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選評付き 短編小説新人賞 選評

『ケチャップで描く三行半』

風見鈴

  • 編集D

    完成度の高い作品でした。ノーストレスでするすると読めました。

  • 編集A

    百合子さんのキャラクターがすごくよかったですよね。きっぷがよくて、カラッとしてて。対照的に、夫である聡は、もうほんとに情けない……でもそこが面白かったです。

  • 編集D

    聡のほうが圧倒的に悪いのですから、百合子さんは聡に罵声を浴びせて一方的に叩きのめすこともできたはずなのに、そうはしなかった。釈放されてすぐ、勢い込んで聡の実家に乗り込んだ割に、そのあとは意外に冷静に聡と対峙しています。このあたりの、緩急のつけ方もよかった。不倫男が成敗される話ではあるのですが、「それだけの話」になっていなかったのが、すごくいいなと思います。

  • 青木

    単なる不倫ものとか、「ざまあ系」小説ではなかったですよね。キャラクターがしっかりしていて、人間ドラマになっていました。

  • 編集D

    話し合いの場で、百合子ちゃんが聡と静かに向かい合い、ひとつひとつ聡の本音を引き出しながら自分自身を納得させていく姿には、理屈では割り切れない夫婦の情みたいなものを感じました。おそらく百合子さんは、こんなダメ男の聡であっても、離婚したくはなかったんじゃないかな。架空のキャラクターではなく、「生きている人間」を描けていると感じて、すごくいいなと思いました。描写も上手いですよね。「怒りと悲しみと呆れを煮詰めたものを、一度冷まして干して粉にして、さらに水で伸ばしたようにさらさらとしていた」なんてところは、すごく抽象的な表現なんだけど、ちゃんと意味が取れるし、雰囲気も伝わってくる。書き慣れている方だなと感じました。

  • 青木

    こういう系統の作品だと大概、ラストで百合子さんが自分の気持ちとか持論とかを語って話が締めくくられる、という展開になることが多いのですが、今作はラストでちゃんと、主人公に話が戻ってきますよね。

  • 編集A

    冒頭で、「仕事のできる同僚・三田」の話にけっこう枚数を使っているんだけど、そのくだりがラストで不意に活きてきました。

  • 青木

    はい。最初は、「関係ない三田君の話を書き過ぎでは?」と思っていたのですが、実は伏線だったんですね。三田と聡には似たところがあるかも、というところから話が繋がってくる。

  • 編集D

    最後まで読むと、ちゃんと主人公の成長物語になっていましたね。

  • 青木

    読み終わって改めて全体を見ると、三田君に関する描写の分量も、長すぎず短すぎず、良い加減でした。構成が上手いと思います。

  • 編集D

    「百合子ちゃんの離婚話」がメインで、主人公は傍観者に過ぎないのかと思いきや、二人の修羅場の最中に「おかしいですよね」って聡に対して意見したり、能動的にかかわってますよね。こういうところで、主人公に好感が持てました。

  • 青木

    主人公の真夜くんは、同僚の三田君に引け目を感じたり、堂々たる言動の百合子さんの脇で右往左往してるように見えるんだけど、その実、自分の足でちゃんと立ってますよね。流されるままに生きてるんじゃなくて、目の前の出来事を頭と心を使ってちゃんと受け止め、自分の血肉にしている。

  • 編集D

    しっかりとテーマのある作品なのですが、合間合間でくすっと笑わせてくれる描写がいろいろあるのもよかったです。

  • 編集A

    百合子ちゃんと崎谷さんがバチバチ火花を飛ばしている横で、紅茶に見入って現実逃避してたりね。エンタメになってましたよね。

  • 編集D

    また、離婚届に判を押してもらえるとわかった聡が奥から持ってきたのが、「銀行で見るようなデカい朱肉」だったとか。これ、聡の性格を表してるような気がします。

  • 青木

    「朱肉はデッカくなきゃ!」とか、そういうどうでもいいところにこだわってる男性なのかなって感じがしますよね。

  • 編集D

    自分を大きく見せたいんでしょうね。こういうさりげない描写でキャラを表現できているのも、すごいなと思いました。

  • 青木

    で、百合ちゃんは、その朱肉でこれでもかとインクをつけて、お辞儀なんて絶対にしないぞと言わんばかりに真っ直ぐピシッとハンコを押す。こういうあたりの描写も上手いなと思います。説明は全然ないんだけど、エピソードでわからせてくれる。

  • 編集D

    はい。キャラクターの奥行きを出すのがとても上手だなと思いました。

  • 編集A

    キャラが立ってますよね。外見描写とかはそんなにないのに、登場人物の顔が目に浮かびます。主人公たちだけじゃなくて、ちらっとしか出てこない主人公のお母さんとかも、映像が見える感じがする。

  • 編集E

    登場人物の解像度が抜群に高くて、すごく良かった。私は最高点をつけてイチ推しにしています。

  • 編集G

    ただ、百合子さんというキャラクターがしっかり描けているのに対して、聡の描写はややステレオタイプかなという気がします。それに、百合ちゃんほど強くてしっかりした女性が、こんな中身のない男のどこがよくて結婚したのかなというのも、ちょっと疑問に感じました。

  • 編集A

    でも、百合子さんみたいな人は意外と、こういう凡庸でパッとしない男と結婚しそうじゃないですか?

  • 編集E

    聡が浮気から本気になった崎谷さんは、百合子さんと気性がちょっと似ているように感じます。結局、こういうタイプの女性が聡の好みなのでしょうね。

  • 編集H

    ただ、慰謝料とかの話し合いを詰めないまま、百合子さんが離婚届に判を押してしまうのはすごく引っかかりました。離婚と引き換えにがっぽりふんだくれるケースだと思うのに、これでは相手が知らん顔をしそう。

  • 編集F

    そこは私も気になって調べてみたんですが、いちおう後からでも請求できるみたいです。でも一般的には、離婚届は最後の切り札ですから、こんなことはしませんね。先に渡してしまったら、揉めるのは必至です。

  • 編集H

    サインしてハンコも押した後に、「でも、きっちり片が付くまで、これは私が預かっておきますから」って懐にしまう展開だったら納得できたのですが。

  • 編集F

    百合子さんほどのしっかり者なら、「今後は弁護士を通して対応します。いただくものはいただきますから」くらいのことは言いそうですよね。それと、百合子さんが仕事をしているのか、それとも専業主婦なのか、わからないのも気になりました。それによって慰謝料等に関する重みはかなり変わってくるし、この話の読み取り方そのものも変わってくると思います。

  • 編集H

    百合ちゃんは専業主婦ではないとは思いますが、確かにそのあたりに関して、これといった情報は出されていませんね。

  • 青木

    一流企業に勤めてはいても聡は社内でそんなに優秀なわけではない、というようなことを見抜いていますから、百合子ちゃんも働いていて、社会経験があるように思えましたけど。

  • 編集A

    「風見鶏」という、社内での聡のあだ名まで知っているんだから、もしかして同じ会社に勤めているのかなと、私は思ったりしました。

  • 編集G

    むしろ、聡より役職が上だったりしてね。

  • 編集D

    もし百合ちゃんが勤め人だとしたら、今回の逮捕・拘留は、けっこうな大事件ですよね。

  • 青木

    「いったい何をやったんだ!?」って、社内で大騒ぎになるでしょうね。

  • 編集I

    百合ちゃんの描かれ方からすると、フリーランスで仕事をしてるっぽくないですか? 会社勤めをしている感じは、あんまりしない。

  • 編集A

    起業とかしてそうですよね。小規模のネットショップとかセレクトショップとか経営していそうな感じ。

  • 編集F

    とにかく、百合ちゃんが自分で稼いでいる人なら、それをちょっとでいいから匂わせてほしかったです。

  • 編集D

    主人公が百合ちゃんを訪ねたとき、百合ちゃんが部下に電話でもしていたら良かったですね。

  • 編集A

    「ごめん、さっきようやく釈放されたのよー。で、例の商談どうなってる?」みたいなことでも言ってたら、それだけでいろいろわかりますよね。説明しなくても、ほんの数行の描写や台詞でも、読者に情報を伝えることはできます。

  • 編集F

    それと、真夜にとって百合ちゃんは、あくまで「母親の友達」でしかないですよね。その百合ちゃんの夫となれば、真夜からすればほぼ赤の他人だと思うのですが、その割に真夜と聡は親しい間柄のように描写されています。こういうあたりも、もうちょっと何かエピソードがあったほうがよかったと思います。

  • 青木

    まあ、真夜が幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしていたのかなと思えるので、そんなに大きな違和感があるわけではないですが、「昔よく遊んでもらった」みたいな描写がちらりとでもあったら、キャラクターの解像度が一層上がりましたよね。

  • 編集G

    あと、「オムライス」というアイテムが、今ひとつ効果的に使えていないような気がして、気になりました。タイトルにも「ケチャップ」がありますし、これらをもう少し直接的に話に活かせていたらよかったのにと思います。

  • 編集D

    百合ちゃんはケチャップをぶちまけて逮捕されたらしいですが、それは冒頭シーンより前の出来事なので、直接には描写されていない。そのせいで、エピソードとしての印象がちょっと薄いです。現状では、百合子ちゃんが聡の家に乗り込んで、ただ話をして帰ってくるだけになっている。

  • 編集G

    もう一度ケチャップをぶちまけようとするとか、「これで最後だから」と聡にオムライスを作ってあげるとか、あるいは逆に、崎谷さんの作ったオムライスを食べた百合ちゃんが「これは負けたわ」ってさっぱりした顔で笑うとか、なんでもいいんです。現在進行中の話の中にしっかりと登場させたほうが、インパクトがあってアイテムが活きたと思います。

  • 編集D

    タイトルに「ケチャップ」と入れる以上は、もう少し印象的に話に絡めたほうがいいと思います。できれば、「子供」の話とも絡めたほうがいい。というのも、聡が崎谷さんを選んだのは、「オムライスがおいしいから」ではなく、「子供を産んでくれそうだから」ですよね。だから例えば、百合ちゃんがオムライスを上手に作って、仕上げにケチャップで何か文字を書こうとしながら、「あたしだって上手よ。それでも別れるの?」って聞いたら、ついに「子供が欲しかった」って本音を漏らすとか。

  • 編集G

    で、それを聞いた百合ちゃんは吹っ切れた顔になって、オムライスの上に何か別れの言葉を書くとかね。

  • 編集D

    まあでもこれだと、ラストの「オムライスは下手でも、私には他の長所があるんだから、卑下なんてしない」というくだりに話が繋がっていかないので、あくまでも一提案に過ぎないのですが、とにかく何かもう少しうまい描き方があるのではと思えて、少々引っかかりました。

  • 編集A

    私は現状の、百合ちゃんと主人公が不格好なオムライスを食べながら、ちょっと深みのある話をするというラストは、とてもよかったと思います。こういうあたりは書き手の好みも絡んでくることですから、アドバイスを参考にしながら、もう一度自分なりに話を練り直してみてほしいですね。

  • 編集G

    大体において高評価している人が多い作品でしたが、細かく見ていくと、ちょっと気になる点も出てきましたね。

  • 編集A

    ただ、そのどれも瑕疵と言えるほどのものではなかったと思いますし、受賞作とは最後まで競り合っていました。

  • 青木

    テーマもあるし、話もちゃんと着地している。文章もうまいし、完成度も高い。キャラクターの解像度も高く、ユーモアのあるエンタメ作品に仕上げられている。受賞していてもおかしくないレベルだと思います。

  • 編集A

    今回はたまたまインパクトの強い作品が多くて、きちんとまとまっている本作がややおとなしめに感じられてしまうという、不運な結果になったところはあるかもしれない。書き手の力量も作品そのものも、高く評価されていることは間違いないので、ぜひとも再挑戦していただきたいですね。

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