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選評付き 短編小説新人賞 選評

『雨の街』

浅木まこ

  • 編集B

    本来この選評においては、作者の実年齢に関してはあまり触れません。個人情報だから明かすことはないですし、基本的に投稿作は、作者のプロフィールに関係なく、作品のみを批評の対象にしています。ただ、今回ばかりは例外です。

  • 編集C

    主人公は、人生に新鮮味を感じなくなってしまった中年の専業主婦。おそらく三十代半ばくらいでしょうか。対して作者は、とてもお若い方なんですよね。なのに、何気ない心情描写に不思議なほどのリアリティと納得感があって、驚かされます。

  • 編集D

    繰り返す生活の中でカサついてしまった、枯れた主婦感みたいなものを、とても自然に描き出せていましたね。

  • 青木

    読んでいて、身につまされます。「主人公の気持ち、すごくわかるなあ……」と思えて、胸が締めつけられる。描写に実感がこもっているから、作者は主人公と同年代の方なのかなと思いながら読んでいたんです。そしたらなんとまあ(笑)。本当にびっくりです。

  • 編集B

    「私だって若い頃は、もっときれいで生気にあふれ、きらめいていた。いきいきとした人生を送っていた。でもそんな若さというものを、いつのまにか私は失ってしまった……」という中年の心境を、若さ真っ盛りの作者が書いている。なんというかもう、いろんな意味で参っちゃいますね(笑)。

  • 編集H

    「その歳になったこともないのに、どうしてわかるの? どうして書けるの?」って思いますよね。

  • 編集D

    憑依型の書き手なのかな。書くときは、その人物になりきってしまうとか。

  • 編集C

    あるいは、観察眼が優れているのかもしれないですね。周囲の人とかを、よく見ている。

  • 青木

    想像力も並じゃないってことでしょうね。「長年生きてきた中で、いつのまにか失くしてしまったあれこれ」みたいなことを、まだ失ってもいない作者がよくここまでリアルな感覚で書けるなあと感心します。しかも、その失くしたものを必死で探しまわって、やっと見つけて、でもその途端、それが大したものじゃないと思えてきて……なんてところまで書けているんです。ほんとにすごいと思います。

  • 編集C

    「そのうち使おうと思って引き出しに入れておいたものが、いつのまにか消えている」なんてこと、実際ありますよね。こういう繊細な「あるある」をうまくとらえている。とてもセンスのいい書き手だなと思います。
    7枚目の、「あわい」について語っている場面も、非常によかった。捕まえにくい、表現しにくい感覚や概念を、巧みに文章化していますよね。「例えば真夏の森の神社で、やけに晴れた無人の田んぼで、人気のない住宅街で」、ふいに奇妙な感覚にとらわれる。現実感がすとんと抜け落ちて、同じ景色の中にいるのに異次元にスライドしたような不思議な感覚。まさに、現実と幻の「あわい」の場所にいるような感覚。これは、多くの人が体験したことがあるのではと思います。でも、その感覚を読者に思い起こさせたうえで、ちゃんと主人公らしい、専業主婦ならではの描写も書かれてるんです。平日の昼下がり、ぼんやり通販番組を見ているときなんかに、ふっと現実からすり抜けて浮き上がるような時間が訪れる。「静かなまどろみの中にキャスターの声だけが浸透し、カーテンが揺れ、どこからか甲高い子どもの声が聞こえてくる」という文章には、主人公の体験している世界の空気感がありありと漂っていて、心に残りました。

  • 編集B

    終盤で、主人公が若いころの感覚を再体験する場面も、すごく鮮やかに描けていてよかったです。世界の美しさや、それを当たり前に享受できる若さというもののまぶしさ、いきいきと日々を送っていたかつての自分。「あの頃の私に、死後の世界や、日々のあわいはとてつもなく遠かった」なんて一文には、切なくなってしまいます。

  • 青木

    歳月を経る中で失ったものの貴重さを、あらためて痛感しますよね。「いつの間にか、ずいぶん遠くまで来てしまったなあ」という思いに、胸がキュンとする。本当に、どうしてこんな感覚を、経験していないのに書けるのでしょう。

  • 編集B

    うまいですよね。

  • 青木

    うまいです。

  • 編集B

    ただ、あまり高評価していない人も若干いる。しかもなぜか、作者に歳が近い、比較的若い世代に多い気がします。何が気になりましたか?

  • 編集F

    最初の場面で女子高生が、ぐっしょり濡れた傘を手に登場してきますね、晴天なのに。いぶかしんで声をかけると、「雨の降る街から来たんです」という不可解な返事。そのうえ、知ってるはずのないことまで言い当てられ、不安な気持ちに襲われた主人公は、逃げるように駅へ降り立ちます。が、そこは現実の場所ではなかった。激しい雨の降りしきる「雨の街」だった。ところが、その「雨の街」に二人で踏み出したはずが、いつのまにか「ここは、失くしものの街ですよ」ということになっていて、わけがわからなくなりました。「雨の街」と「失くしものの街」は、いったいどういう関係なのでしょう? 世界の果ての「境界の街」に雨が降りしきっていることには、どういう意味があるのでしょうか? どう理解すればいいのかわからないことがいろいろあって、話に入り込めませんでした。

  • 編集B

    なるほど。言われてみれば疑問点はありますね。

  • 編集F

    それに主人公は、失くした傘を「失くしものの街」で見つけて取り戻しますが、その傘は以前、電車の中で魔法のように消えてしまったものですよね。主人公自身が失くしたわけではないです。でも、終盤ではなぜか物語が、「過ぎる年月の中でいつの間にか失ってしまったものを、もう一度取り戻すのだ」みたいな方向で展開していて、矛盾を感じました。超常現象のように消えてしまった傘と、流れる年月の中で知らず知らず失ってしまった生き生きした感覚というものは、同じ「失くしもの」であっても同列にならないと思うのですが。

  • 編集B

    これまた、言われてみればその通りですね。

  • 青木

    ストーリーの整合性が取れていないようなところは、確かにちらほらあると思います。

  • 編集F

    「いつの間にか行方が分からなくなった物品」は「失くしものの街」に眠っているのかもしれないけど、若さというのは、「あわいに吸い込まれた」ことが原因で失うものではないですよね。なのに、傘と一緒に「失くしものの街」で取り戻すという展開には、ちょっと納得がいきませんでした。
    それに、何かが失くなるのは「あわいに吸い込まれたから」と言っていたはずが、別の箇所では「人が置き忘れたものが、波に漂うようにして、世界の端っこの境界線にたどり着くのだ」とも言っていて、「え、どっちなの?」と混乱しました。「あわい」が吸い込むから物が失くなるの? それとも、人が失くした物が「あわい」に流れ着くの? 細かいところではありますが、統一されていなくて引っかかりました。魅力的な雰囲気を醸し出している作品なのはわかるのですが、「あわい」はこの作品の重要なテーマだと思いますので、いい雰囲気に流されてスルーして読むことは、私にはできなかった。

  • 編集B

    確かに、話がちょっとふんわりしているところはありますね。

  • 編集F

    それに、「あわい」という要素に関しても、実はうまく使えていないと思います。最初は、ちょっと不穏さの漂うものとして出してますよね。「生死の狭間にある世界」みたいな、捕え難いもの。そこを深めていく物語なのかなと思いながら読んでいたんです。なのにいつの間にか不穏さは立ち消え、単に「失われたものが眠っている異空間」みたいな扱いになっている。重要な要素とかテーマとかを、うまく回収できていないなと感じます。これ例えば、主人公が普通に買い物に出かけている話ではなくて、この世のものではない電車に乗っている話にしたらどうでしょうか? ラストで、「実は自分はもう死んでいたのだ」と主人公が気付く、というような話。死後の世界に行ってしまう手前の、まさに狭間の時空で、主人公は若い頃の自分と出会い、失ったけれども確かにあった自分の人生に思いを馳せるわけです。それなら、「あわい」という要素も活きて、話の整合性もつくかなと思うのですが。

  • 編集C

    ただそれだと、すごく重い作品になってしまいますよね。それはちょっと、話が全然違ってきちゃうんじゃないかな。

  • 青木

    日常生活を送っている中で、つかの間するりと非日常の世界へスライドする。そして何か大切なものを得て、また日常へ戻ってくるという展開なのが、この話のいいところですからね。

  • 編集F

    でも最初は、この世ならざる場所である「あわい」がどうのこうのと言っていた話が、最終的に、「これからは生き生きと人生を送っていこう!」みたいな明るい前向きなメッセージで締めくくられて終了となるのは、物語として噛み合っていないように思うのですが。

  • 編集C

    言わんとするところは、確かにわかります。ただ私は、ラストの主人公にはとても共感できました。一度かすれた中年になった後で、もう一度若かりし自分を体験して心がよみがえれば、それはもう、生きる意欲が俄然湧いてくるでしょう。素敵な服を買おう、おいしいケーキを食べよう、話題の映画を見て、旅行にも出かけて、それからそれから、もうやりたいことがいーっぱい! ってなるのは、私はすごくわかります。

  • 青木

    平凡な日常にまた戻ってきたようでいて、主人公はもう以前の、心が枯れた主婦ではないんですよね。

  • 編集C

    世界がきらめきを取り戻すんです。また人生にワクワクすることができる。

  • 編集B

    これは刺さりますよね。特に、枯れかけたハートを持つ中年の心に深く刺さる(笑)。

  • 編集F

    うーん、描写が上手いなと思う箇所はいくつもあったのですが、それ以上の深い感慨とかは、私は特に感じなかったですね。

  • 青木

    なるほど。要するに、それこそが「若さ」なんでしょうね(笑)。

  • 編集B

    この作品は、主人公と同じか、それより上の年代の人の胸を震わせるんです(笑)。若い人には響かないのでしょうね。

  • 青木

    ただ、中年読者の心に強くヒットする切ない情緒面をいったん脇において、少し冷静にこの作品を眺めてみると、確かにちょっとまだ足らないところもあるなとは感じます。話にフックがないし、ラストのオチもあまりうまくつけられてはいないですよね。

  • 編集B

    移動している場面での「距離感」の出し方も、今ひとつだったと思います。電車に乗ってたり、駅へと走るのと同時に過去の記憶が飛ぶように流れていったりと、スピード感というか「走ってる感」みたいなものはすごくあるんだけど、「あわいの街」を歩き回っている場面での、空間の広がりや奥行きなどが、文章からは伝わってこない。主人公たちがどんな場所にいて、どれくらいの距離をどう移動しているのか、その実感がつかめなかったです。

  • 編集D

    先ほども指摘されていましたが、「雨」がこの作品の中で何を象徴しているのかも、よくわからなかった。雰囲気やイメージだけで話の展開を作っているところがあるのかなという気がします。

  • 編集F

    7枚目の、「私は『あわい』を見てしまうことがあった」という表現も、なんだか「私は特別なの」と壁を作られたように感じて、一気に共感できなくなりました。

  • 編集B

    いや、主人公は「私だけが知ってるのよ」みたいな傲慢な気持ちで言っているのではないと思いますが。

  • 編集E

    一般論として言っているのだと受け取りました。

  • 編集C

    「あわい」がどうのなんて観念的なこと、普通、友達とだって語り合うことはそうそうないでしょうから、「今まで誰にも明かしたことのない、個人的感覚なのですけど」という程度の意味合いなんだと思います。

  • 編集F

    でも例えば、「こういう不思議な時間のことを、私は『あわい』と呼んでいた」、みたいな表現だったら、読んでいて引っかからなかったと思うのですが。

  • 編集D

    そこが引っかかるかどうかも、年齢なのかも(笑)。主人公以上の年代なら、主人公の言わんとするところが自然にわかるから、気にならない。

  • 編集H

    だからやっぱり、中年には程遠い作者が、こういう話を書けることが驚異的なんですよね。

  • 編集F

    若い書き手が背伸びして、自分より上の年代の人物を描写したとき、大抵、その当の年代の読者から「ちょっとまだわかってないな」と思われたりするものなのですが、そういうのがないのは確かにすごいなと思います。

  • 青木

    感性の良さは飛び抜けていると思います。確かにまだ、小説としてのスキルやテクニックにおいて今一歩なところはあるのですが、スキルなんて、後からいくらでも磨いていけるものですからね。だから、今はそんなことは考えずに、とにかくどんどん書いていってほしい。この感性を大事にしつつ、書き慣れていってほしいですね。

  • 編集C

    それに、ちょっとアドバイスすれば、すぐに修正してくれそうな勘所の良さも感じますしね。

  • 編集B

    奇をてらっているようなところは全くないのに、話に引き込まれます。すーっと流れるように読み手の中に入ってくる文章が書けていました。それでいて、きらめきも感じられる。

  • 編集E

    肩ひじ張ってたり、かっこつけたりってところがまるでなくて、すごく自然に読めるんですよね。

  • 編集C

    それでいて、観察眼は鋭く、描写力は高い。細かい粗はあるのですが、それが気にならないくらい、するすると読めました。

  • 編集B

    でも、どうなんでしょう? こんなに絶賛している人が多いのは、作者が「若い」からなのかな? もしこれが、主人公と同じ年代の人が書いた作品だったら、評価はもっと低かったでしょうか?

  • 青木

    いえ、純粋に作品だけを読んだとしても、「うまい」と感じたと思います。もっとも、もし本当に作者が三十代とかだったなら、テクニック面でもう少し辛口の指摘が入ったかもしれませんね。「まだ当分気にしなくいいですよ」とはちょっと言えないから。ただ、どうして中年女性を主人公にした話を、今の年齢で書こうとするのかという点は、逆にすごく気になりました。どうして作者は、若い年代の話、今の自分自身の話を書かないのかと。

  • 編集C

    今の年齢でしか書けない話が、きっとあるはずですよね。こんな大人の話は、この先いくらだって書けます。なにも今書くことはない。

  • 青木

    いい小説を書くためには、小説ばかり書いていてもだめなんです。実生活の中でいろいろな経験を積むことを大事にしてほしい。それも、その年齢でしかできないことを経験していってほしいです。それは後で必ず、小説へと繋がっていきますから。

  • 編集B

    レベル的にはすでに十分高いのですが、ここで変に固まってほしくない。今は小手先のテクニックを身につけようなどとは思わないで、年齢相応の生活を大切にしつつ、書きたい話を感性のままにのびのびと書いていってほしい。そしてもちろん、それをまた送ってきてほしいです。次作も、その次の作品も、ぜひ読ませていただきたい。楽しみに待っています。

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