彼は、日常生活の中での『気づき』というものを俳句の中に持ち込むというスタイルを打ち立て……」みたいに教授に語らせるとか。
必ず冒頭で説明すべきということではないし、一ヶ所で一気に説明し尽くす必要もない。途中途中で少しずつ説明を混ぜるというやり方でもいいんです。一人称小説なのですから、地の文にさりげない説明を加えるのは、そんなに難しいことではないと思う。
地の文も、もう少しシンプルにしたほうがいいと思います。一人称だからというのはあるでしょうけど、主人公の台詞と地の文が同じ調子で書かれているのが気になりました。というのも、主人公とハルは、ちょっと芝居がかった感じのやり取りをしてますよね。「あたしに送りたまえ」とか「耳が悪くなるぞよ」とか「おお、もちろん」とか。二人の台詞には確かに今風のセンスを感じるんだけど、それを地の文にまで入れ込んだら、全てが同じ調子になってしまいます。地の文はもっとスッキリさせて、二人のやり取りにだけ洒落っ気があふれているという書き方にしたほうが、メリハリがついてよかったと思う。すごくいい台詞とかはあるので、そういうものを際立たせるためにも、地の文はもう少し抑え気味にしたほうがいいですね。
ハルの口調は、ちょっとわざとらしさが過ぎていて引っかかりました。この子は、いつもこんな喋り方をしているのかな?
確かに気になりますよね。もしこれが「ハルの素の喋り方」ということなら、ちょっと安易すぎるキャラ付けに感じる。言ってみれば、ラノベに出てくる猫耳少女が、語尾に「にゃん」をつけて喋るようなものです。
いや、ハルの喋り方は、主人公にだけ見せる、一種の照れ隠しなんだと思います。主人公以外の人に対しては、ごく普通にしゃべっているんじゃないかな。
私もそう思います。でもそれなら、ハルが普通の喋り方をしている場面を、ぜひ入れるべきでしたよね。ほんのひと言でいいんです。例えば友人に、「お腹空いちゃったね。お昼食べに行こうよ」って話しかけるだけでもいい。
駅でハルが、サークルの先輩らしき人と一緒にいる場面がありましたよね。あのシーンなど、活用しやすいと思います。先輩とは普通に会話していたハルが、主人公に気づくと途端に嬉しそうに、「おお、研究生君ではないか。なぜここにいるのかね?」みたいな喋りになるとか。
そのほうが主人公とハルの親密さ、関係の特別さみたいなものが出ますよね。
はい。だって、親にも友人にも誰に対しても「○○だぞよ」みたいな喋り方をする大学生女子なんて、やっぱり作り物っぽくて考えにくい。普段のハルは、ごく普通の喋り方をしているのでしょう。主人公に対してだけ、照れておどけて、こういうわざとらしい口調になっているんだと思います。主人公を意識しているからこそ。
これも一種のイチャイチャ、要するにプレイなんですよね。「碧梧桐ごっこ」というプレイに加えて、「碧梧桐二世と研究生」という役割を真面目くさって二人が演じている。「二人の世界」だけで通じるプレイなんです。
であるなら、「二人だけの世界」と「それ以外の世界」の、両方を描く必要があると思う。「二人の世界」を、その世界の外側から見る目線が作中に欲しかった。その一例が、「普通に喋るハル」なんです。
現状では、ひたすら「二人の世界」だけが描かれている。だから描写がわかりにくいし、客観性が足りないように感じてしまうんですよね。
私は、この主人公は「自分たちの外側の世界」をちゃんと認識していると思います。地の文で何度も「僕らの世界は~」みたいに語っていますので、私はそこから読み取ることができました。でも、読み取れない人も多かったということは、やっぱり書き方が不十分なところはあったのかもしれないですね。
それほどに、「ちゃんと読者にわかってもらえるように書く」というのは、難しいことなんですよね。
あと、文章面で気になったのは、まず2枚目のところ。冒頭シーンの描写に続けて、「数ヶ月前、僕とハルは~」と、過去の出来事が語られていますが、ここには一行空きを入れたほうがいいと思います。状況を把握しづらい冒頭の電車シーンにそのまま、過去の回想シーンが書き連ねられていて、さらにわかりにくくなっていますので。
確かに。ここは一呼吸入れる意味でも、一行空けたほうがいいですね。そして、この「数ヶ月前」で始まる段に、「碧梧桐とは何か」「『気づき』とは何か」とかの説明を入れたら良かったのでは?
僕もそう思います。「碧梧桐チャレンジ」はここが発端ですから、ここでしっかり説明して読者にわかってもらうのが一番いいと思います。さらに言ってよければ、「『碧梧桐チャレンジ』を始める算段を立てた」という表現は、不要に回りくどくて変だと思う。「碧梧桐チャレンジ」だけでもよくわからないのに、「チャレンジを始める算段」なんて書かれることで、さらに意味不明になっている。全体に、もう少しわかりやすいシンプルな書き方を心がけたほうがいいと思います。
作中での現在時点は、大学入学から4ヵ月ほど経ったころですよね。そこから数ヵ月前に講義の中間レポートを一緒に作っているということは、二人の初対面はさらにその前ということですよね。そのときのことももっと描いてほしかった。
ボーイ・ミーツ・ガールの話なのですから、出会いの場面は重要ですよね。ハルがどんな風に登場してきて、それを見た主人公がどう思ったのか。どんなふうに二人の距離が近づいていったのか。そういう辺りの描写をぜひ入れてほしかった。主人公の心の動きも知りたいですし、主人公の目を通して描かれることで、ハルの魅力もより一層読者に伝わったと思います。
現在時点でも主人公には、ハル以外の友人が大学にいない。人づきあいがあんまりうまくないんでしょうね。たぶん女の子慣れもしていない。そういう人物が、ハルのような明るくてグイグイ近づいてきてくれる女の子に出会ったら、内心ドギマギしたり、戸惑ったり、舞い上がったりと、心情面は色々忙しいことになったはずだと思います。せっかく恋愛物なのですから、そのあたりはもうちょっとしっかり書いてほしかったですね。
「数ヶ月前」みたいな書き方も、事態をややこしくしていると思います。ここは、「入学して一ヵ月が経った頃に~」みたいに、時系列に沿って書いたほうが、読者に対して親切で分かりやすかったですね。
「中間レポート」関連のことも、実はよくわからないです。二人は一体何の講義を取ってるの? 碧梧桐について、どういうレポートを作れって言われたわけ? 図書館で二人で句集を眺めて、何をしているの? だって、課題図書は他のみんなに全部借りられてしまっていたんですよね。もう残っていない。それとも最後の一冊を二人で見てたってこと? で、句集をひたすら見て、どんなレポートを書くの? もう、とにかくわからないことだらけです。おそらく、設定があまり詰められていないというか、曖昧なまま書いているから、こういうことになったのではという気がします。
書かない部分の設定も、作者の中にはきちんと構築しておいてほしいですね。で、その設定に沿ってほんのひと言二言、描写なり説明なりがあるだけでも、読者の理解度は全然違ってくる。
情報提示の仕方が、まだうまくないなと思います。読者にこの話を理解してもらうために、どの情報をどのタイミングで出せばいいのかということを、もう少し戦略的に考えてみてほしいですね。
私は個人的に知っているので言わせていただくのですが、9枚目に「野川公園では自然に触れられると人から聞いた」、と伝聞形で書かれていますが、武蔵境駅から多摩駅に向かう電車は野川公園の中を通るので、車窓から直接見えます(笑)。知らないことのように書かれているのは変だった。「コンパで人から聞いて知ってはいるけど、友達がいないので実際に行ったことはない」という描写を意図していると推察はできるのですが、少しわかりにくいかもしれません。
あと、二人の会話がずっと続くところでは、その台詞をどっちが喋っているのかわからなくなります。
なりますね。だから順番を数えたりしました。ハルの台詞は、一番目、三番目、五番目だなって(笑)。それに、実は僕は最初、ハルが女性だとは思っていませんでした。
私もです。これは男性同士の話なのかなと思っていました。
ハルの「気づき」の中に、もう少し女子っぽいアイテムを入れても良かったですね。
でも、作者はハルを、あまり女の子っぽい感じには描きたくなかったんじゃないでしょうか?
確かにね。そこがハルの魅力でもありますし。
台詞だけ読むと、男か女かわからない。そういう喋り方が今の流行りというか、今の時代っぽいんじゃないかなと思います。
ただ、それを小説で、文章だけでやるのは、けっこう大変かもしれない。
無理に台詞を変える必要はないです。例えば薄いマニキュアを塗っているとか、スカートを履いているとか、どこかでちらっと情報を出せば、それで伝えることはできると思う。
おそらく作者は、ハルを男性だと思う読者がいるとは、まったく想像していなかったでしょうね。
初めて読むときの読者は、その作品世界のことを何ひとつ知らないわけですから、誤解を生じさせないよう、書き手は細心の注意を払う必要がありますね。
今回私は、そのあたりのことはなんとなく補完して読んでいました……要するに、脳内補完しながら読んだ人はこの話を「なんだか、好き」と感じ、予断を入れずに文章をしっかりと読んだ人は、いろいろな点で引っかかったということなんでしょうね。そこで大きく差が出てしまった。
好みにもよるとは思いますが、評価はかなり大きく分かれていますね。
決してできの悪い作品ではないのですが、話がよくわからない上に、内輪ウケのような二人だけの世界がひたすら描かれているので、作品世界に入り込めなかった読者がけっこう多かったのでしょうね。
このイタいカップルを、好きになれるかどうかの差は大きいと思う。僕はちょっと馴染めませんでした。
私も最初はそうだったのですが、読み直したら評価が上がりました。二人の「気づき」には、けっこう面白いものがあったと思います。「ねこ、ドッグフードを食す」とかね。大したことではないんだけど、言われてみるとちょっと「おっ」と思うみたいな。
同感です。「なんか僕だけTシャツの丈長いな」とか、好きですね(笑)。なんだか面白い。
ユーモラスですよね。
ラストで主人公が、ハルへの想いがこもった句をたたみかける場面も好きでした。それを受けたハルの反応もすごくかわいい。思わずニヤニヤしながら読みました(笑)。
このあたりは僕もすごくいいと思います。それに、ハルになかなか好きだと言えない主人公のうじうじぶりは、とても好感が持てる描写になっていました。
実はちゃんと恋愛物になってるんですよね。二人の恋心は、ちゃんと描けている。
「碧梧桐遊び」をすることでイチャつく恋人たちというのが、すごく新鮮でした。
文体にリズムがあるのもいいですね。個人的にはとても好きです。
ツッコミどころはすごく多かったのですが、割とどれも、指摘されればすぐ直せるレベルのものかなと思います。テクニカルに解決しやすいというか。
「人に読んでもらう」という客観的な目線が作品に入るようになれば、一気にレベルアップするかなと感じますね。
現状でも、高得点を付けている人は多い。作者の持っている若い感性とセンスの良さには、すごく期待が持てますね。今後もぜひがんばってほしいです。