第1回
「林泉寺」
「炎の蜃気楼 昭和編」も去年末に無事環結しまして、早半年。
全ての原点の地となった上越を旅してきました!
ミラージュ紀行で前回上越を訪れたのは本編完結直後。
2004年のことでした。
え? 14年ぶり!? それ本編書いてた年月と一緒じゃないですか!
実はミラージュ紀行で行くのは三回目。一回目は真冬の雪中行軍でした。
膝まで積もった雪をかきわけかきわけ、「ミラージュツアーは過酷」を実感したのも懐かしい思い出。元気でした……。
最初に訪れたのが学生の時。一人旅でした。あの頃の自分に伝えたい。君がいま行った上越はこれから何度も訪れて、素晴らしい思い出をいくつも紡ぐ場所になりますよと。
さて、復活ミラージュ紀行、最初の訪問地は春日山林泉寺。
言わずと知れた、上杉謙信公ゆかりのお寺です。
謙信公が幼少時に修行をしたお寺で、上杉家(長尾家)の菩提寺です。
私が訪れた時は、菖蒲やあじさいの花が咲いて、池にも名残の睡蓮が。
周りを大きな杉林に囲まれて、厳粛でありつつ、樹木の香りが爽やか。
お寺の奥様のお話によると、毎年積もるたくさんの雪が湧き水になってしみ出してくるので、自然に苔が生えてくるのだとか。境内のそこここが緑の絨毯を敷き詰めたよう。
仁王様がいる立派な山門の手前にある、古色蒼然とした小さな門(惣門)が、春日山城から移築した搦手門だそうです。春日山城にはもう建物は何も残っていないので、唯一の建築遺構に。山門のほうには謙信公が自ら筆をとった「春日山」「第一義」の書が、扁額となって掲げられています(但し複製)。
私、何度も言ってますが、この謙信公の「第一義」の書が大好きで。
目にする度、背筋が伸びます。
昔、米沢の林泉寺さんでミラージュの原画展をやったとき、ほたか乱先生が描いた邂逅編の景虎を「第一義」(上越林泉寺の扁額拓本が飾ってある)の真下に飾らせてもらったことがあって。景虎が謙信公と再会できたようで、ひとり震えておりました。
宝物殿では、教科書などでよく見る謙信公の肖像画や上杉軍の軍旗「刀八毘沙門天」「毘」「かかり乱れ龍」などが展示してあります。毘沙門天もいます。大河ドラマのポスターなんかも。俳優さんたちもたくさん訪れたそうです。
境内の少し小高いところには、謙信公のお墓(供養塔)が。
しっかりおまいりして環結のご報告と感謝を述べてきました。
お寺の奥様によれば、林泉寺にもたくさんのミラージュ読者が訪れたとのこと。
にぎやかでしたよ~、と笑顔で言ってもらえて、私も幸せな気持ちになれました。
景虎のお話もしたんですが、奥様によると「景虎さんは関東(相模)のひとだから、きっと性格も明るくて、謙信公に可愛がられたのでしょうね」とのこと。私、ちょっとハッとさせられました。美貌だというのは有名ですけど、性格がどうとかは、そういえば記録でみた覚えが……。
確かに、太平洋に面していて、真冬はほぼ晴れている相模の人間です。
今でいう神奈川県人。……ん? そうか。
湘南か。茅ヶ崎とか大磯とか、そういう方面のイメージ?
(ちょっといま、サーフボードを小脇に抱えた景虎様の姿が浮かび……)
まじめな話、実在した景虎は、陰か陽かといえば、陽の気質の持ち主だったのかもしれないなと思いました。(神奈川県人がどうとかは関わりなく)
対してもうひとりの養子である景勝は「雪深い越後人らしく内向きなところがあったでしょうから……」というようなことを、奥様が少し謙遜気味に仰っていたのが印象的でした。景勝は「笑った顔を見せたことがない」という話が伝わっているほどなので、そういうところもあったかもしれませんが、景勝の性格がどうというよりは、単純に同じ越後人にはない気質をもつ景虎が、謙信公の目には新鮮に見えたのかもしれません。
同盟が破れた後も景虎を返さなかったのは、景虎の性格によるところもあったのかも。
そんな景虎に景勝が抱いた気持ちにも想いを馳せると、深いドラマを感じます。
そんなふたりも、謙信公とともに林泉寺を訪れていたことでしょう。
明るい境内には鳥の声が響いていました。お花もきれい。
安全も「第一義」。
おしりのかわいいコーギーも遊びにくる。
かつては修行道場だったお寺も、今は静かで気持ちのよい、憩いのお寺でした。
緑の中にたたずむ林泉寺山門
蓮の花が境内の池を美しく彩ります
謙信公の手蹟による書は、扁額として人々を見下ろしています
謙信公の墓前にて、環結の報告と舞台の成功祈願をした桑原先生
謙信くん(笑)も参拝客を見守っていました