最終回
「御館」
さて環結記念の上越旅もそろそろ終着点が近づいてきました。
春日山城と鮫ヶ尾城を中心にめぐってきましたが、今回は初めて訪れた場所も。
そのひとつが摩尼王寺。
景虎の胴塚と伝えられる史跡があります。
自決して、首を取られた景虎の亡骸が埋葬されていると伝わっているそうな。
そばに宝篋印塔と呼ばれる小さな石塔がたっていて、これは高貴な方のお墓などに使われる仏塔なのだそうです。近くには五輪塔はたくさんあるんだけど、ここのだけ宝篋印塔なので、景虎の墓ではないかといわれているとのこと。
集落の片隅にある、小さな石塔と石を敷き詰めただけの、侘しいたたずまい。
それが敗軍の将の墓か……と思うと、戦国の世の非情さを感じましたが、そんな中でも、彼を憐れみ、敬い、供養しようとした名も無いひとたちがいたことに、胸が震えました。
そして、もう一カ所。
景虎が敗走中に訪れた今泉城跡にある大和神社。
土塁などが残ってます。ここに入ろうとしたけど、だめだったんだとか。
こうして景虎の痕跡を実際に足でめぐってみると(車ですが)、文字でのみ残された御館の乱が、肉をもって立ち上がってくるのを感じます。
さいごはやはり「御館跡」へ。
何度か訪れましたが、相変わらず、ただの公園です。石碑と案内板があるのみ。
そこから出てきた遺物だけが、土に埋もれた壮絶な過去の気配を伝えます。
そんな「御館」跡にも、小さな変化が。
うんていがなくなってる!!!!
この半年ほど鍛えた腕で、どこまでうんていを進めるか、試したかったのに!!
仕方ないので、滑り台にあがって、すーっと滑りました。
そんなかわいい滑り台のあるところには、四百年前は何があったんだろう。
景虎たちが立てこもった屋敷です。
緊迫した状況の中、妻子とともに十ヶ月近く過ごしてます。
ここで景虎はなにを想い、なにに苛立ち、なにに怒って、なにに希望をつないで、過ごしていたんだろう。
想像しながら、しばらく、青空のもと、ぼーっとしていました。
タイムマシンがあったなら誰に会いたいですか、と問われたら、むろん私は即答します。「景虎公に会いたい!」と。
あなたの気持ちを聞いてみたい。
ミラージュでは、景虎は死後、怨霊大将と呼ばれるほどの大怨霊となりました。
怨霊とは、なんだろう。
無念を抱えて人生を終えたひとの魂。
私自身、たぶん、人生の折り返し地点をすぎました。
自分自身が死を迎える時に、なにを思うか。そもそもどういう状況で迎えるかは、神のみぞ知るわけですが、その時に「幸せ」であるかどうかより、私は「充分戦った」と言える人生でありたい。
その日がいつ来るかはわからないけど、明日唐突に終わったとしても。
「充分書いた」「充分戦った」と自分に言ってやれる人生でありたいと、思います。
笑って「水菜、お疲れ様」と言えるように。
この夏は大変な猛暑となりました。
上越にいった六月の段階ですでに、めっちゃ暑かった。
けれど、そこに吹く風は、優しかった。
自分でも望外の大長編を書き終えて、いま、最後のエピソードを舞台化するにあたり、最後まで戦っていると感じる瞬間。
この苦しさこそが生きてる証だったんだと、いつか懐かしく思うのだろうな。
この痛みこそが生きてる証だったんだと、噛みしめるのだろうな。
まだまだ早いけど。
昔、上越を訪れたことのあるひとも、まだ訪れたことのないひとも、ぜひ遊びにきてください。
ここには歳月を経ても変わることのない「はじまり」がたくさん待っています。
景虎や直江、夜叉衆……彼らの長い長い物語が生まれた地。
ここはミラージュの故郷です。
摩尼王寺は、今は無人のひっそりとしたお寺です
景虎公が埋葬されていると言われている場所に立つ石塔。
注意書きもなく、ただ静かにそこに在ります
今泉城があったとされる場所。現在は大和神社になっています
景虎公はどんな思いでこの地に立ち寄ったのでしょうか…
今は住宅街ののどかな公園となっている御館跡
うんていはなくなっていましたが、滑り台とシーソーはありました
また越後の地を訪れる日まで、静かに見守っていてください