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「信頼できない語り手」の一人称小説です。非常に企みのある作品でしたね。
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第225回
『幻想の国のアリス』
水戸えりか
「信頼できない語り手」の一人称小説です。非常に企みのある作品でしたね。
後半にどんでん返しが用意されていましたね。最初読者は、語り手である真帆の目を通して語られる出来事を素直に信じながら読みますが、実は真帆は虚言癖のある女の子だった。しかも単なる嘘つきというわけではなく、妄想と現実をごちゃまぜにしたものを、自分では真実だと思い込んで語っていた。これでは読者は、引っかけられてしまいますよね。
はい、疑いもなく読んでいました。でも後半のある時点で、いつのまにか語り手の「私」の中身がすり代わっていることに気づき、「あれっ?」と驚かされます。
そのうえ、スイッチしたアリスの語りによって、今まで真帆視点で描かれてきたことが「すべて真実というわけではない」ということまで徐々に判明してくる。
「真帆はまともで、アリスは現実から目を背けている」ということかと思って読んでいたのに、真帆もまた幻想の世界に生きていた。面白い仕掛けだなと思いました。
しかも、前半の真帆パートのところは、内容的に非常に引き込まれるものがありました。真帆は、内心ではアリスを笑いものにしているのにおくびにも出さず、ひたすらアリスの妄想を助長し、頂点に達したところでぺしゃんこにしてやろうと画策しています。それも、猫がネズミをいたぶるように楽しみながら。この念の入った意地悪さはものすごい。
この作者さん、よくぞここまで、中学生女子の内面をえぐったなと思いました。私はもう、読んでいて恐ろしくなってしまった。「私は可憐な美少女なの」と本気で思い込んでいる、この痛々しい「アリス」の描写を読んで、胸をぐっさり刺される読者は多いんじゃないでしょうか。
このアリスのありようは、決して他人ごとではないです。自意識が肥大していた頃の恥ずかしい自分を見せられているようで、いたたまれなかった。
思春期のこういう黒歴史って、おそらく皆ありますよね。「自分はすごい」「自分は特別」みたいなことを無意識に思っている時期って、誰しも通ったことがあると思います。
この作者は、細かい描写がとてもうまいと思います。例えば、本名は「有紗」なのに、「『アリス』って呼んでね!」って、自分から熱望するとか。素敵な名前こそ、自分にふさわしいと思っている。実はクラスメイトからこっそり、ポッコリお腹キャラの名前をあだ名につけられているとも知らないで。
「アリスと呼ばれたい」のに、肝心の『不思議の国のアリス』の本自体は読んだことがないんですよね。いろんな場所で、これみよがしに読むふりだけして、「『アリス』を読んでいる素敵な私」を演出している。
真帆に呼ばれても、すぐには返事をしないんですよね。気づいているくせに、「ごめんね。本の世界に夢中になっちゃった」なんて、「夢見がちな少女」をいちいち演じています。真帆はそのすべてをお見通しで、内心でせせら笑っている。
アリスの自意識過剰ぶりは、読んでいてこちらが恥ずかしくなるほどです。でも、こういうこと、実は多くの人が身に覚えがありますよね。私はずいぶん昔に通り過ぎましたので、「イタタタタ」程度の痛みで読めますけど、今まさに渦中にいる年代の人たちは、「痛い」なんてレベルでは受け止められないかもしれない。
その一方で、素知らぬ顔で意地悪をエスカレートさせる真帆の気持ちも、分からないではないんです。アリスほど極端ではなくても、自意識過剰でうぬぼれの強い人物に出会って辟易したことは、これまた多くの人に経験があるのではないでしょうか。そうした人物に不快感を抱き、「いっそ痛い目を見ればいいのに」などと思ってしまう気持ちは、じゅうぶん理解できます。
それにしても、勘違い女子のアリスを、一番効果的なタイミングで、完膚なきまでに叩きのめしてやろうとする真帆の、この容赦のなさ。思春期女子って、残酷ですよね。怖くて震えますけど、でも、よくぞここまで描き切ったなと感嘆する思いです。
真帆は、アリスの同類でもあるわけですよね。真帆だって、肥大した自意識を抱えている。だからこそ、アリスの自意識過剰ぶりが手に取るようにわかる。わかるからこそ、叩き潰してやりたくなる。いい・悪いじゃないんですよね。誰の中にもアリスがいるし、真帆もいる。
傍から見たら、二人は似た者同士ですよね。「『不思議の国のアリス』の中の双子の名前をあだ名にされていた」というエピソードでも、それが象徴されています。
今作の「アリス」のキャラ描写はやや過剰で作り物めいていますが、作者はリアリティーのある人物を描こうとしたわけではないと思います。前半部分で描かれている「アリス」は、多くの人が「こういう子、いるよね」「自分にだって、こういうところちょっとあったかも」と感じるものの集合体として創出されたキャラクターなのだろうと思います。
思春期少女の内面を、作者は非常に鋭く描き出していますよね。とてもうまいなと思いました。
ただ、どんでん返しで読者を驚かせている割に、後半部分はドラマ的な勢いが衰えてしまっていますね。
後半のアリスのパートは、説明ばかりなんですよね。アリスと小野先生の会話で全てを説明してしまっている。
小野先生を重要キャラとして再登場させたのも、あまりいい判断ではなかったように思います。小野先生は結局のところ、ただの大学生ですよね。教育実習期間が終わった後、特定の生徒にここまで深く関わるのはどうにも不自然だし、アリスを幻想から救い出してくれるキーパーソンとしても役者不足だったように感じます。
客観的な第三者を登場させるなら、担任か親でよかったんじゃないかな。
そう思います。この作品の前半部分は、「アリスと真帆」の閉じた世界の話になっていますよね。それなら後半では、第三者が介入することによって閉鎖的な幻想世界にひびが入り、光が差し込んで開かれるというイメージを、もう少し強く打ち出したほうがいいと思う。そして、その重要な役目を担う人物は、少なくとも小野先生ではないんじゃないでしょうか。
あと、後半でアリスが急に大人びているのも、不自然でした。「涼君ったらもう、アリスのことばっかり見てるんだから。うふっ」なんて言っていた頃からほんの二か月くらいしか経っていないのに、「あの頃の私は、本当に恥ずかしいくらい子供で……」と、すっかり過去のこととして語っている。
重度の中二病状態から脱するのが、あまりに早いですよね。
アリスが幻想世界から現実に戻ってこられた、そのきっかけは何だったのでしょう? 小野先生が訪ねてきてくれたから? 夏祭りで涼君が本物の彼女といるところを見たから? それとも、真帆のおかしな言動に気づいて我が身を振り返ったから? そこがもう少しくっきりと描けていたら、アリスの変化を読者が受け入れやすかったのですが。
真帆が「壊れた」きっかけも、よくわからないです。「真帆もまた、夏祭りで涼君のカップル姿をみて衝撃を受けたのではないか」みたいなことをアリスが語っていますが、本当のところはどうだったのか、作中には書かれていないですね。
そもそも、真帆が「壊れた」というのは、どういう状態を指しているのでしょう? 脳内の幻想世界に閉じこもって、もう誰が呼びかけても反応しないということ?
そこもよくわからないですね。「真帆は学校に来なくなった」というのが、「涼君には彼女がいるという現実に打ちのめされ、ショックで引きこもっている」ということであれば、それは現実と向き合っていることになる。「壊れて」はいないです。
むしろ元気に毎日登校して、「涼君ったら、私という彼女がありながら、女の子に強引に誘われたら断れないらしいのよ。まあ、彼モテるから仕方ないかなって、大目には見てるんだけどね」みたいなことを喋りまくる展開にしたほうがいいかもですね。そのほうが、「幻想世界の中で生きている」感が出たと思います。
真帆は虚言癖のある「信頼できない語り手」ですから、真帆パートを「真実」として読むことはできないですよね。真帆の意地悪で追い詰められたアリスがついに壊れた! という大きな盛り上がりどころも、実は真実ではなかった。アリスは壊れていませんので。となると、「じゃあ、あの盛り上がりシーンは何だったの?」という気がして、ちょっと肩透かしを食わされたように感じます。
後半のアリスパートも、長すぎると思います。「実は真帆のほうこそ……」という真相で驚かされてからも話が長く続くので、物語が間延びしている。
ラストの締め方も、なんだか引っかかりました。アリスが図書室で真帆との過去に思いをはせる感傷的なシーンになっていますが、それほどの絆がこの二人の間にあったようには感じられない。
それに、三十枚の短編に、こうしたエピローグっぽいものは不要だと思います。あまり感慨にふけったりしないで、スパッと終わらせたほうがいいですね。
この作品は、自分だけの幻想世界の中で生きてきた似た者同士の少女たちが、ある時点を契機として、歩む道が正反対に分かれたという話ですよね。アリスは現実へ、真帆はより深い幻想世界へ。それなら、なぜそうなったのかというきっかけの部分は、この物語においてとても重要ではないかと思います。後半のアリスの語りで全てを説明している現状では、小説的カタルシスがあまり感じられない。真帆パート・アリスパートを並列させる構成ではなく、終盤に大きな山場を設定し、そこへ向かって話が盛り上がっていくという描き方にしてもよかったのではと思います。
アリスと真帆が、夏祭りで涼君とその彼女を見かけるという場面を、具体的なシーンとして書けばよかったですよね。
ショッキングな現実を突きつけられたことで、アリスは幻想世界を壊されて現実に戻ってきたけど、真帆は受け止めきれなくて現実の向こう側へ行ってしまった、という二人の違う結末を描いて、スッと終わる。
しかも、それを説明するのではなく、読み終わった読者自らが、「そうか、真帆もまた幻想世界に生きていたのか。そして、真帆のほうこそ、そこから帰ってこられなくなったのか」と気づく。そういう書き方にしたほうが、効果的だったかなと思います。それなら、第三者の登場も必要ないですし。
それにしても、アリスを追い詰める真帆の執着は、ちょっと度が過ぎていませんか? いくら思春期女子特有の残酷さとはいえ、なぜそこまでしなければならなかったのか。その動機の部分がよく分からなかったのですが。
2枚目に、「私は将来小説家希望なこともあり」とありますよね。これが理由の一つかなと思います。人間観察、それも、ネタとしておいしそうな人物の生態に興味があったんじゃないかな。
この「小説家希望」のところは、非常にうまいなと思いました。この言葉が一ヵ所ちらっと出てくるだけで、真帆という人物をイメージしやすくなりますよね。真帆の背景に関してはほとんど情報が出てこないのですが、説得力のあるキャラクターとして描けていたと思います。意地悪で、相手を破滅させたい願望のある子で、小説家志望。すごく伝わってくるものがあります。
控えめに言っても、真帆も変な子ですよね。アリス以外に友だちはいなさそうで、思い込みが激しくて。
アリスも、真帆以外に友だちはいなかった感じですよね。だからこの二人は共依存状態だったのかもしれないけど、その二人の関係性がもう少し描けていたらよかったのになと思いました。
心が通じ合っていた二人とは言えないんだけど、それでも、醜いだけではない繊細で複雑な感情がお互いの中にはあったのではという気がします。そのあたりに関して、さりげないエピソードがもう少しくらいあってもよかったですね。
例えば、ある日真帆がお弁当を忘れたら、アリスが自分のを分けてくれて、そのときだけは素直に感謝の気持ちが湧いたとか。
アリスが「友情の証に!」と、不格好な手作りのマスコットをくれて、真帆は「ダッサ」と思いながらも捨てられないとかね。
そういうちょっとしたエピソードやアイテムが話に出てきたら、印象に残っただろうなと思います。
惜しいなと感じるところが、いろいろありましたね。中でも、後半で物語が失速してしまったのは、すごく残念でした。
前半はもう大変に面白かったですよね。ただ、どんでん返し自体はびっくりさせられるものの、すごくうまく仕上がっているとはちょっと言い難かった。この、「主人公かと思えた真帆が、信頼できない語り手だと後でわかる。実は真帆のほうこそ正気を失っていた」という話のオチは、きれいにキマッていれば、読者の快感度は非常に高かっただろうと思います。企み自体はよかったんだけど、ちょっとまだテクニック的に扱いきれていなくて、惜しかったです。でも私は、こういうチャレンジそのものは、とても高く評価したい。無難にまとまった話を作るより、たとえ難しくても、面白い作品を書いて読者を驚かせてやろうという意欲を持つことは非常に大事だと思います。
実際、驚かされましたしね。せっかくの面白い企みでもありますし、最大限活かすにはどうしたらいいのか、評中のアドバイスなどを参考にしつつ、再度構想を練ってみてほしいです。
アリスも真帆も、キャラクターの解像度はとても高かったです。人間の内面をえぐる力もあるし、文章力も高いと思います。今回はたまたま、企みが思ったほどうまく機能しませんでしたが、どうかそのチャレンジする気持ちを忘れずに、次なる作品に取り組んでみてほしいですね。