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これはもう、私は読んで胸がすきました。拍手喝さいしたいです。この勘違い男を、よくぞやりこめてくれたって(笑)。
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第224回
『あの有馬記念』
夏秋ナツコ
これはもう、私は読んで胸がすきました。拍手喝さいしたいです。この勘違い男を、よくぞやりこめてくれたって(笑)。
人物の解像度が高いので、話に入り込みやすいですよね。
主人公の狡さや傲慢さが、すごくリアルに描けていたと思います。かといって、べつに極悪人でもないんですけどね。付き合っているアラサー男女の微妙な関係性の描き方が、非常にうまかった。
主人公は、自分でもはっきり語っていますが、「自分が優位だ」と信じ切っていたんですよね。「結婚の主導権は僕にある」「いつするかは僕の気持ち次第だ」と。下手にデートでロマンチックな場所になんて連れて行ったら、プロポーズを期待されるかもしれない。だから、そういう流れにならないように、一生懸命腐心して。
で、よりにもよって、クリスマスは競馬に行こうと決める。
ムカつきますよね(笑)。そういえば、初めて会ったときも、「写真の六割くらいのかわいさだ」なんて思っています。「ちょっと写真詐欺じゃないか?」って。
ひどいですよね。でも、リアルだなとも思ってしまいました。男性側の本音って、こんなものかもしれない。
「おっとりしてて無害そう」なところが気に入って、付き合い始めた。熱烈な恋愛なんかしなくていいから、このままぬるい関係を続け、責任のない気楽な状況をできるだけ引き伸ばしたい、なんて思っている。これもリアルですね。
こういうシチュエーション、実際によくありますよね。お付き合いしてしばらく経って、女性側は結婚したいけど、男性のほうはまだそんな気になれなくて、はぐらかしてばかりいる。
で、「タイミングは僕が決める。とりあえず今じゃない」なんて思ってのんびり構えていたら、女性のほうはいつの間にか別れを決めていて、未練なく新しい人生に踏み出していく。焦って引き留めようとしても、後の祭り。自分は優位にいるといい気になっていたら、知らない間にとっくに切り捨てられていた。それを知って愕然とする男性の姿を、非常によく描き出せていたと思います。
いい・悪いではなく、キャラクターと展開に説得力がありますよね。
亜弥の変化を、読者が自然に受け入れられる。そういう感じに描けているのもよかったと思います。キャラが唐突に変化するのではなく、グラデーションで変わっていく様子を描けていた。
亜弥ちゃんは、「今までにやったことがないことをしたい」という意欲がどんどん高じて、いろんなものに手を出していきますよね。しかもそれを楽しんでこなしている。意外と汎用性の高いお嬢さまだったようですね。ついには一人居酒屋にもデビューします。初対面のおじさんたちとすぐに仲良くなったりと、コミュニケーション能力もかなり高い。彼女の世界がだんだん広がっていく様子が、読者にもちゃんと見えます。
従順に「箱入り娘」をしていたお嬢さまだったから、一度何かが吹っ切れた後は逆に、スポンジのように新しい世界を吸収していったんでしょうね。
競馬デビューの後、競艇、パチンコと続いた後は、「世間知らずのお嬢さまがギャンブルにハマると厄介だぞ」と心配になりましたが、最後は資格取得に動いている。これまた、意外としっかり者ですね。
主人公は、自分で思ってるよりずっと早い段階で亜弥に愛想をつかされているのに、気づいていない。例えば、亜弥が一人で飲みに行っていると知り、電話のこちら側で不愉快になってますよね。でも、ここは彼氏なら、心配してしかるべきところだと思います。ここで「俺を放って、一人で勝手に」と腹を立てている段階でもう、器の小ささが露呈している。
亜弥ちゃんとちょっと距離が開いたとき、何の危機感も持っていないですよね。それどころか、「独身時代の最後の自由時間だから」と勝手に決めこんで、風俗にまで行くというのはいかがなものかと思います。
結局主人公は、亜弥のことはたいして好きではないんじゃないでしょうか。自分が御しやすい相手だから、「結婚してもいいな」と思ってるだけ。常に自分中心で勝手なんです。でも、作者はわざとそういう人物を描いているのでしょうから、狙い通り描けているということですよね。
で、そのクズ男が、最後でオトされている。作者は、意図通りの物語を、ちゃんと書き上げたのだなと思いました。
うーん、でも私は亜弥ちゃんのことは、ちょっとよく分からなかったです。まず、「典型的な箱入り娘」で「練馬区の実家に住んでいる」とありますが、どこまで本物の「お嬢さま」なのかはわからない。正直私は読んでいて、亜弥ちゃんを「お嬢さま」とまでは感じなかったですね。おっとりのんびりした世間知らずの娘さん、くらいの印象でした。
私もです。スーパーで買い物して、主人公の部屋で食事を作って、というのが日常なのですから、むしろ庶民的な生活レベルに感じます。
「お嬢さま」ではなく、ごく普通の社会人として生活しているのに、二十八歳ではじめて一人で出かけることを覚え、世界が広がりました、というのは、あまりにふわふわしていて、ちょっと大丈夫かなと心配になります。
居酒屋での電話のシーンで、「そうだよお」なんて子供っぽい口調で喋ってましたよね。これが亜弥の普段の喋り方なのか、酔いが回ってハイになっているせいなのかは分かりませんが、「成長中」の亜弥の描写にしては、やや疑問を感じました。亜弥の世界の広がり方が、競馬から始まって、ギャンブル、アウトドア、酒場、と続いた後に「資格取得」となるのも、なんだか流れとしてしっくりこない。
「クズ男が裁かれてスッキリする」というラストの爽快感をいったん脇に置いたとき、読者が「亜弥」というキャラクターに積極的に好感を持つかどうかは、けっこうギリギリのラインのように思えます。もうちょっと、可愛さや健気さ、心の真っ直ぐさというものを強く打ち出してもよかったんじゃないでしょうか。
これは、「依存傾向のあった女性が、しっかりと自分の足で立って、つまらない男から卒業した」という話ですよね。実際、終盤で主人公は、すっかり自立を遂げた亜弥を、「気高くて凛々しくて美しい」と思っている。だとしたら、亜弥の描き方の塩梅も、もう少しそのテーマに沿うものにしたほうがいいのではと感じました。
主人公も、まあクズと言えばクズなんですけど、この程度の自分勝手さを持った男性は、普通にいると思います。亜弥も、涙をのんで辛い選択をしたわけではなく、「やってみたら意外と楽しかった」ので、その方向へどんどん進んだだけ。現状では、私はこの別れた二人はどっちもどっちだなという印象で、登場人物に思い入れて読むことはちょっと難しかったです。
なるほどね。確かに、少し手直ししたほうがいいのではと感じる部分はいくつかありますね。例えば、終盤の別れのシーン。亜弥ちゃんが、「私の人生は変わったの」ということを長台詞で語っていますが、ちょっと全てを台詞で説明しすぎかなと思います。ここは何かエピソードを使って、主人公自身が「亜弥は変わったのだ」ということを痛烈に悟るという描き方にしたほうが良かったのではないでしょうか。
ラストのあたりも、小説的描写というより、作者が作品を総括してしまっています。「書きすぎていて、惜しいな」と感じました。
読者にきちんとわかってもらいたくて、つい説明してしまったのでしょうね。最後の2文は、全部カットしていいんじゃないかな。
そう思います。特に、「結局ぼくみたいに中途半端な男は、大勝負に出たところで運をつかむこともできない」。これはまさに、この作品の中心テーマですよね。これは書かなくてよかった。これを直接文章で書かずに読者に伝えるのが小説です。
で、それはすでにできているんですよね。そのテーマを、作者は描けているし、読者も読み取っている。なのに、最後のダメ押しとして、文章化してしまった。実に惜しいです。ここは読者を信頼してほしかった。
このタイトルで、競馬場の場面で始まり、競馬場で終わるという構成にしているのは、うまかったと思います。後は、もう少し明確に差をつけると、さらに良くなったのでは。冒頭シーンでは亜弥と二人で競馬を楽しんでいたのですから、ラストシーンでは、「今、僕の隣に亜弥はもういない」みたいな雰囲気をもっと強め、主人公の喪失感をくっきりと浮き上がらせる。そうすれば、作品のテーマがより読者の胸に届きやすかったと思います。
そうですね。でも、物語全体の大きな構図は、非常にうまく作れていたと思います。深く考えないでのびのび挑戦してうまくいってしまう亜弥と、いろいろ考えてセコくリスク分散して結局うまくいかない主人公というのは、対比として面白かったです。それにやっぱり、自己中心的なクズ男がしっぺ返しを食らうという展開は、単純に「ざまあ系小説」として、非常にスカッとしますよね。これはエンタメとしては重要な要素だと思います。
そしてその上で、主人公が単純な「ざまあ」キャラとして使い捨てられていないのもよかったです。主人公はラストでちゃんと反省していますよね。失ったものの大きさに打ちのめされ、自分のダメさをつくづく痛感している。主人公がしっかりと自分を顧みることができているラストには、救いがありました。
気持ちよく読めて、大逆転も起きていて、ちゃんとエンタメ小説になっている。読んで率直に「面白い」と思えました。それだけでも、なかなかの手腕を持った書き手だなと思えますが、実はちゃんと深いテーマを伴った作品でもありました。次もまた、さらに読者を楽しませてくれる作品を書き上げてくれることを期待したいですね。