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行方不明になった山岳写真家の弟を、兄が探すお話です。ちょっとホラーっぽい作品で、面白かったですね。
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第219回
『ユリの咲く沼』
古林りゅうき
行方不明になった山岳写真家の弟を、兄が探すお話です。ちょっとホラーっぽい作品で、面白かったですね。
この作品、大好きです。小説としては拙いところもまだあるのですが、とにかく引き込まれて読めました。
なんといってもあの、ユリの群生かと思ったら人間の……というところは、すごくインパクトのあるシーンでしたね。
脳裏に強烈に刻み込まれますよね。でも、ただショッキングに驚かそうという作品ではなく、登場人物の内面や葛藤も深く描かれていました。「兄弟」の話としてまとまっているのがよかったですね。
話がちゃんと着地していましたよね。ちょっと背景設定がぼんやりしているところはあるんだけど、中心となるストーリーに関しては理由付けが成されていたし、内面描写もできていました。
兄は弟に、強いコンプレックスを持っているんですよね。だから、大人になってからは弟を避け、会うこともなくなっていた。でも、失踪する直前の弟が最後に電話をかけた相手は、なぜか妻ではなく、疎遠になっている兄のほうだった。いぶかしみながらも兄は弟を探し始め、次第に、私生活のすべてを費やすほどのめりこんでいきます。いつしか、死の淵に誘い込まれるほどに。
結局、兄を思う弟の気持ちが、すんでのところでお兄さんを救ったわけですね。
どこかで何かが少し違えば、この二人は仲の良い兄弟でいられたのかもしれないと思うと、すごく切ないですよね。
うーん、でも、この兄弟の絆は、もう少ししっかりと描いたほうがよかったような気もします。
同感です。弟がなぜ兄を強く尊敬しているのかとか、そういうあたりがちょっと曖昧なままかなと思いました。
そこはもう単純に、「お兄ちゃんだから」ではないでしょうか?
そうですね。小さな頃から弟くんのほうは、「兄ちゃん、兄ちゃん」って慕っていたという感じは、割と想像できます。大人になった今は、世間的に自分のほうが成功者みたいになっているんだけれども、弟くんの気持ちとしては変わらずに、「兄ちゃんのことが好き」なんでしょうね。
夜中に電話をかけてきたのも、一番話をしたかったのは、他の誰よりもお兄さんだったからなのでしょうね。
でも弟は電話で、「兄ちゃんもおいでよ」と言ってますよね。危険な沼に、兄を呼び寄せようとしている。これ、「弟が兄を助けた話」ではないんじゃないでしょうか?
でも、最終的に、弟の手が兄を正気に戻したんですよね。それによって助かったんじゃないんですか?
いや、弟は兄を引き込もうとしていたんだけど、ぎりぎりのところで兄が気づいて、難を逃れたのだと思います。
弟が、どういう気持ちで電話をしてきたのか、ちょっとわかりにくいかもしれませんね。兄を慕うがゆえなのか。兄を危険な沼に引き寄せようとしていたのか。
電話の中で弟は、「兄ちゃん」と呼びかけてますよね、幼い子供のころのように。だから、このときにはもう沼に半分意識を取り込まれ、ちゃんとした判断はできなくなっていた。そして、純粋な気持ちで、ただ大好きなお兄ちゃんに電話をかけた、とは考えられないでしょうか?
悪意はないにしても、やっていることはおびき寄せだと思います。電話で「ユリの花が咲いているんだ。/凄く綺麗なんだ」と言っているということは、いま弟の目の前にはユリが群生している沼があり、そのユリたちが弟に「おいでおいで」をしているということですよね。そして、自分はこれからそこに入っていくが、「兄ちゃんもおいでよ」ということ。やっぱりこの電話は、弟が兄を招き寄せているのだと私は読み取りました。
じゃあ、他のユリに交じって蠢いていた弟の手は、お兄さんを沼に引きずり込もうとしていたのですか?
他の無数の手は「おいでおいで」をしていたんだけど、弟の手だけは「来るな」というメッセージを発信していたのではないでしょうか。だから、見覚えのある指輪で、兄の注意を引くことができた。
ただ、そこまでの描写にはなっていませんよね。読む限りでは、兄が自発的に気付いて、自分の力で沼から脱出したように見える。「兄を思う弟の気持ち」は、この場面には特に描かれていなかったと思います。切ない雰囲気があるので、読み手はつい脳内補完して読みたくなってしまいますが、私は文章そのものから読み取ることはできなかったです。作者としてはどういう設定にしていたのか、そこのところは、もう少し読者にしっかり伝えたほうがいいと思います。
ラストで主人公が、「アイツが一緒に歩いてくれていたから、俺は助かったのか……」って言ってますから、真実はどうあれ、このお兄さんとしては「弟に助けられた」と思ってるんじゃないでしょうか? というか、そうであってほしいなと、私は思います。弟の「これ以上来るな」というメッセージを受信して、兄は踏みとどまり、助かった。物語的には、そうであってほしいです。でも……皆さんのご意見を聞くと、ちょっと揺らいでしまいますね(笑)。確かに、はっきりそう読み取れるようには、描かれていなかったです。
弟が手助けしたのではないと仮定すると、どうしてこの主人公は、沼に取り込まれずに生還することができたのでしょう?
これは、本当に運よく、ということではないでしょうか? たまたま弟の指輪に気付いて、一瞬で全てを悟って我に返った。
でも、何かをきっかけに我に返りさえすれば、自力で抜け出せる程度の沼なんだったら、今までにもからくも脱出して、「あの沼は危険だ! 行ってはダメだ!」と警鐘を鳴らす人物がもっといてもおかしくないのでは。
逆に、どうして弟は呑み込まれてしまったのでしょう? 助かった兄と助からなかった弟には、どういう差があったのでしょうか?
兄のときには、すでに沼に取り込まれている弟がいたけど、弟のときには誰もいなかったから、ではないでしょうか。
弟のときは、自分を踏みとどまらせてくれる何かが沼の中になかったから、ということですか?
でも、弟には妻がいますよね。奥さんの美津子さんは、弟を現世に引き留めるよすがにはならなかったのでしょうか?
夫婦仲が上手くいってなかったんじゃないかな。
もしかして美津子さんと主人公は、過去に深い関係だったのかもしれない。で、弟はそれを知ってしまったとか。
うーん、それだと昼ドラみたいで、話が陳腐になってしまいますよね。そういう展開はおすすめできないです。この作者も、そんなつもりで書いてはいないと思う。
ただ、美津子さんの存在、なんだか意味深なんですよね。だからつい、不倫疑惑が頭をかすめてしまって……。
兄と妻に裏切られたことにショックを受けて、厭世的な気分でフラフラしているところを、沼に取り込まれたとか?
でもそれなら弟は、お兄さんを助けたりはしないですよね。むしろ明確な悪意を示して引きずり込みそう。まあ妻の不倫ではないにしても、弟は何らかの理由で孤独や挫折を感じ、この世から浮き上がりかけていたのかもしれないです。ただ、もしそういう背景事情があるのであれば、そこは話に出しておいてほしかったですね。
「指輪」のところも、ちょっと引っかかりました。弟はもう結婚しているのに、どうして、以前奥さんに贈った婚約指輪をつけているのでしょう?
夫婦ともに、今は結婚指輪をしているはずですよね。婚約指輪のほうは奥さんの所有でしょうし。
だから、「見覚えのある婚約指輪が」のところで、「沼の中にいるのは、美津子さん?」って思いました。それまで、電話の声だけでしか登場してこないですよね。「もしかしてあれは、冥界からの電話だったの?」とか思ったのですが、ラストまで読むと違っていた。
「シンプルな婚約指輪」というのも、引っかかりました。結婚指輪はシンプルなものが多いですが、婚約指輪って、宝石がついてたりして、デザイン性の高いもののほうが多いですよね。しかも、奥さんが保管しているはずの婚約指輪をわざわざ身につけて旅に出るって、一体どういうことなんでしょう? これは何かを暗示しているのかな?
だからやっぱり、不倫疑惑が……。
作者が単に結婚指輪と婚約指輪を混同して書いただけなのかもしれない。でも、「シンプル過ぎる指輪」ということは、つまりただの金属の輪っかということですよね。それだと、パッと見ただけで「弟のだ」とは判別できないのではないでしょうか。
そうですよね。ここは無理に「指輪」にしないで、「手に弟独特の傷がついている」とかのほうがよかったのではないでしょうか。
ただ、作者としてはビジュアル的にも、「弟の手が光って、兄は我に返った」というシーンにしたかったのではと思います。
それなら、腕時計とかでもよかったんじゃないでしょうか。気圧が測れるような、登山用の時計ってありますよね。
それはいいですね。昔、弟に山登り指南を始める際に、主人公がプレゼントしたものだったりとかね。それなら、その時計をいまだに大事に身につけている弟の気持ちも描けるし、見覚えのある何かが光って兄を正気に戻したという流れも、自然なものになります。
それにしても、こんな危ない沼、もっと噂になっていてもいいはずでは? 「無数のユリ」とありますから、今までに相当な数の人がここに引き込まれ、行方不明になってるわけですよね。その割に、おそらくは50年以上も前の情報が一件あるきり、というのは、ちょっと不自然に感じてしまいます。
このホラーな沼は、常に人間を引きずり込もうと狙っているタイプなのかな? それとも、この世とのつながりが薄くなりかけている人が偶発的にたどり着きやすい場所、みたいなことなのでしょうか? そういうあたりも設定を詰めて、わかりやすく書くとよかったですね。
山の描写も、「標高400メートルに満たない低山」なのに、雪が積もってたりして、ちょっと疑問に思うところがありました。場所や季節も曖昧ですし。
「きちんと登山用の装備を揃えて来ている」と言いつつ、懐中電灯で片手を塞ぎ、夜中に一人で山を登っているというのも引っかかります。
「元登山部」なのに、あまりに認識が甘すぎますよね。案の定、懐中電灯は途中で電池切れしてしまいますし。
そこはまあ逆に、ちゃんとお約束通りというか。ホラーなら、懐中電灯は点滅した挙句に切れてくれないと(笑)。
山に詳しい人間の語りという設定にしては、ちょっと疑問を感じる点が多かった。どれも、指摘すれば簡単に直せるようなところではあるのですが、もう少しイメージをちゃんと固めてから書き始めたほうがいいですね。
あと、40歳くらいの主人公の物言いが、なんだか年寄り臭いのも若干気になりました。作者は割合お若い方なのですが、アラフォーって、若い人たちからはこんな老人に思われてるのかと思うと、ちょっとショックですね(笑)。
主人公に名前がないのも、少し気になります。弟の妻はがフルネームで出てくるし、弟の名前も途中でちらりと登場するのですが、主人公の名前は最後まで分からないです。
「男」とだけしか出てきませんね。ホラーっぽい雰囲気を出そうとしたのかもしれませんが、弟の妻をフルネームで出すなら、主人公も名付けてあげても、とは思いますね。
でも、重々しい独特の語り口は、かっこいいなと思いました。冒頭の一文からして、「ただ、確信があった」、ですよ。作者が、自分の物語る世界に入り込んで書いている感じが伝わってきて、すごくよかった。
例の場面の、「――人間の手であった」、というところも、いいタメになってますよね。
登山シーンも、疑問点はいろいろありつつも、雰囲気はうまく出せていたと思います。山をよく知らずに、これを書けているのならすごい。想像力のある書き手なのでしょうね。
後は、取材力ですね。「登山」を要素に入れるのなら、基本的なところをしっかり調べてから想像を広げれば、さらに完成度の高い作品になったと思います。
設定ももう少し詰めてほしい。雰囲気を出すのはうまいのですが、物語の背景は、書き始める前にしっかりと整えておいたほうがいいと思います。
そうですね。でも、この作者には描きたい話があり、それを物語としてまとめあげている。結末もきちんとつけられている。そこはとてもよかった。
謎や不安を孕んで進んでいくストーリーには、強く引き込まれましたよね。
はい。それに、キャラクターの感情面が深く描けていたのもよかった。物事がいろいろうまくいかず欝々とした人生を送っている兄と、兄を軽々と飛び超えて成功を収めている弟。でも弟は兄を慕っている。兄は弟を嫌いつつも、そんな自分に苦しんでいる。キャラクターをうまく対比させて、物語を作っています。ラストの、「ごめんな、一緒に歩いてやれなくて……」のところは、すごく切ないですよね。夜の闇の中、たった一人で山を登りながら、何度も振り返って兄の姿を探していた弟を想像すると、胸がじんとします。
ホラー場面の印象が強いですが、とてもいい話なんですよね。あまり書き慣れてはいないようですが、小説を書くことに真摯に取り組んでいる感じがすごく伝わってきて、そこも好印象でした。
技術面にはいろいろ課題もあるのですが、とにかく魅力的な作品でした。修正点は直せばいいし、テクニックは磨けばいい。でも、読者を惹きつける作品を書けるのは大きな才能の一つです。今後もどんどん書き続け、長所をより一層伸ばしていってほしいですね。