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選評付き 短編小説新人賞 選評

『わたしのマトリョーシカ』

水沢栞

  • 編集H

    自分の感情をうまく認識できない女の子が、ある日お土産にマトリョーシカ人形をもらい、その人形に自分を投影しながら成長していくのだが……というお話です。他者に自分を開示することがほとんどない女の子の内的世界が描かれていて、引き込まれました。淡々とした語り口で綴られる物語なのですが、それゆえに、ラストの衝撃展開にはインパクトがありました。ちょっと唐突過ぎる気もするにはするのですが、読者を驚かせようとしたのでしょうね。その頑張りは評価したいと思います。

  • 編集A

    自分の感情がよく分からない主人公は、入れ子構造になっているマトリョーシカというものを見たときに、自分自身をそこに発見したわけですよね。ここはすごくよかったと思います。「わたしの中にも、また別のわたしが入っているのかもしれない」という認識が生まれ、そのことに衝撃を受けた。「大きな感動ですらあった」とまで語っています。

  • 青木

    以来、主人公にとってマトリョーシカは、とても特別で大切なものになったんですよね。そして次第に、自分の近しい人にもその感動を共有してもらえたらと思うようになるわけですが、これがなかなかうまくいかない。

  • 編集H

    親友も恋人も、誰も主人公の思いを理解してくれない。そのたびに、ひどくがっかりさせられてしまう。こういう気持ち、すごくわかるなと思いました。いつも「今度こそは」と期待するんだけど、そのたび裏切られてしまう。

  • 青木

    落胆する経験を何度も積み重ねてしまうんですよね。中学生のときも、高校生のときも、社会人になっても、「この人なら」と思う人に「マトリョーシカとわたし」の話を打ち明けるんだけど、全く伝わらない。

  • 編集C

    ただ、もし私が彼女に打ち明けられる側の人間だったとしても、やっぱりうまく理解できなかっただろうとは思いますね。タオルにくるんだマトリョーシカを、いかにも大切そうに「ほら、これ……」って見せられても、単に「マトリョーシカだな」としか思わない。自分の感情がよく分からない主人公にとってこそ、マトリョーシカは「衝撃」であり「感動」であるわけで、それと同じ感情を同じ熱量で持つことを期待されても、正直困る、というのが普通の反応でしょう。そういった周りの人物と、彼女自身の認識との齟齬が、よく描けていたと思います。

  • 編集B

    主人公は「自分」というものが薄く、淡白な人間のように感じられる割に、依存傾向が強いのかなと思いました。あるいは、自分と他人との境界が曖昧なのかも。他者が「自分と全く同じ思いを抱いている」ことを、期待しすぎている。自分と気持ちや感覚がぴったり重なる人間なんて、そうそういるわけないのに。ましてや、ピンポイントで「マトリョーシカ」に特別な思いを抱いている人と出会う確率なんて、限りなく低い。

  • 編集F

    そもそも私は、作者がこの「マトリョーシカ」という要素を、どういう意味を込めて用いているのかがよくわかりませんでした。主人公がマトリョーシカと自分を重ねている描写は多いですが、一方で、自分とは別の存在としてこの人形を認識している箇所も多かった。

  • 編集C

    そこは私も非常に気になりました。いつのまにか「マトリョーシカ=わたし」みたいな構図になっていますが、いつ、どういう経緯でそうなったのか、よく分からない。最初、お土産としてマトリョーシカをもらったときには、主人公はその人形と自分を、同一視してはいなかったのですが。

  • 編集F

    「内側に虚ろを抱えている人形」というところに衝撃と感動を覚えてはいますが、「神秘的で崇高なもの」として少し距離を置いています。無邪気に、「わたしと一緒だわ!」「このお人形が大好き!」という感じではない。

  • 編集C

    机の端に置いて、でも滅多に手には取らず、それでいて人形からの視線を意識しながら暮らしている。一体感はないですよね。なのにラストの場面では、お腹を開けられたマトリョーシカを見て、まるで自分の腹が割かれたかのような激しい反応を示している。

  • 編集F

    いつのまに「マトリョーシカ」と「わたし」が重なるようになったのか、何がきっかけでそうなったのか、わかりにくかったです。

  • 編集C

    そこは、この話においてとても重要なところだと思うのですが、じゅうぶんに掘り下げられていなかったのは残念でした。

  • 編集F

    また、作中のマトリョーシカは、全部で三体ある三重構造なのですが、この三体を全部ひっくるめて「マトリョーシカ人形」と言っているのかと思いきや、扱いがそれぞれ微妙に違います。大中小の人形のうち、一番大きなもののことは「彼女」と呼んでいますが、中小については、まとめて「彼ら」と呼んでいる。「彼ら」だと、男性扱いしているように読み取れるのですが、この呼び方には何か意味があるのでしょうか?

  • 編集A

    「彼ら」というのは、英語の「they」にあたる意味合いなのでは? 性別には関係なく、単に三人称複数形ということで。

  • 編集C

    でも、三体のマトリョーシカは、どれもそっくりな女性の姿をしているんですよね。女性二人をまとめて呼ぶとき、「彼ら」という言葉は通常使わないのではないでしょうか。「彼女ら」となるのが自然だと思います。

  • 編集F

    外側の人形のみを「彼女」と呼び、他の二体を「彼ら」とひとくくりにしているということは、主人公にとって、この「彼女」一体だけが自分の分身みたいなもの、という認識なのでしょうか?

  • 青木

    でも最後のところで、一番小さなマトリョーシカを、「出産直後の嬰児のようだ」「自分自身がはじめてこの世界に生まれたように思った」と語っていますから、むしろ、この小マトリョーシカを自分自身だと思っているようにも見えますね。

  • 編集B

    「彼女」と呼んでいる大マトリョーシカには特別感があるし、一番奥の小マトリョーシカにも、凝縮されたような主人公自身を感じます。でも、中マトリョーシカはどうなんだろう? この子にはあんまり意味はないのでしょうか?

  • 青木

    うーん、三重のマトリョーシカはもしかして、大は虚ろな入れ物としての自分、中は隠れている本当の自分、小はさらに一番重要な核の部分、みたいな構造のつもりなのかなと、思えないこともない。三つとも、自分自身なのではないでしょうか。この作品においてマトリョーシカというのは、主人公の精神のメタファーではないかと思えますので。

  • 編集F

    なるほど。ただ、その描き方がすごく曖昧で、今ひとつうまく伝わってこなかったように思います。マトリョーシカというアイテムそのものがとても意味深なので、自分なりの解釈で補って読んでくれる読者は一定数いるでしょう。でもやはり書き手には、もう少し明確に伝える努力をしてほしいと思います。

  • 編集C

    どうして作者は、3体セットという、一般的なマトリョーシカよりも少なめの数に設定したのでしょう? これ、3体だからこそ、「2番目の人形が意味するものは?」というところが妙に気になってしまう。

  • 青木

    どこかでちらりとでいいから、語っておいてほしかったですね。「一番外の人形は普段のわたしで、一番小さな人形は自分のコアの部分。まん中の人形は、そのコアを守ってくれているのだ」みたいなことがわかる描写が、あったら良かった。

  • 編集F

    あるいは、7体セットくらいの、よくあるマトリョーシカでもよかったのではないでしょうか。一番奥の小さな人形こそが本当の自分で、それを何重ものマトリョーシカが守っているのだ、というような構図として描かれていたなら、まだわかりやすかったのではと思います。たった三重では、「秘められた」「守られた」という感じがちょっと弱いようにも思えてしまう。

  • 編集B

    私は、主人公のお母さんの存在もやや気になっています。主人公は、「わたしは、母の前でつねに空気を読んで微笑んでいる」と語っていますよね。大学を出た後、「母に言われて」一人暮らしを始めたとも。お母さんはこの話の中にはほとんど登場してこないのですが、主人公を柔らかく支配しているような、なんだか意味ありげな描かれ方がちらりとされている。だからもしかしたら、いちばん外側のマトリョーシカは、この母親なのかなと思ったりします。机の端っこでいつも主人公を見ていますし、主人公もその視線を意識していますし。

  • 青木

    なるほど。マトリョーシカというのは、母体と嬰児というメタファーとも受け取れますよね。その場合、3体の人形は、「お母さん、私、真実の私」と解釈することもできる。

  • 編集C

    でも終盤で、田村がマトリョーシカを開けようとしたことについて、「あのとき田村が開けようとしたのは、わたしの身体そのものだった」と語っています。だとしたらやはり、一番外側の「彼女」にこそ自分自身を重ねているのでは?

  • 編集F

    色々と考察の余地はあるのですが、はっきりとした答えはよくわからないですね。マトリョーシカが何のメタファーなのか、なぜあえて3重構造にとどめたのか、一体一体の人形はそれぞれ何を象徴しているのかなどについて、もう少し整理してわかりやすい書き方をするべきだったかと思います。意味の持たせ方や描き方が中途半端なので、現状では、作者が書きたいことを読者がうまく受け取れないと感じます。

  • 青木

    私は、この作品は少女の成長物語なのかなと思って読み始めたのですが、結局主人公は最後まで、あまり変化や成長を見せていない。もしかしたら作者は、主人公の成長ではなく、破滅を描こうとしたのかな。

  • 編集D

    主人公の内省的な話というのは、あまりエンタメにはなりにくいのですが、ラストに爆発的な展開が用意されているのは、私はとても良かったなと思います。それに、マトリョーシカって普通、「中を開けるもの」だと思うのですが、この作品では「開けてはいけない」アイテムとして用いている。そういうひねりのきいた発想も面白かった。

  • 編集B

    成長物語と思って読むと期待を外れるんだけど、ホラーとしてなら、なかなか面白く読めるかもですね。ただ、作者にエンタメ作品を書きたい気持ちがあるかどうかは分かりません。女の子の微妙な内面を描くという、繊細な作品のほうが好みなのかもしれない。

  • 青木

    作者が書きたい方向性によってアドバイスも変わってきますので、現状ではちょっと、何とも言いにくいですね。ただ、もし少女の成長物語を描こうとするなら、何度も繰り返される「期待するたび裏切られる」という場面に、少しずつ変化をつけていったほうがいいと思います。

  • 編集F

    「期待したけど、またダメだった」ということを繰り返す中で、主人公になんらかの気づきが生まれてほしいですよね。主人公は「三度もチャレンジ」していますが、ただ同じように繰り返しているだけで、何の進歩も描かれない。

  • 編集C

    主人公が内面を打ち明けようとした相手って、実は四人なんですよね。親友、彼氏、先輩、田村。この構成も気になります。「三度のチャレンジ」と、「3重のマトリョーシカ」に対して、幻滅した相手は4人。なぜ数字が揃っていないのか、個人的にはモヤモヤしてしまいます。

  • 編集B

    最後まで主人公に変化が見られないのは、なんだかもどかしいです。どうしてこんなにこじらせてしまったのかな。主人公がいろいろ傷ついているのは何となく伝わってくるのですが、理解者がいない自分を自分自身でひたすら抱き締め続け、大人になっても心は成長しないまま。その結果、田村みたいなクズ男を引き寄せてしまっている。

  • 編集F

    田村なんて、「秘密」と聞いたら「お金だ!」としか思わないような男なのにね。でも、田村のこのクズ加減は、すごくいいですよね。

  • 編集C

    この作品の中で、田村というキャラクターがいちばん解像度が高いと感じました。この描写力があるなら、もっと読者が入り込める作品を書けそうに思えるのに、いろいろ惜しいです。

  • 編集F

    ひとつの想像ですが、作者にとって、主人公は自分を仮託したキャラクターなのかもしれませんね。思い入れが強い分、客観視ができにくかったのかも。逆に田村のような「作中で殺してもいい」人物であれば、冷静に扱えるということかもしれない。

  • 編集A

    作者が主人公に強く思い入れているのは、読んでいて感じました。私はこの作品は、自分をうまく開示できない女の子が、「内側に隠れているわたしを見てほしい、受け止めてほしい」と思っている話だったのかなと捉えました。そういう人を探し求めていたんだけど、結局出会えなかったよと。

  • 編集B

    そうですね。それがこの作品のテーマなのかもしれない。本当に自分が納得した人、自分をわかってくれる人に自分をさらけ出したかったのだけど、うまくいかなくて、ついにこんな破滅的結末を迎えてしまった。

  • 編集D

    主人公にとっては、むしろ「マトリョーシカのほうがわたしの本体」ということだったのかなと思います。空っぽな自分の身体はもてあそばれてもかまわないけど、マトリョーシカに自分の許可なく触れることは絶対に許さない。その重要な一線を越えてしまったから、田村は殺されることになったのではないでしょうか。

  • 青木

    その解釈はあり得ると思います。少女の精神世界のありようを描いた作品として、興味深いものがありましたね。

  • 編集F

    ただ、そういう繊細な話を今後も書いていきたいのであれば、文章も描写も、さらに繊細で神経の行き届きたものにする必要があると思います。

  • 編集C

    文章面にはまだまだ改善の余地があるなと感じました。例えば12枚目に、「わたしは先輩にお腹をまっすぐに割られてもいい。そこにあるものを、見られてもいい。わたしのなかの虚ろを、その中で息をひそめてこちらを見返す美しい目を。」とありますが、ここはちょっと理解しづらかった。「こちらを見返している」のですから、「わたしのなか」にいるのは、自分ではない何者かということになりますが……

  • 編集A

    いや、これは自分自身なのではないでしょうか。お腹を開けたら、中にいる「わたし」が先輩を見返しているということなのでは?

  • 編集C

    でもそれだと、「美しい目」というのが、自画自賛しているように読めてしまいます。それに、一人称の語りの中の「こちら」というのは、語り手を指すものですよね。今の文章のままでは、「わたし」の腹を割くと、その中にいる「わたし」が、「わたし」を見返していることになる。どうにも意味が取りづらいです。また、2枚目で、「叔父さんは慣れた手つきで同じ作業を続け」とありますが、その前の箇所には、「叔父さんがお腹の部分をひねりはじめた」ところまでしか描かれていない。「同じ作業」と呼ぶべき描写が抜けてしまっています。

  • 編集F

    文章的に正しくないのではと思える箇所が、あちこちにありましたね。係り受けがうまくいっているかとか、誤字脱字とか、まずは基本的なところから、もう一度見直してみてほしいと思います。

  • 編集B

    ちょっと凝りすぎた結果、分りにくい文章になっているのも気になりました。例えば、「彼らは、わたしのなかで渦巻くものに手をのばし、そうっと彼らのなかへと招きいれた。」とか。一読して意味を取りづらいですよね。

  • 青木

    無意識的に、ついかっこいい文章を書いてしまいがちなのかもしれませんね。「わたしの中の虚ろ」とか書きたい気持ちはすごくわかるのですが、もう少しシンプルな文章にしたほうがいいと思います。そのほうが読者に届きやすいです。

  • 編集F

    面白く活かせそうな要素はたくさん盛り込まれているのですが、どれも解像度が粗くて、受け取りにくいのが惜しかった。

  • 編集C

    作者の中でまだきちんと整理がついていないまま、イメージだけで書いてしまったのかなという印象も受けます。もう少し落ち着いて、要素やテーマを自分の中にしっかりと落とし込んでから、書き始めてみてほしい。

  • 編集B

    「少女の内的世界」という、言葉で表現しにくいものを懸命に文章化したという点では、評価に値すると思います。つかみにくいものをつかもうとして、ちょっとまだ届かなかったという感じでしょうか。

  • 青木

    書きたいものを内側にちゃんと持っている書き手なのは間違いないと思います。今後もぜひ、がんばってほしいですね。

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