編集A
高校生の男女のお話です。爪を常にきれいに整えている日下部君という男の子と、しょっちゅう噛み切っちゃうせいでいつも爪が短くガタガタになっている主人公の女の子。男の子が女の子を、「きれいな爪を育てる」という方向に導いてあげるという、一風変わったお話です。こういう物語を書こうと思いついた、作者の感性がすごくいいですね。
小説を書いて応募したい方・入選した作品を読みたい方はこちら
第219回
『三日月にさようなら』
東由佳
高校生の男女のお話です。爪を常にきれいに整えている日下部君という男の子と、しょっちゅう噛み切っちゃうせいでいつも爪が短くガタガタになっている主人公の女の子。男の子が女の子を、「きれいな爪を育てる」という方向に導いてあげるという、一風変わったお話です。こういう物語を書こうと思いついた、作者の感性がすごくいいですね。
しかもこの設定なら、爪をきっかけに二人の距離は次第に縮まり、やがて恋仲に……なるかと思いきや、まったくならない。日下部君には秘かに恋している女性がいますが、それに気づいた主人公側はといえば、全然ショックを受けていないんですよね。ありていに言えば主人公は、意中の女性に会う口実として日下部君に利用されたわけですが、そのことをどうとも感じていない。むしろ、「(日下部君の)学校では絶対に見せないような姿を見ることができたので、全然いやな気はしない」なんて思ってたりする。こういうフラットな関係性の高校生男女を描いているところが、新鮮でよかった。
年頃の男の子と女の子の話なら、もうちょっと「私、もしかして日下部君のこと、好きなのかも……」みたいな要素が出てきそうなものなのですが、ほんとに全くないんですよね。純粋に友情というか、恋愛が絡むことなしに人と人とが一歩近づく話が描かれていました。
ただ、終盤の主人公に関しては、ちょっと疑問に感じるところもありました。日下部君に、「ごめん。あたし、日下部くんのこと気持ち悪いって思ったことがあった」と言っていますが、どうしてこんなことを、面と向かってストレートに告白してしまうのかな? 言われた側も、反応に困りますよね。
まあこれは、深く考えて言ったわけではなく、ちょっと衝動的に、うっかり口がすべっちゃったということではないでしょうか?
それを言われた日下部君は、でも、冷静さを失わないですね。「それ、自分が楽になろうとしてるだけだよね」というような、鋭い返しを淡々とします。これは、作者が冷静に状況を見ることができているということだなと思います。
主人公は動揺しやすい人物みたいですね。一方でのんきなところもあって、高校生の女の子が学校帰りに、クラスメイトの男子の住むマンションに一緒に入っていくということの重大性に、全く思い至ってなかった。橘さんという、クラスのボス的女の子にそこを突かれて、とっさに慌ててパニックになったんでしょうね。橘さんの口ぶりから、「日下部くんて、クラスでは気持ち悪いと思われてるんだ」と察し、「私も仲間だと思われてしまう」と焦って「日下部くんと親しくなんかないよ!」ってことを、つい強調気味にしゃべってしまった。そして、時間が経って落ち着いてから、深く後悔したという流れだと思います。
女子の集団の中で、ボス的存在に「キモい認定」され、一度低い位置に落とされてしまうと、もう二度と浮かび上がれないというようなことって、やっぱりありますからね。「このままじゃマズい!」って思って、たぶん瞬間的に、「気持ち悪いと思われそうな要素」である日下部君を、自分のそばから排除しようとしたのかなと思います。
とっさに防衛本能が働いたということでしょうね。
そのあたりの経緯、なんとなくわかることはわかるのですが、やっぱり主人公の気持ちの変化というのは重要なところですから、もう少し丁寧に描いたほうがいいかなと思います。それまで、友達としてすごく日下部君のことを好きだったのに、ちょっと他の人に「あいつ、つまんなくない?」って言われただけで、急に心変わりしているように見える。ここの展開はかなり唐突に感じました。
日下部君って、クラスで本当に「キモい人」って思われているんでしょうか? 最初のあたりでは、「冷静沈着で、頭がよくて、成績は常にトップクラス。テスト前には、彼のノートを借りようとして人だかりができる」みたいに、優秀な人物として描写されていたように思います。橘さんだって、「日下部って、地味で無口でつまんない」程度のことしか言っていない。なのに、その2枚後のところでは、一人称の語りの中で主人公が「気持ち悪い日下部くん」と断定しているし、いつの間にか、「私ったら、心の底では日下部くんを気持ち悪いと思っていたんだ」みたいなことになっている。このあたりの話の流れ、気持ちの流れは、どうにもつかみにくかったです。恋仲だと噂されたくなくて、とっさに「そんなに親しくないよ」と言ってしまうことと、「本心から日下部君を気持ち悪く思う」ことは、まったく別なのでは。
日下部君は、爪に色を付けたりデコったりということはしてないですよね。おそらく、磨いて艶を出したり、保湿したりという程度なんだと思います。主人公以外のクラスメイトが気づいていないくらいですから。それって、「気持ち悪い」というほどのことなのかな?
作品を読んでの推測ですが、作者は、「爪にすごく関心があって、いつもきれいに整えてたりする男の子は、たぶん女子たちから気持ち悪いと思われるだろう」という前提を元に、この話を書いているんじゃないかなと思いました。ただ、その前提が作品にうまく盛り込まれていないので、読者が戸惑うことになってしまったんじゃないでしょうか。
今どきは、爪をきれいにしている男の子がいてもそんなに驚くことでもないでしょうけど、日下部君は「無口! まじめ!」みたいなキャラですからね。「え、あなたがネイルを?」みたいな違和感というか、驚きはあると思います。それが、否定的な「え~~~?」というものにつながるというのは、分からないでもない。
作者からすると、「この場合、普通そう感じますよね」「男の子がネイルなんてちょっとって、皆さん思いますよね?」という感覚は共有できているつもりで、特には説明しなかったのかもしれない。でも、読者は基本的に書かれていないことは読み取れない。そこに感じ方のギャップが生じてしまったのかなと思います。
この作品世界の高校生たちの間では、「男子が爪をきれいにする」ということがどう捉えられているのかとか、そもそも主人公自身が「爪を整える男子」というものをどう感じているのかとか、そういうところをもう少し盛り込んでいてくれたらよかったですね。
「爪を育てる」という言葉が作中に何度も出てくるのですが、それが何を指しているのか、なんだか曖昧だなと気になりました。主人公は、つい爪を噛み切っちゃう癖があって、いつも短くて、爪の先も不揃いなんですよね。で、日下部君の爪のビフォー・アフター写真を見て、「爪のピンクの部分が倍ぐらいの長さになっている」ことに驚きます。そして、「爪は育てられるよ」と言われ、「自分もやってみたい」と思った……ということは、深爪しないで、ピンクの部分を伸ばすのが「育てる」ということ?
でも爪って、放っておいても伸びますよね。やっぱり、甘皮をケアするとか、表面のデコボコをならすとか、そういったことをひっくるめて「爪をきれいにする」ということだろうと思うのですが、「育てる」という表現が今ひとつわかりにくかった。タイトルに「三日月」という言葉がありますので、爪の根元の、白い三日月の部分を大事に育てようということかなと、ちょっと思ったりしたのですが……
私もです。ただ、それだと「さようなら」が変なんですよね。そこを育てて伸ばそうとしているのに。
この「三日月」というのは、たぶん噛み切った爪のことだと思います。8枚目に「乳白色の浴槽の縁に白い三日月が増えていく」とありますから。
ああ、なるほど。そういうことでしたか。「爪を育てる」「三日月」ときたら根元の白い部分のことかと、つい思い込んでしまいました。
おそらく、「爪を噛み切っていた今までの自分に、さようなら」という意味なんでしょうね。ただ、やっぱりこのタイトルは分かりにくいので、違うものに変えたほうがいいのではと思います。
作者の頭の中には、その場面場面の映像やイメージがあるのかもしれませんが、ちょっと曖昧だったり矛盾が感じられたりすると、読者はうまく受け止められません。「この書き方で、読み手にちゃんと伝わるかな?」という視点は、意識したほうがいいと思います。
それにしても主人公は、どうしてこんなに爪を噛んじゃうんでしょうね? 「今まで爪をのばしたままでいたことがない」というのは、ちょっと尋常ではないように思います。本編に書かれていないところで主人公が何を抱えているのか、何だか心配で気になります。
爪を噛むのは自傷行為の一つ、みたいな話を聞いたこともあります。主人公は何か大きなストレスでもあるのでしょうか? 人間関係がうまくいっていないとか。そういえば、主人公の友達というキャラクターは、話に登場してきませんでしたね。今、特に親しい友人はいないということなのかな?
橘さんに話しかけられたとき、すごく緊張して焦ってましたよね。怯えていると言ってもいいくらい。情緒不安定気味なのかなという気はします。でも、主人公が何らかの悩みを抱えているというような描写は、作中には見当たらなかったですね。
ラストで、「よかった。あたしはまだ、ひとのしあわせを願うことができる」と言ってますよね。このあたりがこの話の主題なのではと思うのですが、それ以前のところに、「ひとのしあわせを願うこと」いう要素は特に出てきていない。もしこれが本当に今作のテーマなのだとしたら、もう少し早い段階でストーリーに絡めておいたほうがいいと思います。
それと、もしそういう「人間関係」とか「自分の性格」とかが作品の主題なのだとしたら、やっぱりそこに「爪」という要素をもっと絡ませてほしいですね。せっかくの面白い要素なのですから、存分に活かしてほしかったです。
主人公のバックグラウンドを、詳しく設定しておいたらよかったですね。こんな悩みを抱えているとか、こんなことを不安に思っているとか。そして、日下部君と出会い、爪をきれいにしていくことでモヤモヤしていた何かが解消された、みたいな展開だったら、ストーリーと主題と「爪」が絡んだ作品になったと思います。
そうですね。主人公の抱えている何かと「爪」が、もうちょっとうまくリンクしていればと思えて、惜しまれますね。
考えてみたら日下部君だって、「爪」そのものにすごく興味があるわけではないですよね。好きな人がネイリスト志望だから、というのが正直な理由。「爪」じゃなくて、二千花さんが好きなんです。
日下部君の恋心はすごく微笑ましいんですけど(笑)、でもやっぱり、こういう話にするのだったら、日下部君にも直接的な「爪」への思い入れがあって欲しかったですね。現状ではなんだか、「爪」という要素が、別の何かと置き換えが可能であるように感じられてしまいます。例えば、日下部君が何かを育てるのが好きなのであれば、「アサガオ」でもいいわけですよね。
ひょっとして作者さんご本人が「爪」を好きなのかな? それで、こういう話を思いついたのかもしれない。発想はすごく面白いと思います。ただ、こんなふうに重要な要素として登場させるなら、もっと「爪」に関して深掘りしてほしかったですね。保湿のこととか「ハイポニキウム」のこととかは読んでて勉強になりましたので、たとえば爪に関する専門知識や雑学をもっとてんこもりに詰め込んでくれたら、さらに読みごたえが増しただろうと思います。
同感です。むしろ最初はやりすぎなくらい「爪」のことを盛り込んでおいて、後で読み返しながら削って調整する、くらいの書き方のほうがいいと思います。登場人物の「爪」に対する熱い思いを、もっと感じたかったですね。
日下部くんが「爪」を好きなのであれば、二千花さんというキャラクターは必要ないのでは? と思いました。
そうですね。二千花さん抜きで書くことも、可能は可能でしょうね。
でも、二千花さんがいるから、主人公と日下部君の間に恋愛感情が生じないことが自然に見える面もあるので、二千花さんはいたほうがいいのかな。ただ、お姉さんの澪さんは削ってもいいように思います。
二千花さんも澪さんも、なんだか似たようなキャラクターですからね。二人とも「ネイリスト志望の美しい年上女性」という役どころだし、現状では存在感も薄めですし。ここは、二千花さんに一本化したほうがいかもしれませんね。
二人が登場するシーンも、誰が誰だか分からなくて、ちょっと混乱します。
ここの場面は、何度か繰り返し読んで、ようやく状況を把握しました。先ほども出ましたが、「この書き方で、読者に伝わるかな?」という点に、もう少し意識を向けてほしい。
あと、この作品、行空けしているところが一ヵ所もないんです。場面転換はけっこうしているのに、本当に一つもない。その割に、読んでいてあまり気にならないですので、文章力のある方だなと思います。とはいえ、やはり行空きは適度に使ってくださいね。さらに読みやすくなりますので。
描写とかはよかったですよね。会話と描写の配分がうまくいっていたと思います。緩急が自然と取れていました。
主人公と日下部君の距離感もよかったです。ラストで、主人公が日下部君を怒らせてしまったかと、一瞬ヒヤッとしたのですが、日下部君は率直に言い返した後、さっぱりと気持ちを切り替えてくれましたね。二人の友情は今後も続いていくんだなと思えて、嬉しい気持ちで読み終われました。
絆が一層深まった感じですよね。しかも主人公は、日下部君に尊敬の念も抱いている。「こんな人になりたい。私も成長するぞ」という、明るい希望に満ちたラストになっていました。現状でも、充分いい話を書けているのですが、ここにさらに、「爪」という要素の深掘りを入れたり、主人公の背景設定を有機的に絡めたりすることができれば、なお一層完成度の高い作品になったと思います。そういうことをちょっと頭の片隅に置きつつ、次なる作品に楽しくトライしてみてほしいですね。