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内容の話に入る前に一点確認しておきたいのですが、作中の「勿病院」というのは、「なかれ病院」と読むので合ってますか?
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第224回
『春と思う勿れ』
八雲粋
内容の話に入る前に一点確認しておきたいのですが、作中の「勿病院」というのは、「なかれ病院」と読むので合ってますか?
本当は「〇〇動物病院」という看板だったんだと思います。でも、その「〇〇動」の部分と、「物」の牛偏の部分が剥がれ落ちてしまったので、今は「勿病院」としか残っていないんです。だから、元の名前はわからない。
ああ、なるほど。そういうことだったんですね。ちょっとそこは、読み落としてしまいました。
同じようにうまく読み取れなかった読者は、けっこういるかもしれませんね。
まあ、主人公も「勿病院」と繰り返し言ってますからね。読者も、「なかれ病院」と思っていて構わないのではないでしょうか。
タイトルにも「勿れ」の文字が入っているので、何らかの意味を掛けているのかなとも思うのですが、そのあたりはよくわからなかった。作者的には、何か重要な意図があったのでしょうか?
単に読者をニヤッとさせたかったのかな。「牛偏が剥がれたから、勿病院」というのは、理由がわかるとちょっと笑えますよね。
以前にも申し上げたことですが、私はこういう、ちょっとしたお楽しみ感覚の仕掛けについては、「その仕掛けに読者が気づいても気づかなくても話が成立するやり方で用いるべき」と考えています。今作のこの「勿病院」は、読者が気づかなくても話の本筋に影響はないので、このままで問題ないと思いますね。
「勿病院」なんて、めったにない名前で、読者の記憶に残りますよね。しかも、単に珍しい名前を設定したのかと思ったら、そういう病院名になった理由付けがちゃんと用意されていた。小技が利いていて、私はうまいなと思いました。
「アイスおじさん」というキャラクターも、よかったです。なにしろ登場シーンのインパクトが強い。
主人公と岡田がいい雰囲気になりかけてたところへ、突っかけサンダルを引きずり、棒アイスをじゅるじゅる啜りながら現れ、言いがかりをつけてくる。この嫌さ加減がいい。
これがもしただの、通りすがりに正論の説教をかましてくる近所のおじさんとかだったら、読者の記憶にはあんまり残らないですよね。見るからに怪しい、危険そうな人物だったからこそ、読者の頭に刻まれる。「アイスの棒」という小道具の使い方が秀逸でした。
再登場したとき、主人公が「アイスの、おじさん……」ってつぶやいただけで、読者も「ああ、あのときの!」って思い出しますよね。
キャラクターの印象付け方が、すごくうまいですよね。しかも、この変質者っぽいおじさんは、実は誠実に命に向き合っている獣医さんだった。このあたりのギャップもよかったです。
岡田も、優しく微笑むスーツイケメンなのに、正体は連続殺人鬼だったりで、落差がすごい。まあ岡田に関しては、最初からちょっと、「なんだか怪しい」感はありました。初対面で、「(野良猫を)いっしょに撫でますか?」なんて誘い方、普通しないです。
でも主人公はそれを、「すてき!」って思っちゃうんですよね(笑)。ロマンチストですから。「本屋さんで同じ本を取ってしまうような出会い」がしたい人ですから。
だからまんまと、岡田みたいなやつに引っかかっちゃったんですよね。何しろ、一瞬にして結婚後のことまで妄想しちゃってたりする。子供に、「パパとママはどうやって出会ったの?」って聞かれたら、ちょっと照れながら今日のことを話すんだわ……なんて、頬を赤らめたりしている。でもそこが可愛くもある。
言うなれば、「愛すべきアホ」ですよね。だから、なんだか応援したくなるし、騙されそうでハラハラする。そういう意味では、引き込まれて読めました。
読みながら、「朋美ー、気をつけてー」って思いますよね。「その男、なんか怪しいよー」って。
読者には、岡田のうさん臭さが感じ取れますよね。例えばアイスおじさんの「気休めに餌やってんのか」という台詞は、けっこう鋭いひと言だと思います。それに対する岡田の返しが、「警察呼びますよ」。どうにも噛み合ってないというか、底が浅い。
なのに朋美は、「かっこよかったです!」って目をきらきらさせて。で、岡田は「いえいえ、そんな」って、べつにかっこよくないのに謙遜してる(笑)。ここでも主人公のバカさ加減がすごく出ちゃってるんだけど、でも憎めないんですよね。なんだかかわいい。そして岡田は怪しい。
中盤で岡田が、「町田さんの家、行きたい」って囁きかけてきた場面では、「ついに来たな」と思いました。
私はここは、別の意味でもすごく引っかかりました。具合の悪い猫が目の前にいるというのに、何言ってるの? って。
化けの皮が、はがれかかってますよね。岡田の描写には、きらめき感があるのも確かです。なのであからさまに怪しいわけではなく、「怪しいと言えば怪しいけど、この先どっちに転ぶんだろう?」と思いながら読めました。描写の塩梅がすごく上手いなと思います。
アイスおじさんの登場シーンの描写も、上手いですよね。「猫は街にいるべきですよね」「町田さんならわかってくれると思ってました」なんてふわふわした会話をしてる男女のもとへ、サンダルをずるずる、アイスをじゅるじゅるさせながら近寄ってくる。こう描かれたら大抵の読者は、「うわ、ヤバい人が出てきた」って思いますよね。うまくそう思わせている。
結果的には、その「ヤバい人」のほうが、まともだった。それどころか、野良猫を助けるために自腹を切ることもいとわないような人でした。しかも、単に優しい人というわけではなく、「野良猫を助けるのは俺のエゴだ」という、シニカルな視点も持っている。
それを理解した主人公が、ちゃんと反省してますよね。しっかりと言葉で謝罪して、治療代も払って、猫を責任もって引き取っている。主人公の成長が見て取れますね。
終盤で、「どんちゃんが私を助けてくれたんだね」と思っている主人公を、アイスおじさんが「それはあんたの妄想だ」と、すっぱり切り捨てる。おじさんは猫のことを言ってるんだけど、同時にこれは、主人公の恋愛幻想を醒ます言葉でもあると思います。作者はそういうことも計算しつつ、さりげなく示唆をするのが上手かった。
作者が物語をちゃんと制御しながら、客観的な視点を持って書いていることが伝わってきますよね。そこはすごく良かったと思います。
主人公が助かったのは、偶然でも運の良さでもないと思います。せっかく岡田に誘われたのに、どんちゃんの様子がおかしいのが気になり、誘いを断った。男よりどんちゃんを優先した。そこにこそ、危うく難を逃れて朋美が生き残れた理由がある、と私は読み取りました。
ちょっとおバカではあるけど、大事なところはちゃんとわかっているということですよね。主人公の人となりが、自分自身を救ったわけです。
気のいい素直な主人公が、ある出来事を通して少し成長するという、王道のお話でした。王道すぎる感じもあるのですが、好感の持てる作品でしたね。
それにしても、主人公が岡田と二人でどんちゃんを撫で始め、「家に行きたい」と距離を詰められるまで、数か月もかかってますよね。岡田が最初から明確に朋美を狙っていたのか、たまたま知り合って「ちょうどいい」と思ってターゲットにしたのかは不明ですが、岡田ほどの凶悪犯が、この能天気な朋美相手に、ちょっと時間と手間をかけすぎかなという気がします。ほんのわずかずつ親しくなるために、週に二~三度、数か月も公園通いをするなんて。しかも、毎回会えるわけでもないのに。
確かに。まあ、複数のターゲットに同時進行で近づいているのかもしれませんが、それにしても……という感じはありますね。それに、「実は岡田は何人も殺していた」という真相によって、話が一気に血なまぐさくなってしまって、そこもやや気になります。
「実はシリアルキラー」という種明かしは、少々エグすぎて、私は引いてしまいました。主人公はちょっとおバカなだけで、全然悪い子ではないのに、あと一歩で残酷に殺されるところだったわけですよね。冒頭にちらりと伏線はあるものの、真相があまりに重すぎて、ちょっと受け止めにくかった。。
「岡田は連続殺人犯で、逮捕されました」とまで、明確な結末をつけなくてもいいんじゃないかな。そのあたりは曖昧なままでも、話は畳めます。野良猫に毒餌をやった犯人は岡田のようだったが、どんちゃんが獣医に助けられたと知ると、彼はそれきり姿を消した。どうやら本名でもないらしい。「もしかしたら、自分も危なかったのかも……」とも思うけど、真相は藪の中。主人公は多少モヤつきながらも、今はどんちゃんと幸せな毎日を送っている、とかね。
それなら、新たな犠牲者が生まれそうなラストも、「もしかしてまた岡田が……?」と、読者に匂わせることができますよね。
そのほうがホラー感が増して、よかったと思います。めでたしめでたしで終わるかと思えた物語が、ラストで一瞬不穏になってスッと収束するというのは、ベタだけど演出効果が高いですよね。
主人公とその友人が、別の犯人による似たような犯罪に立て続けに巻き込まれるというのは偶然がすぎると感じますが、岡田が名前を変えてあちこちに出没しているということなら納得しやすいですし、不気味さも増します。
あと、ラストのくだりを友人の美帆視点で書いているのは、かなり引っかかりを感じました。狙ってのことかと思いますが、これはやめたほうがいい。
すごく唐突ですよね。それまでさほど登場してこなかった友人が、いきなり視点人物になっている。
視点の変更は、読者のエネルギーを奪います。気持ちと頭を切り替えなくてはいけないので、読み手にとってはけっこうストレスとなってしまいます。
中・長編なら、「あ、ここからまた別の人の視点なんだな」と仕切り直して読めますけど、三十枚ではせわしなく感じられてしまう。没入して読むことができないです。だから短編ではなるべく、視点や人称は統一したほうがいいですね。それに今作においては、視点人物を変えなくても同じ内容を書くことはじゅうぶん可能です。
主人公視点のまま、美帆と会話でもさせればいいですよね。
はい。例えば、事件からしばらく経って、美帆が主人公の部屋に遊びに来る。主人公は「もう、恋愛はしばらくいい。ドラマっぽい出会いはこりごりだよ~」と笑いながら、膝の上のどんちゃんを撫でている。どんちゃんも、幸せそうに撫でられている。と、美帆が、「黙ってたけど、あたしは今、ちょっといい人いるんだ」と言い出す。「そうなの? どんな人?」と尋ねたら、「お財布落としたら拾ってくれて。それがさあ、なんと苗字が一文字違いで。『偶然ですね!』って二人で盛り上がっちゃって」「……え?」、ってところで、ストンと終わる。
読み手は一瞬、ザワっと不吉なものを感じますよね。
で、読み終えた読者はタイトルに戻る。『春と思う勿れ』。
ドラマみたいな恋愛に、「気をつけて」ってことですよね。それならスッキリとまとまった話になります。ラストで視点を変えたのは、非常に惜しかったですね。
ただ、このあたりはテクニック的な問題でもありますので、コツさえつかめば、すぐに上達するところかなと思います。この作者さんは、自分の作品を俯瞰する目を、すでに持っていらっしゃると感じますので。
文章に、ちょっととぼけたようなユーモア感があるのもよかったです。「(イケメンが)お召しになってるスーツ」とか「苗字で呼び合うのも風情がある」とか。
好感度が高い主人公を自然に描けているのも、とても強みになるポイントだと思いました。その長所を、次なる作品でもぜひ活かしていただきたいですね。